拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

   縁歌・・・

2023年11月19日 | 東洋自分なり研究所

  先日、Youtubeで92歳になる二葉百合子さんが『岸壁の母』を歌っているのを観て、狐につままれた思いをした。

  浪曲師二葉百合子…というと、私の目の不自由だった育ての母トキさんが大好きで、ラジオにしがみつくように聞いていたのだ・・・。

  

  私の中では、もうとっくに亡くなっていた人であったが、とんでもない。92歳とは思えない歌いっぷりに、涙がこぼれそうに・・・。

  二葉百合子さんは、『 9歳頃に父が二葉を座長にした「二葉百合子一座」を作り、以降地方公演で日本全国を周るようになった 』そうであるから

  もしかすると、我が郷里、北海道の片田舎の北見にも地方巡業に来たのを、母と見に行ったのかも知れない(?)

 

  『岸壁の母』を聞いたせいなのか? 『演歌・母・津軽海峡・連絡船』というキーワードが、私の愚脳にグワーッと沸いたようになった。

  46歳で死んだ私の実母は、東京生まれの東京育ち、その東京で風来坊の道産子だった私の親父と恋仲になり、私の6歳年上の姉を生んだものの

  親父はふらりと、北海道に帰ってしまったらしい。 一男三女の長女であった母は、故郷を捨て、親父を追って津軽海峡をへて北見にやってきたのだ。

  私の母は生前、ほとんど自分の事を私に語らなかったから・・・これまで、考えもしなかったが、実に『演歌』の歌詞のような人生ではなかったかと

  思い至ると、私の大好きな都はるみの『涙の連絡船』や石川さゆりの『津軽海峡冬景色』・・・というのが、単に、自分が本州に渡る際何度も連絡船に

  乗ったという事だけではなく、私の心の深層にそうした母の思い、というものがあったのだろうか?・・・と、何度もこの演歌を聞きなおす。

 

       『 演歌こそ 母の供養のそなえ花 海峡渡り 一人嫁いだ・・・』 馬骨

 

  気がついていみると、演歌というのはだいたい七五調ではないか! 2011年にスマートフォンを買って、俳句でツイッターを始めた時

  案外スイスイと『五七五』が出てきて自分でも不思議であったが、子供の頃『演歌』を口ずさんでいたことの影響があったのだろう。

  演歌の歌詞というのは、とにかく短い。しかしその短い間にぐっと心に迫る何か・・・、ちょっとした節回しや、言葉の抑揚になんとも言えない

  モノがあって。このへんのキビというのが、歌手の上手い下手の差というか人生観の差というか、違いがでてくるようだ。

 

  演歌を聞いていて、一気に素性が知れたような気がした時、例えば、かりに出生を偽っても、演歌を聞かされた時私の脳の反応は否応なしに

  大反応を示すに違いなく、嘘発見器にかけられると一発で日本人であることがバレてしまう・・・というのは一体なんなんだろうか。

 

  『感極まる』・・・ということがあるが、演歌というのは『感極まる装置』でそれが、『考えるな、感じろ!』から『考えるな、観じろ!』へ誘う

  和風『変換装置』なのでは?  私の思う『縁起』は、自己愛に目覚めるところから始まることを思うと、演歌は縁歌ともなり得るわけだ。

  『岸壁の母』・・・というのも、実は『此岸』にいる私達を、『彼岸』の岸壁で来るのを待つ『観音様』ではないだろうか・・・。

 

 

                 

             レマン湖の風景を観て、だいぶ以前に作った短歌であるが、『連絡船』への郷愁であろうか。

  

  

  

  



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