ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

開発から取り残された水戸街道・若柴宿

2019-06-17 07:27:31 | 日記


宿場町巡りをしていると、大内宿(福島県)、馬籠宿(岐阜県)のように観光地として生
き残っている場所がある一方で、観光客どころか地元の人たちにも忘れられた存在として、
ひっそりと佇んでいる宿場があります。私の住む茨城県龍ケ崎市にはそんな宿場町、水戸
街道・若柴宿が残されています。案内板はありますよ。でも観光案内所も、お土産店もあ
りませんし、街中にある食事処はそば屋が一件だけです。宿場全体は大きな林に囲まれた
閑静な場所なので、事前に知識を仕入れておくと、誰にも邪魔されずに残り香のような江
戸時代の面影や、当時の生活の息吹を感じることができる街歩きが楽しめます。

<江戸時代の水戸街道>
江戸時代の初期、幕府は江戸と全国を結ぶため、東海道や日光街道等の基幹五街道と共に、
それぞれに付属するバイパス的な街道を整備しました。水戸街道は日光街道の付属街道の
位置づけですが、水戸徳川家と江戸を結ぶ重要な街道で、五街道に次ぐ重要な街道でした。
水戸街道は現在、国道6号線の愛称として使われています。街道整備は当初参勤交代のた
めでしたが、その後の生産力の向上や、お伊勢参りなど、庶民が行き交う場所として大い
に利用されるようになり発展しました。

<取り残された若柴宿の背景>
水戸街道・若柴宿は日本橋から8番目の宿場で、牛久沼を迂回する高台にあり、藤代宿と
牛久宿にそれぞれに一里ほどの近さであったため本陣はありませんでした。明治以降の地
域開発を担った国道6号線が牛久沼東側に開設されたため、少し離れた若柴宿は開発から
取り残されました。そして、追い打ちをかけるように明治19年(1886)の大火で宿場の
ほとんどが焼き尽くされ、文献も灰にしてしまいました。そんな若柴宿を構成する最大の
特徴は大名行列が通る主幹道路の両脇に、行列に遭遇しないための生活道として脇道路が
作られていることです。ですから幅広なメインストリートの街道とそれを挟んだ幅の狭い
脇道路の2本の道で構成されています。現在の若柴宿に残されているのは、これらの道と
その道を繋げる幾筋の坂道、そして、火災以降に建てられた立派な門構えの家だけです。
そんな小さな宿場町ですが街中を隅々まで歩いていると、往時の宿場町の面影を十分偲ぶ
ことができます。

<若柴宿を、ごあんな~い!>
若柴宿の特徴は多くの宿場に見られるように、入り口に木戸を設けて、通路を桝形にして
いる構造が踏襲されていること。もうひとつ面白いのはこれも多くの宿場で見られるが、
入り口と出口に宗教施設を設けていることです。ここでは藤代側には八坂神社、牛久側に
は金龍寺があります。この八坂神社から金龍寺までの直線500mが若柴宿で、この中に旅籠
が並んでいました。金龍寺前の桝形を曲がった先には宿入口を守る鎮守の星宮神社が鎮座
しており、宿場の立地が計画的になされた形跡があります。

改めて「若柴宿」をごあんな~い!常磐線・佐貫駅を下車して若柴宿に向かいます。今回は
「大坂」から歩きます。大阪と名付けられた坂道には「これより若柴宿」の看板があります。
ここを上り切った所が桝形で、右側に祇園祭が行われる「八坂神社」があり、そこに大きな
「若柴宿案内図」があって、宿場はここから始まっています。特に八坂神社から主幹道路を
歩く町並みには、「四脚門」や長屋門を構えた旧家などが並び、表札を見ると同じ苗字の方
が多いことに気付きます。こうした背景から旧家が多いと想像できますし、そこに独特の雰
囲気が醸し出されています。確かに堂々とした旧家が並んでいます。

もう一つ、若柴宿は、藤代や佐貫周辺の低地から上がってすぐの段丘上にあるため、旧水戸
街道から段丘を降りる坂が幾筋も延びています。延命寺坂、会所坂、足袋屋坂、鍛冶屋坂な
どの名前がついている当時の生活道路です。それぞれの坂道を降りたところは根柄(ねがら)
道と呼ばれる生活道と連結しており、この道が大名行列を避けるための脇道路でした。歩い
てみるとどの坂も昔の雰囲気を残していて、江戸時代にタイムスリップしたような錯覚に襲
われます。全ての坂を歩きましたが、多分この坂道が一番印象に残るのではないでしょうか。
散歩道として私は気に入っています。

宿場の終点にあるのが「金龍寺」。「牛になった小坊主」、「わら干し観音」などの伝説が
ある古刹です。境内裏手の木立の中には南北朝時代の武将新田義貞の墓もあります。この寺
の入口で迎えてくれるのはムクノキの巨樹です。巨獣が大地を闊歩するような根張りの成木
と枯死の気配が漂う老樹の対照的な二本です。現本堂は安政5年(1858年)に再建されたも
のと書かれていました。

金龍寺前の桝形を曲がって暫く歩いた先に見えるのが北斗七星、北極星が由来とされる「星
宮神社」です。現在の社殿は江戸時代の再建で平成元年に修理されている。境内左手の「駒
止の石」には言い伝えがあり、往時、平定盛がこの社の前を通りかかると馬がこの石を見て
動かなくなったそうです。石の傍らを見ると祠があって、これは日ごろ信仰する星大明神で
あった。これは神様のお引き合わせと、ねんごろに参詣すると馬は動きだしたそうだ。もう
一つ、大銀杏も有名です。

ここから大名行列を避けるために作られた脇道路としても使われた星宮神社の参道に入りま
す。場所としては主幹道路を挟んで根柄道の反対側になります。暫く参道を歩くと現在は水
がない「御手洗の池」に出ます。この池で身を清め、この丘陵地を切り開いたとされます。
ここから仲宿坂と名付けられた小径の坂道を上って主幹道路に出られますが、この坂道も良
い雰囲気です。更に先に進みますと、ケヤキとスダジイの巨木の一対が鳥居のようにそびえ
る森閑とした場所に出ます。この巨木の間をくぐるように階段があり、その奥に小さな社が
見えます。そこがしゃもじと折り鶴がたくさん下がった「鬮(くじ)神社」です。この地域
には、多くの屋敷神が祀られていたそうで、この祠も某家の氏神様で、クジ(運)の神様だ
ったそうです。ここでフクロウの鳴き声と飛び立つ姿を目撃しました。

そこを過ぎると流坂を通ってスタートの八坂神社に戻れます。帰路はもう一度、宿場町を歩
き、途中にある足袋屋坂を下りて根柄の道を歩きました。ここには「椿の小径」があり、藪
椿の群落と葦が生い茂る湿地が残っています。この根柄の道を歩いていると、新田開発され
る前のこの辺り一帯の低湿地の原風景が見られた気がして、主幹道路歩きより、この脇道路
や主幹道路と繋がる坂道を歩くだけで、若柴宿巡りをしたリターンは十分に得られると思い
ます。これで若柴宿を完全制覇です。

お時間がございましたら是非お越しください。
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