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SY-Nak Official Blog

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「リエと私の10年間・・・その8」

2012-07-31 22:22:00 | ノンジャンル
☆ロンドンオリンピック真最中

7月の富士見のJシリーズ後、リエはSY-Nak cabin にやって来た。
オリンピック前の大切な時期をここで過ごす事を選んでくれた。

オリンピック出発までの約20日間、集中したメニュートレーニング、リラックス&スキルUPを目指したトレイルライド、しっかりとした休養を上手く組み合わせながら、日々を送っている。

これからオリンピックに向かう選手と一緒に、TVでオリンピック中継を観ながら日本選手を応援しているのは何か不思議な気持ちだ。

リエは今、何か特別な物に向かうような気負いも無く、何時も通りに、尚且つしっかりと大切な物に向かっている感じで、何か無理をしているという感じで無い所がいい。

大切なレースへの向かい方。
選手によって様々だし、同じ選手であっても、その時の自分によって異なる。
何処までストイックにやるか・・・
何処まで削ぎ落とすか・・・
何処まで追い込むか・・・

ストイックにやればやるほど良い訳では無い。
削ぎ落とせば削ぎ落とすほど良い訳では無い。
追い込めば追い込むほど良い訳では無い。

現在のBestを出せるように、最後の最後までトレーニングと調整と生活を組み立てていく。

リエは今の自分としっかりと向き合いながら、しっかりとBestパフォーマンスを出せる準備を進めているんだと私は感じる。

オリンピックに出場する一流のアスリート達が、全力を尽くしてピーキングをしても、それが上手くいかない事が多々ある。
経験やカンという物が大きなウエイトを占めるピーキングも、やはりどうにもならない運という物に左右されてしまう事もある。
非情とも思える事もあるけれど、そこにまたスポーツの面白さがあるとも思える。

オリンピックは特に、競技の結果によっての明と暗が顕著に別れる。
そこまでの努力は一緒なのに、最後の最後のほんの一瞬で別れる明と暗。
その差は一体何なんだろうと思う事もある。
でも、それがスポーツ。

それがスポーツであり、一般の人達はそういう見方で良いと思うけれど、本人やその身近な人達、本気で応援する人達は、最終結果だけで、全ての評価はしないはずだ。

勿論、より良い結果を求めているし、Bestパフォーマンスが出せる事を信じている。
それば選手本人の気持ちと同じ。
競技を終えた時も、同じ気持ちになるだろう。

リエがオリンピックに向けてここでトレーニングをし、生活をするのもあとわずかだ。

つづく・・・



会えて良かった~

2012-07-27 22:41:00 | ノンジャンル
今日は、ツーリング気分の軽いライド。
大学の先輩も来て下さっていたので、美味しいランチを挟んで。
ランチ中に雨がザーッと来たので、ゆったりと雨の上がるのを待って再び出発した。

そこを通る度に気になっている場所があった。
話には聞いていたのだけど、BIGなジャンプやバームがドーンと作られている場所があるのだ。

今日は、そこを通ると暑い中、重機を操って1人淡々と作業をしている人がいた。
栗瀬裕太

昔、馬鹿でかいバックフリップをやっては病院送りになっていた彼は、とても印象強い選手ではあったけど、何処か切れたヤンチャ坊主のイメージしか無かった。

少し前にテレビで、富士見のダートコースを真剣に作っている姿が映し出されていて、意外な一面をみた気になっていた。
そして、少し前に富士見の会場で少し話をして、彼がやろうとしている事、やっている事にとても熱い物を感じたし、思いを形にする為にコツコツと地味に取り組んでいる事がスゴイなと思った。
あのバックフリップの派手さとは裏腹に!

ここから夢が膨らんでいく!
これからがホント楽しみだ!

作業の手を止めてしまったけれど、お話出来て良かったな。

再び乗り出して暫くいくと、「辰吾さん~」の声。
振り返るとマサミだった。
「CYCLING japan 」の取材で、清里方面に昨日から来ている連絡は受けていたけど、会える時間があるか?状態だった今日。

偶然にも、こんな所で会えるとはとてもラッキーだった。
そして、取材の合間を縫って、SY-Nak cabin にも立ち寄ってくれた。
レースとは離れてしまったけれど、こうして自転車と関わった活動をし続けてくれている事が嬉しいな。
懐かしい楽しいひと時を過ごしたのでした!





「リエと私の10年間」・・・その7

2012-07-24 20:46:00 | ノンジャンル
☆2011シーズンオフ

私は自分の使命を終えたつもりで、その後も身体的に厳しかったけれど、シーズンを走り終えシーズンオフに入った。
もー、いいんじゃない?
本気でレースを辞める事を考えた。
これまで真剣に辞める事を考えたのは、2000年のシドニーオリンピックのシーズンを終えた時と、この時だけだ。

まずは、このまま、何となく続けてしまわないように、オフという感じでは無く辞めるつもりでしっかり休んだ。

身体はあまりパッとしなかったけれど、今までの延長としてやるのでは無く、自分自身の身体と向き合いながら自然体で新たに取り組もうという気持ちになっていった。
そしてもう15年以上お世話になっている「平スポ」の石井さんによるケアのお陰と、3月に受けた整体がはまり、レースを走れる状態になっていった。

リエは後半のワールドカップを欠場せざるを得なかった事もあり、オリンピック枠の獲得が難しい状況になっていたが、最後まで諦めずポイント獲得の為にワールドカップを中心に世界を転戦する事を決めていた。
同じ失敗を繰り返さないように様々な対策も立てていた。

☆2012海外のレース開幕

リエは良い感じでシーズンインし、調子も上げていっていた。
昨年は、ヨーロッパに長期滞在しながらレース参戦していたが、今年は日本とヨーロッパを行ったり来たり。
移動の疲れ、時差の事を考えても、その方が体調を整え易いし、一人きりの移動にならないように手配して、昨年の失敗を繰り返さないようにしていた。

4月半ば、ベルギーでの第2戦を前に、リエはかなり調子を上げていたようで期待してLIVE放送を見ていたが、そこには好調なリエの姿は無かった。
向こうに行って体調を崩したらしかった。

帰国して、全日本ロードを走り、再び渡欧。
チェコはボロボロ。
「やばいです~」のメールまできた。
でも、昨年の教訓を活かして最善の調整をして、翌週のフランスでは絶好調では無いもののしっかり結果も残した。

☆ロンドンオリンピック選考会

3度目の八幡浜でのオリンピック選考会。
女子は自力で枠を獲得出来なかったが、まだ出場出来る可能性はゼロではなかった。

出場枠が回ってきたら、ここで勝った選手が出場出来るというのもおかしな話で、例えトラブルがあってリエが勝てなくても他の選手が行く事は無いと思っていたが、選考についての詳しい事は述べられずにレースを迎えた。
行くべき選手はリエしかいない。

自分自身、オリンピック選考会という位置づけでは無かったが、ロード時代も含めて7度目のオリンピック選考会。
オリンピック選考会というレースがどういう物であるかを自分が一番知っているはずなので、オリンピックを目指して走る選手に敬意を持って全力で臨んだ。

リエは全く危なげなく勝ち、ロンドンに向けて自分が出来る事を総て終えた。
北京オリンピック代表の座を射止めた時に、ケロッとしていたように、今回もケロッとしてるんだろうと思ってた。
ゴール後、大泣きしていたのを後で映像で初めて知った。
様々な思いが込み上げてきたんだな、ここまで良く頑張ったな、と思った。

☆全日本選手権

レース前にキャビンに一泊してくれたので、露天風呂で語り、また試走も少し一緒にしたりした。

国内では断トツの力を持ち、全く危なげなく勝てる選手でも、試走をいいかげんに済ます事は無い。
最速ラインを歩いて探してみたり、どこを通るのがBestか何回も試してみて、しっかりチェックしたりしている。
レースに向けて、やるべき事をしっかりやってしっかり走る。

そして、全日本9連覇を危な気なく達成した。
前にも少し述べたが、いくら強いリエでも本当に調子を崩している中で、必死な思いで勝っていた時もあり、連勝を途絶えさせずに記録を伸ばしてきた。

はたから見れば、勝って当然と思われがちだけれども、当然を当然にやり続ける事は本当に凄い事だと思って私はみている。

☆ツール・ド・美ヶ原ヒルクライムの会場で

6月末、日本に枠は回って来ないのかヤキモキしていた。
リエはこの時、アメリカでトレーニングしていた。

私はヒルクライム会場でその嬉しい知らせを聞いた。
間も無く、Facebookで正式情報が流れまくった。
嬉しかった~。
最後まで諦めずに、闘い続けたリエの思いが形になった。

つづく・・・


2012 All Japan

「リエと私の10年間」・・・その6

2012-07-21 21:15:00 | ノンジャンル
☆2010 アジア大会

アジア選手権から2ヶ月弱でのアジア大会。
私はトレーニングも順調に進み、大会に向けて調子を上げていけた。
アジア選で好調だったリエはその後の1ヶ月位はすこぶる好調だった。
ところが、大会1ヶ月前位に大きな風邪をひき体調を崩してしまった。
11月初めに、アジア大会の為の合宿を組んで貰ったが、リエは随分小さくなってしまった感じだった。
アジア選の時の強さは随分失われてしまっていた。
あー、どうしてこの時に・・・
と思ったけれど、それでも大会まで1日1日コンディションを上げていけるように真剣に1日1日を過ごしていた。
試練はまだ続き、大会前日の試走でリエは転倒して少し怪我まで負ってしまった。
それでも最後まで全力を尽くした。

結果はリエが銅メダル、私は5位だった。
私は今シーズンBestな走りが出来たと思っている。
リエに関しては、本当に良い体調でBestな状態で闘わせてあげたかった。
終わってから、この大会に向けてのトレーニングを一緒に見返してみたりして、ここでこうしておけば良かったかも、というような反省点はあったけれども、その時点ではそれがBestと思える事に取り組んできたので、悔いが残るという感じではなかった。

私自身はやり切った感があった。
レースのけじめをつけるにはこのタイミングが一番良いようにも感じた。

しかし、来シーズンはロンドンオリンピックの国別枠を取る為の大切な年であった。
私がその為に出来る事といえば、たかがしれているけれども、アジア選手権ではかなり高いポイントをプラス出来るし、ポイントのつく国内の2レースをきちんと走る事で少ないながらもポイントをプラス出来る。
自分が走る事で少しでも貢献出来るならば、それはやるべき事だと思ったし、最後の使命かなと思った。
私はレース活動を続行する事にした。

☆2011

この年に頑張るのは4月の八幡浜、6月の中国でのアジア選権、7月全日本。
それだけだ。
そこでUCIポイントを1点でも多く取る事。
自分自身に使命を課し、取り組む事はきつい事ではあるが、それに向かっていける緊張感と心地良さがある。
そして、この3つの大会に関しては、今、自分自身の出来る最高の結果を得られたと思っている。
今の現状ではもう1ポイントも加算出来ないと思える結果を残せた。
自分の出来る事はやり遂げたという満足感があった。

☆アジア選手権

振り返ってアジア選手権。
ここで日本が優勝すれば、UCIポイントに関係なく、オリンピックの枠を獲得出来る。
昨年の結果を見ても、中国のエースは頭一つ抜きん出ている感じで優勝はかなり厳しいものと思っていた。
ところが中国のエースは怪我で欠場。
中国の二番手はリエと勝ったり負けたりしている選手。
リエにも充分にチャンスがある。
ここで決めてしまえば、ポイント獲得の為に過酷なスケジュールで無理をしてリエはワールドカップを回らなくて済む。

この時、エリート女子は3人体制。田近いくちゃんと3人でレースに臨んだ。
3人とも一つの同じ物を目指して、心を一つにして闘いに臨んだ。
出来る所は一緒に試走をしたりしながら、それぞれのペースでコンディションを整えていった。

そしてレース前日、「まじですか?」
同室だった私にリエは鼻水をかみながら「風邪ひいてしまったみたいです・・・」
その夜は結構辛そうだった。
それでも、レース当日はあまり多くは語らず、お互いにたんたんと準備を進めていった。
どんな状況でもリエはBestを尽くす。
私も余計な事は考えずに自分のBestを尽くすのみだった。

結果、リエは2位。
私は5位。
いくちゃんは、パンクのトラブルで走りに走り、脚をつりながらも懸命にゴールした。
ここで枠を摂る事は叶わなかったが皆がその時点でのBestを尽くした結果だった。

☆全日本選手権

振り返って全日本選手権。
リエは、ポイント獲得の為にワールドカップを回っていたが、カナダのレースを走った後、アメリカのレースをキャンセルして帰国していた。
オーバーワークで走れなくなっていた。
そんな状況で帰国して間もなくの全日本だった。

こんな状態で全日本を走るのは勇気がいる。
勝って当然の選手だから。
でも、リエはいつも恐れずにどんな状態でもBestを尽くして挑んでいく。
それまでの7連覇だって、決して良い状態で全日本を闘ってきたわけではない。
こちらが「大丈夫?」と心配になるような時でも、その心配をよそに勝たせてもらえる時は無かった。
勿論、私はそんなリエを見て、自分自身の勝機を見い出し全力で倒そうと挑んだ結果だ。

そして、この時もしっかりと勝てるレースを組み立て8連覇を達成した。
私は破れたけれど、しっかりと2位を獲得して出来るポイントは稼いだ。

☆全日本選手権を終えて

3つのレースを終えて、私は自分自身に課した使命を全うしたように思っていた。
ここで今シーズンのレースを終える事も考えたが、調子も良かったし何となく成り行きでレースに出続けた。
肋骨骨折、ペンションが最も忙しい8月に、こんな所でやってはいけない怪我だった。

リエは全日本後、SY-Nak cabinで休養、リフレッシュしながら9月の世界選手権で復活する事を目標にトレーニングも少しづつ進めていった。

私は怪我で仕事がまともに出来なかったけれど、リエがいてくれたおかげでなんとか夏を乗り切れた。
せっかくリエが来ているのに一緒に走る事は出来なかったけれど・・・

☆9月~

リエの調子も上がってきて、世界選手権出場にこぎつけた。
どれ位走れるのか不安もあったけど、良い成績を求めるのではなく、今回は出る事に価値があると思っていた。

リエの世界選のレースはスタートは良くなかったし、順位を上げてきた所で大きな転倒もあり、復帰戦は上手くいかないかに見えた。
ところが、その後順位をドンドン上げて行き、終わってみれば好調の頃に近い順位でゴールする事が出来ていた。
やっぱりリエの居場所はここだ。
決して満足してはいないけど、テレビで見たその表情は晴れ晴れとしていた。

それでも、またここで調子に乗って同じ事を繰り返さないように、レーススケジュールなどは組み直していた。

一方私は、肋骨は完治したけれど、身体のバランスが崩れたようで今度はひどい腰痛に襲われていた。

シーズン後半は思い切り走れなかったけれど、そうした中で何とかしていく事も学んでいった。
最終戦の瀬女では、悪いなりに良いコンディショニングが出来て、まずまずの走りが出来たので、これまでとはまた別の喜びを感じる事も出来た。

こうして2011年シーズンを終えた。

つづく・・・


2011 Sena

「リエと私の10年間」・・・その5

2012-07-19 21:53:00 | ノンジャンル
☆2010年春、富士見でのレース

リエは春先からヨーロッパに渡り、本場でレースを重ねていった。
私は自分の拠点で強くなっていく、リエに離されなように頑張ろうと思っていた。
リエはアジア大会での金メダルを目指して頑張っている。私はメダルを目指して頑張る!
リエはヨーロッパのレースでも活躍し、確実に力を付けている様子が伝わってきた。
一方の私は、力がついた感触は無く何とも変わりばえせず、シーズンインとなっていた。

5月の富士見でのJシリーズでリエが帰国。
どれだけ差を付けられるのかが怖かった。
いつもなら、コテンパンにやられても一緒のレースを走れる事が嬉しかったのに、一緒に走るのがイヤだった。
レース前の試走も少し一緒にしたけど、その強さはヒシヒシと伝わってきた。
相当差を付けられる覚悟で臨んだレースだった。

覚悟はしていたけれど、ドンドン離れていくリエを見ながら、自分はドンドン走れなくなっていった。
タイム差以上にどうにもならない大きな差を感じて、イヤになってきてしまった。
なんとかリズムを作り直そうとレース中に試みたけど気持ちがダメだった。
アジア大会を目指してリエに離されないように精一杯やってきた結果がこれ。
自分に限界を感じてしまった。
リエと一緒に走りたくない・・・
こんな気持ちではもう、レースを走れないんじゃないかという危機感に襲われた。

それでもアジア大会という目標を捨てるわけにはいかない。

その後、すぐに富士ヒルクライムのレースがあり、招待されたリエと私はレース前日のブースでのお手伝いが長引き、夜遅くに宿に戻った。
翌朝は早い。少しでも早く寝たい所なのに、宿の露天風呂に一緒に入った時についつい話し出してしまった。
それまでも、私はちょくちょくリエに弱音をはいたりしてたけど、この時は、他のショックな出来事も重なり大きな弱音をはいていた。
大切な睡眠時間を奪ってしまったけど、リエは話してくれて嬉しかったと言ってくれた。

話して少し吹っ切れて、とにかくアジア大会に一緒に出場出来るように7月の全日本で2位になる事だけを考えてその後を過ごした。

☆2010全日本選手権

全日本選手権は1発勝負の国内では一番大きな大会。
レースでは何が起こるか解らないので、例え力の差があっても、何とか勝機を見い出し、1番を狙って走るレース。

私はこれまで沢山の全日本選手権を走ってきたけど、1番を狙わずに走るレースは今回が始めてだった。
それは、アジア大会に行きたかったから。
着実に2番に入れば行けるはず。
2番を取る事にも危機感を感じていたけれど、絶対に2番になれる事を信じてレースに向かった。

メンタル的にも富士見のレースを克服出来、最後まで自分のレースに集中出来て、しっかり2位に入りアジア大会出場を確実な物に出来たと思っていた。

後に発表されたメンバーに私は入っていなかったが、9月に行われるアジア選手権出発前泊の日に私がアジア大会のメンバーになった事が発表された。
(アジア選手権は毎年行われるMTB単独の大会。アジア大会は4年に一度のアジア版オリンピックのような物。この年はアジア選とアジア大会が行われた)

アジア大会代表に決まるまでは、
精神的にはかなりきつい物があったし、走りも冴えなかった。

☆2010アジア選手権

一時はアジア選手権を欠場する事も考えた。
しかし、2010年2011年のアジア選手権はロンドンオリンピック出場に向けたポイント獲得の為に重要な位置づけにあり、欠場する事は出来ない。

韓国で行われたアジア選手権。
その前にも私はリエに弱音をはいていた。
聞いてもらえる、解ってもらえる人がいるだけで救われた。
そして、アジア大会の件がスッキリし、現地に入れば男子も含めて志の高い選手達と過ごし、初めてチームにマッサージャーもついて頂け、コンディションを整えていけた。

それにしても、韓国のコースはかなり強烈なコースだった。インナーローで上れるか上れないか位の長い上りと、パワー系でテクニカルな急斜面の上りが軸となり、下りは一気に斜度のある直線でズバーと下る。
持久的、パワー的、総合的な体力が要求され、中国選手には圧倒的に有利に思えるコースだった。

この時、中国選手は3人出場しており、序盤から中国3人とリエの4人がパックとなった。
私はそれを見送らざるを得なかった。
私はこの時のリエの強さには驚いた。
金メダルは取れなかったけど、先頭を追い続け、他の選手を寄せ付けなかった本当に素晴らしい銀メダルだった。
私も、その時点でのBestは尽くせて6位に入った。

5月に抱いた危機感。
この頃には、リエと自分を対比する事なく走れるようになっていた。
2004年のアテネの選考会以降、リエはずっと私の前を走ってきたが、私はいつも対リエを意識してきたと思う。
世界を目指し、取り組み方も私とは違うリエといつまでも対比するなんて往生際が悪いけど、でも自分はそうする事によって、自分を高めてこれたと思っている。

でも、富士見のレースを堺にそうせざるを得なくなったという感じだ。
私はここまでやってきて、そうせざるを得なくなってしまったけれど、若い選手達には特にそう思っては欲しくない。

同じ日本人で同じレースを走る以上、ある意味対比する事は当然だろう。
同じレースを走る選手達には、負けて当然、離されて当然、と強い選手を無視して自分のレースをするのではなく、もっと対抗意識を燃やして、もっと挑んで欲しいと思っている。

つづく・・・


2010 All japan