もうそろそろ『おめでとう!』でもないか?・・・。
私の愚脳は、今頃『おめでとう!』について考察…というか、私は禅者であるから『公案』として練っていたのか
今頃、自分なりに『腑に落ちる』解答が出て来たという次第。
いやいや、今調べたら、すでに1月3日に『おめでとう』考・・・として何か書いていたが、我が愚脳がそれでは
物足りん・・・とダメ出したようなのだ。
禅では『公案』…といって、いかにも難しそうな言い回しするが、単純にいえば素朴な疑問だろう。例えば
幼子であれば、お坊さんが『合掌』しているのを見た時、なんで『合掌』するの?・・・と思うであろう。
その時、お坊さんは何と答えるだろうか?・・・そもそもその答えを用意している坊さんはいるだろうか?
私が禅修行を始めた時、29歳で大人であったから、寺で『合掌せよ』と言われても、その素朴な疑問を瞬殺していた?
或いは、その時すでに『合掌』は『公案』であったったのであろうか?
多分私の中では今でも『公案』であるに違いない、これまで『合掌』について色々書いている
そう、『合掌』はお互いの『幸せ』を願う、『仕合せ』の仕草で『自他不二』を象徴している。
この『自他不二』こそが、『悟り』の真髄であるから、『合掌』をすること自体がじつに『目出度い』といえる。
この観音様は、まさに『合掌』せんとする『仕合せ』の仕草の瞬間を観せてくださっている。
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