Amazon‐Primeのおかげを持って、昨年地元スイスで観たマトリックス・シリーズ第四作『マトリックス・レザレクションズ』(仏語訳・英語版)で
さっぱり解らなかったストーリーが、先日『日本語吹き替え版』でスッキリ解って、『言葉の壁』の分厚い事を今更ながら痛感。
映画タイトル『Resurrection・復活』の目論見通り、私の中で『マトリックス』が再燃してしまった。
1999年に公開された第一話『マトリックス』が私達に与えた衝撃・・・は、果たして皆一様の見方であったか?・・・と疑問を持ち調べると
情報工学に精通したと思しき人(久保覚氏)の『映画マトリックスの世界について解説と考察する』という一文に出逢い、
難解なIT用語を駆使した解説は正直チンプンカンプンであったが、登場人物の意味合いやストーリ運びの意味についての考察は、
『IT工学』的にさもあらんと、不思議なほど腑に落ちた解説で、『 IT工学+SF 』の醍醐味の一片を味わった気がした。
しかし、この方のように映画『マトリックス』を観賞できた人間は世界で何人いるであろうか?
大衆の大半は、『現実生活』を生きながら、何かしら『異和感』を覚える・・・というどこか曖昧な『既視感的な疑問』に対して
答えているような『仮想現実世界』のストーリに衝撃を覚えたのではないだろうか。
馬骨的には、それは『仏性』という『人間本質への目覚め欲求』の換気・・・ということになる。
この点について私は 2022年1月19日のブログ記事〜SF=悟り・フィクションという記事を書き、
映画『マトリックス』を『Science Fiction』ではなく、『悟り・フィクション= SF 』として私は物凄い衝撃を受けたのだと思う。
久保覚氏は映画『マトリックス』を『情報工学』的に解説したが、馬骨は『悟学』をベースに『人"間"工学』的に解説してみたい。
久保氏は『コンピューター業界で"Matrix"は座標変換の式であり、状態変化の式である』とし、
『Matrixを母体=子宮と考えると仮想現実との関係が見えなくなる』と、『Matrix=変換装置』の意味合いとして捉えていることを書いている。
馬骨的には、その『変換装置』こそ人間に備わっている『間』で、坐禅で言うところの『坐』でその『変換装置』を始動させ
『座』布団の上で『時間座標軸変換』し、『時(タイム)・間(マ)・芯(心&身)(シン)』を活性化することで
『観自在』という母体(郷里)を覚醒、『諸行無常』の恐怖から『仏の施無畏』で救済されるのだと思う。
人"間"が持って生まれた『間』トリックスを皆で活用しましょう
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