東日本大震災以後、急速に悪化した病院経営の果てに、
2013年2月末を持って閉院準備のために、私物の本を整理中に
中村雄二郎著 「歓ばしきポエシス」に目が留まり、
ページを開き、
始めが ”グロッタの白いユダ リュビーモフ演出「カラマーゾフの兄弟を観て」だった。
東日本大震災後に、病院に拘束され続けた3週間の間にも、高校生だったころから50年ぶりに
米川正夫訳のカラマーゾフの兄弟を読み直した。
そして、2013年1月から、フジテレビで”カラマーゾフの兄弟”が
土曜日の連続ドラマとなっている。
5年間、日の目を見なかったというこのドラマ、
どういう切り口で、原作に迫るのか、興味しんしん。
ドストエフスキーの小説は、どれも心理ドラマで深い。
これまでか、これまでかと続くしつこく、長い、しかし、
短期間に起きた出来事を、父親殺しにいたる、心理描写を延々と詳細につらねられている。
しかし、真犯人と疑われるスメルジャコフの自殺で、犯人は永遠の謎として読者に残される。
”カラマーゾフ”気質、流、的など単なる姓ではなく扱われているカラマーゾフ。
カラマーゾフには、黒、罰などなどの隠喩としての響きが、ロシア語ではあるという。
フョードルの私生児スメルジャコフは、白いユダ
アリョーシャは黒いキリスト
ゾシマ長老はアリョーシャに向かって
”ここは(僧院)当分お前のおるべき場所ではない。お前が娑婆世界で偉大な忍従をするように、今わしが祝福してやる。………
娑婆世界に生きるアリョーシャを描く続編への期待を読者に残し
ドストエフスキーは黄泉の国に去ってしまった。