雀の手箱

折々の記録と墨彩画

鬼とお化け

2015年02月03日 | 日々好日
 今日は節分、ほうぼうの家で打ち豆に追われた逃げ惑う鬼と、お化けとどちらが怖いかと思案しました。
 説話に登場する鬼はどこかユーモラスで間が抜けたところがあり、むしろ愛すべき存在です。
 狂言の「節分」の鬼も、恋心を抱いた蓬莱島の鬼が、節分の夜に留守居をする人の女房にまんまとたぶらかされて、隠れ蓑から打ち出の小槌まで取り上げられて、揚句は鬼うち豆で追い払われてしまいます。あの筋立てはその後がどうなったのかと気がかりでした。

 江戸のころから、花街でこの日人間の「節分お化け」が登場して以来の「お化け」の方が薄気味悪い存在です。節分お化けは、そうでなくとも怖い存在をますます怖いものにするようで、昔も今もこちらの方が数等恐ろしいもののようです。私も豆に追われないよう気をつけます。

 画像は昨年奈良の妹が、眼の手術後を心配して東大寺は二月堂の節分会にお詣りして、厄除け招福の豆を拾って送ってくれたものです。一年大事に神棚に上げていました。お陰様で眼の方は何とか回復したようで、日常生活にほぼ不自由はありません。
 イワシの頭を挿したヒイラギの小枝が、般若寺から奈良坂を登る道沿いの家々の戸口にさしてあるのを見て、奈良という町の歴史の奥深さをしみじみ実感したことを思い出します。





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4 コメント

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Unknown (東風)
2015-02-06 14:29:20
ご無沙汰いたしました。(^-^)ゝ゛東風です。寒さが続きましたがお身体の塩梅はいかがでしょうか?我が家でも恒の倣いで庭で伐った柊に鰯の頭を挿して門に下げ、鬼打ちの豆を撒いて節分が終わりました。節分お化けはそちらでもあるのですね。花街の遊びだったようですが、昔昔に父に少しだけと見せてもらい、幼心に大人達の奇しい昂りにふとあとずさりしたことを思い出します。
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奇しい昂り (ふくら雀)
2015-02-06 21:59:41
お久しぶりです。介護疲れでふさいでおられるのではと案じていました。大阪でも旧家では今も古いしきたりを守っていらっしゃるのですね。羨ましいしきたりです。

節分お化けは、幼い日、禁じられていた駅からの近道は、遊郭と呼ばれていた一画を通ることでした。節分の夕刻に、垣間見たおどろの風体に仰天した記憶があります。最近ではほとんど聞きません。京阪では今もこの風習があるとか。
コスプレも博多辺りは別としてこちらではあまり見かけません。
春風の季節もすぐそこです。ご自分のお体を大事に、元気にお過ごしくださいますように。
コメントありがとうございました。
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Unknown (東風)
2015-02-08 18:59:49
雀さん、いつも、私のことを案じてくださってほんとうにありがとうございます。お察しくださるように、施設にいてくれるとは言え、やはり様々に心は疲れるものですね。聞いて忘れてしまうことのできないことばも多くて心があふれる日が続き、何も話せなくなる時があるのです。そんな時はただ黙して,坂を歩いてみたり橋を渡ってみたりいたします。
時が惜しみなく流れて、こんな気持ちを流し去ってくれたらと土佐堀川を眺めて思ったことです。
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流れ去る水 (ふくら雀)
2015-02-09 23:11:21
方丈記の冒頭を思いました。お辛いですね。私にもおぼえがありますが、今はもうすべて忘れることができました。
東風さんもきっと時が経てば、どうしてあんなに苦しんだのかと思える日が来ます。
今は右から左へと流し、辛抱するしかないでしょうね。ご自身が気分転換をして、変わるしか仕方がないと思います。
それにしても東風さんは、繊細でやさしすぎる方ですね。元気を出して人の居ないところで大きな声で歌ってみては。
悲しみから立ち直るのは東風さんもなさっているように、動くことです。人は動きながら悲しむことは難しいと思いますから。
病院通いが続いていてパソコンも開かず、コメントを拝見するのが遅れてしまい申し訳ありません。
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