拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 必撮無眼流 ~ 魂源

2016年05月15日 | 必撮無眼流
 先日、コンテンポラリー写真展の話をしたけど、そもそもボクは『コンテンポラリー』について何もしらない・・・というか、知りたくて調べよう
 という気が起こらないタイプの人間であるからこそ、『写真』と関わったのであろう・・・という意味で『視覚から得る感慨』こそが『写真の本質』
 であるべき・・・と思っている人のまま、コンテンポラリーと云われている写真を見たけど、さっぱりわからないというレベルより腹が立つレベル
 であったわけだ。

 そもそも、写真に『言葉』が干渉してくるところに、写真をダメにしている現代としての『コンテンポラリー写真』の存在・・・・とかなんとか
 書いている自分にすら面倒臭くて、洒落臭くて、気が短いボクは、書くことでより一層本質から遠ざかる馬鹿さ加減に気が滅入るのだ。『喝!』

 しかし、考えてみれば人にもいろいろあるように、写真にもいろいろあるわけであるからね~、自分がわからない・・・というだけで。

 写真は、19世紀だっけ?出来たの?それも西洋で?フランス人、ニエプスとかなんとかあたり。

 だけど、ボクが思うのは(薄識であるので知らないだけ、の可能性を前提)
 視覚から得た情景『瞬景』を『五七五』調でまとめた俳句こそ写真以前の写真スピリットの原型であるのでは、、、ないだろうか。
    『古池や 蛙飛び込む 水の音』・・・例えば。

 だとしたら、日本人こそ写真魂のよりよき理解者であり、それゆえにこそ写真機の開発情熱において世界に先駆けて・・・いる理由なのだ。と思うのである。

 結論~芸術としての写真というのは、人の生き様としての魂源から発生する感慨や魂源への探求という自己の『魂源』への往復旅路・・・という所に落ち着く。


         
         写真は知り合いの子供ユイちゃんの後ろ姿だけど、三歳ぐらい?で強烈な個性の持ち主
         この子を見た時、この個性というのは何処から来るのだろうか?・・・と思ったわけだ。

コンテンポラリーこれでいいのか?

2016年05月10日 | 必撮無眼流
 2年おき?だったか催される、『Bienne写真フェスティバル』第20回を7日(土曜)にローザンヌから電車で一時間の仏独言語境界の街『ビエンヌ』へ行って写真を見てきた。

 このフェスティバルが開催中であることを、相方ニコルの友人から聞いて知った。 おお、、よかった・・・と思っていたら、
 その友人いわく『私は写真のことよく知らないからかもしれないけど、な~んかさっぱりわからんわぁ・・・』、っと言っていたという。
 まぁ、このフェスティバルについては過去3回は見に行っていたので、この人の云うこともよくわかる気がしていた。

 ・・・・が、これほどとは! というのが、今回ボクが見て感じた感想。
 いわゆる『コンテンポラリー写真』ということであるが、なんだか見ていて『情けない』・・・気がしてきた。
 ビエンヌの街7ヶ所に会場が分散されて(といってもいつもの場所である)、次はどんな写真かな?なんて期待するだけど、その都度ガッカリ。

 『コンテンポラリー』の場合、期待してはいけない!・・・っていうのが正しい見方なんじゃろか?(今、フールーで2010年NHK朝ドラ『てっぱん』を見ているので
  語尾が自然と広島弁になってしまう)

              
              これは写真ではないけれど、同じ会場に展示してあった鏡と鉄線の作品で、今回のフェスについてどこか象徴的印象

 第20回・・・っていうと、2年おきだから40年の歴史があるのであるから、かなり力が入っていて面白い展示であろう・・・と思ったら、肩すかし。
 昔のように人々の姿を自由に撮れる環境にない現代(コンテンポラリー)・・・コンポラ写真がこうなのもこれが第一の原因じゃろか?
 とも思わせる元気の無い写真群の前でボクはうなだれたのであった。写真がつまんない現代=コンテンポラリー・・・だからそれでいいのか、なるほど。


              
              こんな普通の写真はだめなんじゃろか?コンテンポラリーの場合。じゃったら俺は普通でいいわ!・・・の図
              

 必撮無眼流 ~ 馬鹿子雲

2016年02月12日 | 必撮無眼流
 実は、明日からなんと 一週間の馬鹿子(バカンス期の人)となる。
 今日はよりによって雪が降り積もった日であったが、明日からノンビリ・・・できると考えたらウッ・ヒヒヒという気分になってしまった。

 というのも、わが引越し屋は毎年1月中にその年のバカンス時期を決めて提出するのだが(これが結構難しい、と言うか決めがたい)
 1月最後の週に提出した翌日に、上から『あんたもう一週間あるでえ』と急に言われて『なんでや?』『なんでかようわからんが・・・』
 というわけで、これまで5週間だったバカンスが、何故か今年から・・・(といってもボクにとっては最後から二番目のバカンスになるが)
 6週間のバカンスになってしまった。
 せっかくだから、もっといい時期にバカンスを取ればいいものを、まだ寒い2月に取るなんて???と、自分でも思わないわけではなかったが
 まあ、滅茶忙しくなる3月に控えてここらでノンビリもいいかと、考えたわけである。

        

 自分のブログはほとんど読まないのだけれど、たまたま今回『必撮無眼流』のコーナーをみると2011年にこのコーナーを設けたようで、
 『無眼』という所に何か森厳な意味合いでもあるのかと思っていたら、単に自分の眼が老眼になってピントが自分で合わせられない・・・というような
 ところから『無眼』が来ていることが解って驚いた。そして自分は『写真家』ではなく『撮心家』である・・・というような一文があって『へえ~ッ』
 とも思和されたのであった。(たまには自分のブログも読まなければ、自分が何を考えていたのか全然わからないものである。)

 ボクはプシコ・テラピーも受けたことはないが、こうもブログが書けないのは、案外、何か『落ち込み』状態なのであろうか?

 上の写真は今日の空ではない。(今日は珍しく雪降積もる曇り空だった)馬鹿子気分のちょっと抜けた雲模様をみせたかったのかも。
 

2015年・我が写真大賞は・・・

2015年12月31日 | 必撮無眼流
 例年のことであるが、特に今年は『アッ!・・・』と言う間もなく終わった感しきりだ。

 クリスマス後、引越しが目白押しにあって、ガーッと突っ走って気がついたら『大晦日』だった。
 だいたい、日本だと大晦日に向けてだんだんとそれなりの情緒度が深まるのに、ヨーロッパだと、やっぱ無理か~ッ。

 今年も残すところ5時間ばかり、今から今年を振り返って『反省』するにはあまりにも時間不足なので、今年撮った写真に
 絞って・・・今年から自分・年度写真大賞・・・を選択・発表することを閃いた。

 実は、先日たまたま今年撮った写真をざっと眺めていたらこの写真に⬇︎⬇︎目が止まったのだ。
 8月末の日曜日の朝、Lutryのレマン湖畔に行った時、撮った一枚であった。
 ボクは『親子』・・・それもどちらかと言うと『父と子』が何故か多いのだけれど、テーマにしているようで
 この時も、どの父親もするように我が子を天に抱え上げる動作を何度もするので、これは!と思って咄嗟に撮ったモノ。

 後でじっくりこの写真を見ると、隣りに座っていたニコルが読んでいた新聞の見出し『J'adore être sur cette planète』と書いてあり
 その意味は『この惑星(地球)が大好きだ!』・・・というもの。 偶然なのか、ボクの写真・感がそうさせたのか?
 その心は? 『希望』・・・みたいな図になっていたのです。

 この写真に写っているスイス人親子はどう思っているか知りませんが、ボクには希望は希望でも山本太郎が最近言っている
 『絶望の先には『希望』しかありませんよネ!』・・・と言うところの『希望』を想起したものだ。

 ここスイスでも子供や若者たちの将来をこれまでとは違った次元で心配している大人達が沢山いる。
 いま地球規模で何かが大きく変わろうとしていて、我々はその過渡期の真っ只中にいるのだと思う。
 
 今、これを書いていて昔禅を修行していた時、老師から頂いた短冊の言葉『無事是貴人』を思い出している。
 同じ短冊を3枚ぐらい貰って、もっとカッコイイ短冊くれないかナ~・・・。と昔は何度も思ったものだけど。
 今はこの『無事』というのを、また別な角度で味わう事が出来るようになった気がせんでもない・・・

          
            いずれにせよ、子供達の未来は われわれ大人の肩にかかっているの図 2015年度一撮写真大賞受賞作
 
 
 

必撮無眼流 ~ 『七五撮』

2015年11月17日 | 必撮無眼流
 スイスという井戸の蛙が吼えている。

 これからの写真は 名づけて『七五撮』(シチゴサツ)・・・である!!と。

 すでに市民権を取ったかに見える『写真』+『俳句』・・・『写俳』という分野はネット上でもよく見かけ、ボクにとって馴染み深いものであるが
 これが、『短歌』となると『写短』??・・・と言うのはあまり聞いたことがない。なんといっても語呂が悪いだろう。

 ボクなんかツイッターを始めるキッカケとして2011年に『俳句』というより『川柳』的『五七五』を詠み始めた。
 俳句の基本である『五七五』以外は、規則ごとを一切考えない・・・というのが、ポリシーで写俳としても幾つか詠んだが
 最近は何故か『五七五・七・七』の短歌調が多い・・・というか写真には『短歌』のほうが相性がイイような気がしている。

 この『七五撮』であるが、インターネットの深まりによって、写真という分野で大きく伸びる分野であるとボクは最近とみに確信している。
 言葉の『壁』の問題はあるものの、写真をより深く楽しむにはこの方法はよりボクの嫌いな『コンテンポラリー』であると思う、初雪の土曜日の夜なのだ。


               
 
 


                        

必撮無眼流 ~ ホームページ着手

2015年10月28日 | 必撮無眼流
  今年で3年目になるJimdoなるオンラインホームページ作成サービスにお金は払っていながら、なんだかよく解らず放っておいたのが、何故か最近になって
  『機が熟した』のか?やる気とやれそう的気分が湧いてきた。

  だいたい、ホームページは写真家にとって必要なのか?
  2006年、9年前に初めてデジイチを買い、フォトショップ(エレメント)で写真を創り、プリントしたりブログにアップしたり、ボクですらPCを利用する写真活動が
  当たり前以上の状況になってきた今日、世の写真家にとって今や『アッたり前』のページといえるだろう。

  ボクですら3年前に、これは必須!・・・と思ったからこそ年間一万円也の金をはたいてホームページ作成の基を買ったのだから。
  しかし、デジカメにしてもPC操作にしてもフォトショップにしても・・・って言うかPCにまつわる全部は『自己流』なので、いくら簡単にホームページが出来ます!
  と言われても、いざやってみるとそんなに簡単なものではないということがわかる。
  だいたい解らない言葉が多すぎる。ドメインってなんのこっちゃ?そりゃあ、ググれば説明が出てくるけど読めばわかるっていうもんでもないよね。・・・みたいな
  感じで、本当に手探り、手探りで『我がホームページ』に着手しています。

  手を付けずに3年、着手してから1年・・・はかかるかも? 完成までどれくらい時間がかかるだろうか?
   (告白・・・いま『24』つまりTwenty Four というアメリカTVシリーズにガッツリハマっていて、まさに『24時間』なので・・・
         この『24』、日本では2003年にビデオで見ることが出来るようになり、レンタルビデオで爆発的人気をはくしたという。
         今、ボクはシーズン6を見ているが、大統領を補佐するスタッフの中でも憲法遵守と改憲側と意見が別れているところや、原発をテロの標的にしたストーリーなど
         容赦無い形で問題を深く掘り下げているところなど、現状の日本を考え合わせて見ると非常に面白い・・・しかし、380話もあるのが怖ろしい!)

  結論 ~ 特に貧乏写真家にとって『ホームページ』は必須である・・・と思える。
  ネット上で自分の作品が世界中の人に見てもらえる!?(うまくやれば!)
  プロの写真家達は高い制作料金を出して プロにホームページを作ってもらっているのだろうなぁ~。
  その点、ボクがやろうとしているホームページは、『Do it yourself』式なんで安いのが魅力であるが、視覚的にはクオリティーの高いものにしたいものだ・・・
  (スイスという言語面で、非常にややこしい国に住んでいる事もホームページ作成で、悩みの基となっているのだ。』
  乞うご期待!!


現時点では『Home』=表紙 は こんな感じ・・・英訳をいれたいんだけど。(めちゃめちゃ和風だよな)

 必撮無眼流 ~ ビタミンD

2015年09月13日 | 必撮無眼流
 今朝はどんよりと曇り、ほとんど雨が降ってもおかしくないような天気。
 相方は、すぐ近くで毎年秋催されるスイス物産展へ『ミシン』を見に出かけた。
 
 後で本人から聞いた話では 入場料を還暦をたてに半額に値切った・・・というのを聞いて、ついに『オバタリアン』の域に達したか、と
 呆れた。フランスでは60歳すぎるとセニア~料金システムがあるが、スイスは女性は64、男性は65歳からでそれも対象となる事柄も
 非常に限られている。だからいくらうちのオバタリアンがガタガタ言っても普通は半額になんかしてくれないはずなのに???

 ボクは近所のポルトガル人が経営するカフェでモーニングセット+Wifiがあるのでアイパットでツイター&FBなどをのぞきながらNHK日曜討論
 での木村草太氏の発言改ざん問題炎上などの様子をチエック・・・これがスイスの朝の10時ごろであったであろうか。

 アパートに帰る頃には太陽が照りだし暑いと感じた時、我が美しいホームドクターによる『ビタミンD不足』の診断を思い出した。
 事務員みたく室内で働いているわけではないのに、何故ビタミンD が不足しているのか、はなはだ疑問であるが、かと言って日光浴はこの夏も
 特にしていない事を思い出し、ベランダに椅子を持ち出し、辻邦生著『言葉の箱』Kindle版を読みながら日光浴をすることにした。

 この本の中に、こういう一節があった
 『Posie(詩)』という言葉はギリシャ語のポイエオ(つくる)という動詞からきています。
  つまり、言葉によって内面の世界をつくるということで、これはとても大事なことです。』

  それから こんな一節も
 『小説は、言葉でつくる箱のなかに世界を入れることだ』・・・

 などなど、我らが『写真』について当てはめて、これらの言葉を吟味してみてもなんと含蓄のある言葉であろうか・・・・

      
          
           我に不足しているのは、太陽の光と心のビタミンであった・・・の図

        
 

 

 必撮無眼流 ~ 整理整頓

2015年09月11日 | 必撮無眼流
 『怠け者』を自認する自分であるが、怠け者として取るべき『近道』がどうしてもとれない性癖が時折顔を出す。

  例えば今回、ある写真ソフトをダウンロードして現像したいテーマの写真に着手しようとした時、何故かほぼ十年間放ったらかしに
  しておいた元ラボ(2006年にデジカメを買うまで暗室として使っていたドジョウの寝床のような細長いスペース260x104x270
  の空間・・・)を『まず』なんとかあるべき機能的収納室として、片付けなければならない、という思いが立ちはだかるのであった。

  簡単に言えば『気が済まない』だけのことで、一日がかりで片付けた。
  一時はうまく収納するために棚を買わなければならないだろうか?と思ったが工夫した結果、ある物を利用するだけでうまく行った。

               
                  この写真がその結果に満足している自画自賛の図

  というのも実はこの写真は元ラボを整理整頓した後にダウンロードした30日間お試し写真ソフトで現像したもので、なかなか
  いい味をだしているように思えるのである。

  だいだい、写真は、特にデジタル以前は『怠け者』でいることを許さない『芸術』であった。
  白黒用フイルムは100フイート巻を暗室でフイルム仔分け機に入れてから36枚撮りのフイルムとして自分でフイルム缶に入れ、現像するときには
  暗室で手探りしながらリールに巻取り現像タンク(缶)に入れて現像液ー停止液ー定着液ー水洗いー乾燥・・・という過程を経てから
  フイルムを6コマずつ切ってフイルムカバーに入れ、密着現像した後にいい写真を選んで写真現像にかかるのだ。それからフイルム現像と
  同じ過程をへて紙焼き作品ができあがる・・・・・
  写真がこうのような手間のかかる作業があると知っていたならば、ボクは写真をしなかったであろうに・・・!
  幸か不幸か、ボクは写真の事をなんにも知らずに、写真学校に入った為、特になんとも思わずにこの工程をやっていたが、今考えると
  信じられないくらい『面倒くさい』フイルム、写真現像作業に加えて自分の考えているテーマに沿ってカメラで決定的瞬間・・・と云うのを
  撮るわけであるから・・・『怠け者』では写真家にはなれないのである。

  ところで、元ラボのドアに掛かっている禅の老師がたによる『書』カレンダーの9月は『惺惺箸(せいせいじゃく)』という禅語が見える。
  ググって見ると、解りやすい説明があった。

  『心の奥深くに住むもう一人の自分、その自分に対して問いかける『眼を覚ましていますか(惺惺じゃく)という声。
   変化や刺激のない生活を送る内に、つい眠ってしまそうになる自分の本心を励ます言葉です。
   人はつい、楽な道をいこうとしてしまうもの。それを正す本心が眠っていたら、どんどん怠けぐせがついてしまいます。
   日々のなかでも、自分に問いかけることを忘れず、しっかり目を覚まし、本心を偽らないようにしましょう。』
                                 『心がまあるくなある禅語』リベラル社より
  
  

深層・Exposition

2015年06月07日 | 必撮無眼流

 2ケ月という長い展示期間も半ば過ぎ、ポチポチと友人、知人、未知人が遠路、我が写真作品を見に来てくれて感謝に堪えない。

 小さなギャラリーに展示されている12点のマリアの写真は 2,3分もあれば全部見れてしまう規模のもので
 各人が作品と対面した瞬間に起こるであろう心的マグニチュードは外面からは感知することは出来ないし、しようとするのも面倒臭い・・・
 ということもあって、そのへんの期待は全く持っていなかった為か、時折彼等がもらしてくれる感想を聞いて、ボクは逆ギレならぬ逆感動・・・的気分
 に陥ることが再三あった。

          

 40年前に撮ったマリア像の写真群であるから、その時ボクはどのような心境でこの写真を撮ったのか?と自問しても正直良くわからないのであるが、
 そのマリアの佇まいに感動した事実だけが、オリジナル白黒写真が今回新たに色付き心象風景として作品が出来上がったものだろうとは思う。

 ↑↑上の作品を今回制作した時、ボクは人々が感じてくれたと同質の震動をもって制作したにもかかわらず、それを他人に期待する為におこる『期待外れの恐怖』
 を怖れるあまり、深層に閉じ込めていた『マグニチュード』が逆に他人によって刺激され、他人にそれが伝播する不思議にボクは感動したのだ。      

 必撮無眼流~ 写真展 Ave Maria・・・

2015年05月03日 | 必撮無眼流
 5月1日よりスイスはLutry村 世界五十一小さなギャラリー『Black and White』にて2ヶ月に及ぶ我が写真展『Ave Maria;With your child』が始まった。

             
                                   『Ave Maria;With your child』より 

 写真展を行うに当たりタイトルを求められた時、苦し紛れに『Ave Maria』に『With your child』を付けて落着した気でいたが、後で考えると
 『アヴェ・マリア』のAve~はラテン語で『や~』とか『こんにちは』の意味であるとは言うもののよりによって『安倍』を想起するあ『アベ』の一言が
 『祈るマリア』の前に付いていることに愕然としつつも、この必然的偶然に『親父ギャグ』ブロガーとして考え深いものを一人感じ入っていた。

 写真展オープニングの5月1日はメーデーでローザンヌでも各所でデモ隊が繰り出し道路も一時的に閉鎖された場所があったり
 加えて冷たい雨の降りしきる一日で、後で『行く気でいたが、冷たい雨で気持ちが萎えました・・・』というメールが納得いく一日であった。


 それでも30人近くの人が来てくれて小さがギャラリーが人で一杯になってそれなりの雰囲気で盛りあがり、楽しい一夜となった。

 『何故、いまマリア?』なのか・・・という自分の中での問いは、この写真展を見てくれた方々の問いでもあったと思う。
 40年前に撮った神戸のマリアのモノクロ写真にフォトショップで色を付け加えることで写真に込めた自分の『気持ち』をより明確にストレートに
 表現することを可能としたタイミングがこの現在であった・・・・ということの他に言いようがない気がする。

 写真を見に来てくれたスイス人の方々一人ひとりに、日本の政治状況に対する自分の危機感などをいちいち説明するわけにもいかず・・・
 いずれにしても 今ほど『愛』に向かう『祈り』というようなものが世界的に今一度喚起されるべき『時』ではないかと密かに思っている次第である。

            
             昨年、結婚式に招いてくれた若き友人ニコラが天使の如き9ヶ月の娘を連れて来てくれた図(02.05 2015)
  

 

 花猫風月~ Cats in the wind

2015年03月07日 | 必撮無眼流

  『インターネット』と、普段何気なく使っている言葉ではあるが、本当はなんだかよくわかってない。
  広辞苑によると~ 世界規模のコンピューター・ネットワーク。
           アメリカ国防総省が構築した実験的な軍事用ネットワークから発展し、大学・研究機関等のコンピュータ-の相互接続により
           全世界を網羅するネットワークに成長。パソコン通信のように一台のホストコンピュータがサービスを提供するのではなく
           全世界に分散するサーバーにより運用・管理される。
  
  ・・・コレを読んでも正直、ボクには良くわからないが、最近はツイッターなどを見ても兎に角、猫の写真が多くて『インターキャット』になりつつあるのでは?
  と思うほど特に『猫』の写真が多い。ボク自身は2011年6月頃、俳句でツイッターに参加したが、社会的、政治的ツイートを目にする事で今日本で何が起こっているか
  というような所に徐々に目が開かれ、最近は政治的動向に最大の関心を持ってツイートを見るのだが、2011年の3・11から遠のくにつれ、政治的、社会的
  ツイートと反比例するように『猫』の写真をアップする人が増えてきているような気がするのだ。
  この傾向というのは、猫は我々人間にとって最も身近で、魅力的で、癒してくれる動物・・・ということの単なる証明なのであるが、ツイッター上に猫写真ばかりが
  こうも増えるとボクにとっては少し『邪魔』になりつつある。『猫をして平和ボケ』症を狙った工作員の仕業か?・・・とまでは思わないが。

  そこで、猫を持って猫を制する・・・意味でボクも『猫写真』を『インター・キャット』することにしたので是非御覧ください。





                    

 必撮無眼流 - 宇和島の闘牛(1976)

2014年10月16日 | 必撮無眼流
  実はこの写真、本邦初公開なんです。撮ったのはなんと、38年前の1976年なんですから!・・・寝かして寝かして三十何年、ワインで云うと
  『76年モノです・・・』 深い味わいとコクがたっぷり・・・・的な寝かせかたなのです。

  しかし、何で『闘牛』なのか?・・・ということなんですが、今となってはあまり言いたくないような次元の動機なのですよ。
  当時ボクは24歳でわりとスティービー・ワンダーのファンだったのですが、ボクも彼も一日違いの5月生まれで『牡牛座』・・・っていうところが
  味噌だったわけなんです。凄い単細胞的、発想で恥ずかしいんですが。 まぁ、人生ってこんなものかも?(ボクのは、ですが、)

  日記は付けてなかったのですが、ネガカバーに書いてある日付のおかげで、1976年と77年にボクは宇和島まで行って撮影していた事がわかりました。
  しかも、第一回目に撮った写真に当時流行っていたシリーズ映画『トラック野郎』の若き日の菅原文太さんと愛川欽也さんが写っていたんです。
  ボクは生まれて初めて闘牛を見たので、その現場では映画の為のライトや俳優さんの存在に全く気付きませんでした。
  後で、ベタ焼きを見てから『アッ、菅原文太』・・・と気づきました。 ただ、このスライド・ショーには入れてないのですけど。





  当時はもちろん、自分の写真がこういったスライド・ショーとして音楽もかぶせて発表出来るとは思いもしなかったわけですが、
  映画を見て育ったボクとしては、ボクの写真が落ち着く所に落ち着いた・・・という気分は確かにあり。
  幾つかのテーマを動画にまとめてあるのでこれからボチボチ発表しようかナ~と思っています。

  また、『闘牛』はスイスでも山の方で結構流行っていて、ボクも7年ぐらい前から一撮しているので、また30年後ぐらいに発表するかも?

 ボクは シ・ジン

2014年06月13日 | 必撮無眼流
  なぜだか? 今日わかったことは、ボクは写真家ではない・・・ということ。
  一般的に言って、ボクが自分のことを『写真家です。』というと、大抵の人はプロの写真家、写真で食べている人と思い込む。

  しかし、それは事実でないので 『アマチュアです。』というけど・・・自分としてはなんか?それも違う気がするのだ。

  だから、どちらかと言うと 『詩人』に近い『視人』であり、徹底的に『私人』であり、ちょっぴり『思人』で、自然に『至人』でいつの日か

  『死人』・・・というのが一番ピッタリな気がする。

  別な視点からみても 作品を文字化、言葉で表現できることが重要である・・・という人がいるけど、ボクには陳腐な意見に思える。

  言葉で表現できないところを 視覚化するところが 写真による表現であるのに・・・。


                         

                

 必撮無眼流 ~ カミわざ

2013年12月25日 | 必撮無眼流
  大厄の2013年『厄落とし』?としてのトロチネット(キックボード)転落事件の 怪我の功名??? といえるかどうか?

  お世話になっている最中の フィジオセラピーの先生 ウラ先生の写真を撮って お礼に写真をあげようと焼いて 紙焼きした写真を見た時

  ボクは その写真の『素晴らしさ』に 目覚めたのだ!・・・・こりゃぁ、写真って 『神業=紙技』なのだ!!・・・・と。

  まぁ、長年写真をやってきて 今更なんじゃらホイ と自分でも思うのだけれど 
  実はボクの写真活動の中で 非常に欠落していた要素がある事に、こんにちまで気付いてなかったようなのだ。

  ボクの写真活動は その初めより徹頭徹尾・自己満足追求ベースであったから 被写体になってくれた人に お礼に写真を進呈するということは
  稀であった。だいたい街でのスナップショットがメインであったこともあるが+ある程度テーマがまとまる迄、紙焼きしなかった+怠惰な質 + 常なる金欠・・・

  そんなこんなで 便利なデジタル化した写真界にいたる今日では メール送付で簡単に送れるので いくらかましになったけれど
  やはり紙焼きするところまでは なかなか実行出来ずにいた。

  しかし、あらためてウラ先生の紙焼きされた写真を 見た時 写真家と被写体の関係は こうあるべきである・・・と反省しつつ 思ったのだ。

              
             このウラ先生の写真を契機として これからは神業である写真を出来る限り『紙技』に変換して礼参りしてゆこうと思う。
              (しかし、被写体さんが 必ずしもよろこんでくれる写真であるか、どうか・・・それは別問題であるけれど。)
  

  
  

  雲無心 ~雲楽考

2013年10月21日 | 必撮無眼流
  4,5年前ぐらいに 禅の大先輩である津田さんから頂いた「書」、「雲無心」は もしかして偶然ではなかったのだろう?
  ちょうど その頃 うちのベランダから見える 湖と雲が あまりにも美しいので 一撮・・・したのがキッカケで 
  以来 「雲無心」というタイトルで 気に入った雲景を撮りためることが ボク一撮の 楽しみの一つになっている。

          
                              先週金曜 10月18日の夕焼け

  しかし、考えてみると 雲を楽しむなんて風流な事=名づけて「雲楽」。 これまでは皆無であったなぁ~。
  スイスに来る前は 東京に住んでいたけど 実際、雲なんか見えたっけ? 

  第一、ここスイスに来るまで 6階という高い所に住んだことはなかったし この場所はさらにレマン湖を底辺とする斜面上に位置しているため
  建物の前方に 視界を遮るもっと高い建物がなければ 湖、その後ろに広がるアルプス山脈、さらに湖の右手には アルプスの岩をむき出しにした
  山塊とは 趣の違うジュラ山脈が広がっているのが 一望にできるのだ。

  結局 空と地上が一望でき、尚且つ 朝、夕のドラマチックな光に立ち会える 状況になければ なかなか「雲楽」は出来るものではないのかもしれない。

  ここローザンヌには その「雲楽」することができる 友人知人、親戚が 案外沢山いて ボクもこれまで 様々な角度からそれを観察してきて
  最近思うのは 我が家の 「湖角」が最も良いのでは??・・・・というスゲー 手前贔屓の結論がでてきてしまったのです。(ゲゲ~)

  第一、思いっきり高くて見晴らしが 良ければ イイ!・・・というわけではない・・・ということが 様々な場所で体感したのです。
  例えば、義父母の家は 見晴らしのよい高台にあって 山も湖も一望にできるダイナミックな展望・・・なのですが 
  何故か 湖がよそよそしい気がするんです。
  これはには 正直驚きました。 高からず、低からず という程合い 案外大切なのです。