新年早々、我ながら気張ったタイトル『Zenとは何か』・・・で、普通そんな事を書くからにはじっくり思考したかと思うが
そうではなく、ふと浮かんだキーワード『大乗=Globalization』の線に沿って『Zen』について語れるのでは…と思った次第。
『禅とは』という命題に関して、以前 2021年2月26日のブログ記事『禅とは・・・』で少し書いる。
そこに自分で書いたのか?それとも誰かのパクリか?・・・いい言葉が書いてあった。
『禅は、無宗教の者から その『無』を奪い、信心のある者に 『無』を与える・・・』
そもそも仏教が『大乗仏教』になった時点で、仏教は『グローバル化』を内包していたと思う。
その約2500年後、スズキ大拙によって、仏教は『禅』から『Zen』という新たな装いを施してGlobalizationをより先鋭化することになった。
鈴木大拙が没した1966年から今日までの間、『禅流行の波』は大きくなったり、小さくなったりしながら徐々に世界中に浸透していった。
3年前の2020年は鈴木大拙、生誕150年を迎え、学者達の間で、『鈴木大拙の思想』を新たな視点から研究する機運が起こっているという。
彼が蒔いた種は、多くの人達に影響を与え、形を変えたやり方で行き詰まる情報化社会を打開するべく、四方に180度或いは360度巡らせる
自在の視点、科学とは別な観点で問題解決の糸口を見出す可能性を示し始めている。
『禅』は数ある仏教宗派の中でも、そのど真ん中に筋を通している。(と私は思っている)
その中で、一般のインテリ層に言われていることに、禅は『宗教でもなく、哲学でもなく、主義主張でもない』・・・とは何で読んだが
それは、『禅』を修行した私の率直な感想でもあり、そしてそのことは『禅』のグローバル化に必須の第一要件であるだろう。
例えば、スズキ大拙が語り継ぐ大乗仏教の『禅』は『Zen』となって、宗教、宗派に囚われないままその宗教、宗派を理解し
思考過多で頭コチコチのインテリ層には『まぁ、お茶でも一杯…』と柔軟に勧めたりして、本来の自己の探究を促す…というように。
今回のパリ旅行で訪ねたギメ美術館で出逢った菩薩様(一撮)
ギメ美術館では特別展として『アフガニスタンの仏像と仏跡』の展示があり、異教徒によって破壊される以前は
驚くほどの数の仏跡、仏像があったことを知って、自分とは何の関わりがないと思いこんでいたアフガニスタンを身近に感じることができた。
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