ある晴れた日の・・・

コメントへのお礼とお詫び


※どれひとつ、同じものは無いけど、、、きれい💕



今晩は🌙✨

まだ(お)外にいて、不良主婦しています(笑)=午後9時現在=
今は、戻りました(^^;


コメントをいただき、
多分、非公開なのだろうなーーと

迷ったので、

コメントの返事ということで

コメント欄ではなく
こちらにしました

私もずっとミッション(キリスト教系)にいたので
毎日、2限目に礼拝があったり

読むともなく?曽野綾子さんの《神の汚れた手》と
書名は、え?なのですが
読みました

神様に選ばれた子供なのだと
読んでいて感動するのですが

以前、永六輔さんが、
人間は健常者に生まれ、やがていつかは障害者になる
という意味のことを言っていたのを、雑誌で読みました。

こちら→
『障害者を先輩、健常者を後輩と言うのはどうでしょう?』など、
数々の名言を残していらっしゃいます。

我が家も
父が喉頭癌で声帯を取ってから
(喉頭→食道→肺までひろがっていました)

亡くなるまで筆談で
障害者手帳をいただくことになりました

今は難病指定を受けると
全てではないですが、障害者認定を受けることが
できる場合があり

え!?この私が?と
ショックのあと、徐々に受けいれていくしかないことも
あります

ある日突然にです

なので、健常/障害という言い方が
いいのかどうか、、、さえ疑問はありますが

簡単に語れないことだとも思っています

それから
愛犬のことですが

亡くなって2年以上経っているのに、、、と
言われても仕方ありません

なので、プロフィールに追加で書きました

今でも亡くなったワンちゃんの記事を読むとダメで
ついつい泣いて落ち込んでしまいます

また、動物虐待の記事もずっと尾をひいて
辛くなり読んだことを後悔します

まさに《悲しくてやりきれない》思いです

もっと心が弱った感じがします

我が家もセキセイインコを頼まれて順次三羽引き取ったことがあり
全てどこかから逃げてきたけど
世話ができないから
面倒を見てくれというものでした

一羽目が鳥籠の中で亡くなって硬直した時は、
触ることすらできませんでした

愛犬の場合は
自分で看取り
その時の最期の様子がずっと消えずに
毎晩、繰り返し思い出して
ようやく吹っ切れそうになったのは半年後でした

それが何かに影響したかはわかりませんが
自分の中で線を引く癖はつきました
諦めというものなのでしょう

纏まりなくダラダラ書いてしまいましたが

何度かやめようかと思ったブログですが
真剣に読んでくださって

迷いながらもコメントをくださることに
感謝と申し訳なさを感じ

こちらに書きました

泳友で愛犬を亡くして10年以上経っても
昨日のように話す方がいらっしゃいます

すぐ次のワンちゃんを飼ったことも後悔していると
おっしゃるのですが
既に十年以上

申し訳ないので
同じ墓には入れないという思いなのだそうです

人の気持ちはそんなにスパッと切り替えられないものだと
その方が教えてくれたように思います

それと、さらりとかわす方や
「私だって、、、」と、無視する方は
苦手なのだな、と
今回の(愛犬の)ことで気付きました

人の気持ちに寄り添うって難しいです
なので、個人個人心の中に封印してしまうのかもしれませんね

感性が近いとか響き合うのは嬉しいけど
悲しみや落ち込みが伝染するのも
それはそれで、、、心のバランスの取り方は難しい

そんなことを言うから
泳友に《ナィーブ》と言われてしまうのだわ!?

と、殊勝なことを書きつつも

これからも口の悪い関西のおばちゃんキャラで
毒を吐き続ける予定ですので

懲りずに
よろしくお願いしますm(__)m

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