拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『合掌』公案

2023年01月16日 | 東洋自分なり研究所

  もうそろそろ『おめでとう!』でもないか?・・・。

  私の愚脳は、今頃『おめでとう!』について考察…というか、私は禅者であるから『公案』として練っていたのか

  今頃、自分なりに『腑に落ちる』解答が出て来たという次第。

  いやいや、今調べたら、すでに1月3日に『おめでとう』考・・・として何か書いていたが、我が愚脳がそれでは

  物足りん・・・とダメ出したようなのだ。

 

  禅では『公案』…といって、いかにも難しそうな言い回しするが、単純にいえば素朴な疑問だろう。例えば

  幼子であれば、お坊さんが『合掌』しているのを見た時、なんで『合掌』するの?・・・と思うであろう。

  その時、お坊さんは何と答えるだろうか?・・・そもそもその答えを用意している坊さんはいるだろうか?

 

  私が禅修行を始めた時、29歳で大人であったから、寺で『合掌せよ』と言われても、その素朴な疑問を瞬殺していた?

  或いは、その時すでに『合掌』は『公案』であったったのであろうか?

  多分私の中では今でも『公案』であるに違いない、これまで『合掌』について色々書いている

  2022年7月7日のブログ記事『合掌〜その3』

  そう、『合掌』はお互いの『幸せ』を願う、『仕合せ』の仕草で『自他不二』を象徴している。

  この『自他不二』こそが、『悟り』の真髄であるから、『合掌』をすること自体がじつに『目出度い』といえる。

 

         

          この観音様は、まさに『合掌』せんとする『仕合せ』の仕草の瞬間を観せてくださっている。

  

 

 



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