拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  慈石の針

2024年12月13日 | 東洋自分なり研究所

  こちらスイスでは、日本ほど12月をあらわす『師走』・・・という雰囲気は希薄だ、そりゃまぁそうか… 。

 

   『師走』とは :かつて、12月は僧侶が各家庭を訪れて読経や仏事を行う時期でした。

          このため、僧侶たちが忙しく各地を駆け巡ることから、

          この月を「師が走る」月という意味で「師走」と称されたと言われています。(ググった情報より)

 

  最近では、日本でも師(僧侶)が走り回っている風景は、京都や鎌倉以外では稀だろうか。

  しかし日本人であれば、その年最後の月となれば、『心の師』はそれなりに何となく焦って走り回るもののような気がする。

 

  私の師もかなり走り回ったようで、私の人生において最も不可解な時期『ニューヨーク行き&離脱』事件について、

  それなりの解答をはじき出してくれたもよう。

 

  私の二十代は、写真家としての活動に専念していた時期で、その最終形はニューヨークで大成する・・・というような

  淡い夢を抱いていて、そのた為の準備としての鍼灸師の免許取得やら禅修行(?)を経て33歳のときにニューヨークへ渡った。

  しかしニューヨークについた途端、なんだか私の歯車が狂ってしまい、永住するつもりが約一年足らずでニューヨークを離れ

  ヨーロッパを経由して帰国、禅寺へ再修行すべく約5年を目処にバイトと修行の生活体制を整えた・・・。

  その後、あの『ニューヨーク行き』について何度も考察したが、長い間自分自身に何が起こったのか分からず不可解なままであった。

 

  あれから40年、我が『師』が40周目を『走』って観えてきた景色というのは、『慈石の針』がブレブレに狂ったように振れていたのが

  あの『ニューヨーク行き』の時期で、それは私が再び禅寺へ向かうまで、まるで私をそこに追い込む為の指示現象であったというのだ。

  今現在、『悟り』は『郷里(さとり)』であるという私にとって、当時の『ニューヨーク行き』というのは、『郷里』を示すべき『慈石』の針が

  真反対の方向に行こうとする私に、何だかのサインを示していた・・・と観るわけだ。

 

  『師走』・・・と、『師』が『走』るわけは、つまるところ『自己のアイデンティティ探し』に奔走する姿であると解せば

  日本では禅のいう『己事究明』を年の一括りとして、伝統文化として、その精神を大切にしている・・・事

  自体は非常に重要な意義があると考える今日此の頃・・・。

 

            

                ニューヨークのとある屋上にて、 『迷える馬骨』図

  

 

  



最新の画像もっと見る

コメントを投稿