(第1回 チョット読む)
都代子の身体の線が彫られていく。木屑が落ちる。金槌で鑿を打つ音が都代子の耳から離れない。音が内部を震わせる。都代子はしゃがみこんで耳を塞ぎたい。頭の中が削られていくようだ。
都代子は裸で立ちつづける。恩師の森孝俊は彫る手を休めない。
木から現れはじめた女に、都代子は不気味なものを感じる。内奥が削られ、自分が消されてしまいそう。実体がすべて木の女に吸いとられそうで不安が募る。
呼吸をすることだけに都代子は意識を向けようとした。だが木の女を都代子は見てしまう。腋から二の腕へ、冷たいものが伝わっていったような気がする。
目が眩んだ。一瞬、身体が頽《くずお》れそうになったが、眩んだ瞼の闇に、光が拡がってくると、再び木の女が目に入った。心を奮い立たせる。
「先生、鏡はありません?」
彫刻家は、手を止め、訝しげにモデルを見る。
「必要なのか?」
不機嫌そうな彫刻家の顔が、都代子の考えを変えた。
「いいえ、ただ訊いてみただけです」
「少し休もう」
都代子は木の女に近づく。木の女は動かない。
森孝俊は若いモデルを探していた。教え子の都代子が思い浮かんだ。頼んでみた。予想は外れた。都代子はその場で快諾した。
かつて彫刻家は若い妻を失った。酒に溺れ、生活が乱れた。虚栄に突き動かされて、木を彫ることに没頭した。そうして生まれた裸婦像は、出世作となったが、死んだ妻の面影が残っているといわれる。その妻と今の都代子が同じ歳だということを、彫刻家は語ろうとは思わない。
善良な妻は裸になるのを拒んだ。彫刻家は仕事の成功のために妻の着物を剥いだ。妻は泣いた。三十年が経っている。孝俊は富を得て再婚した。孫が五人いる。
亡くなった妻がそうであったように、都代子は彫ってみたい女であった。孝俊は言うのを躊躇っていたが、声をかけてみると、都代子はあっさりと脱いだ。
木の女を眺めながら、老いた彫刻家と若いモデルはコーヒーを飲んでいる。都代子が花林糖を手にとる。
赤い爪に挟まれた菓子が垂直に立ち、彫刻家の目の中で、木の女の太腿に重なった。
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