拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 季語はクリスマス

2017年12月12日 | 写俳一撮


  12月9日 初雪

朝起きると薄っすらと雪化粧、思わず一撮。一撮は俳句より簡単だなァ、
一句読もうとすると、かなり脳に負荷がかかるが〜・・・。

この時は、夜に我々にとっては第二回目、『俳句会』があるのをすっかり忘れていた。

夜はけっこう冷え込みが強く、きょうは誰もい『来ないんじゃない…』なんて相方と話していたが
行ってみると、12名。うち日本人は2名、そして男はボクだけであった。

主催の日本人女性のリードで今回はクリスマスをテーマに、それぞれ思い出のエピソードを語り
その中から言葉を選び、詠み込もうという趣向であった。

その前に、例として正岡子規の俳句が紹介された。 『 八人の 子供むつまし クリスマス 』

約30〜40分ぐらい、俳句を練る時間が静かに流れる。といっても喫茶店であるから雑音はあるものの…

この時、日本で買って読んだ、藤沢周平の小説『一茶』を思っていた。
一茶も生前中、あちこちで句会を開いたが、そういった時も数々の名句を生み出したのだろうか…と。

というのも、作句には大きく2つのやり方があるように思う、実際に目前に起こる事象を詠む場合と
句会にて『お題』を決めてからあれこれ情景を思い描き、言葉を選んで句を練るようなやり方などなど…

ただ、ここの句会じゃ、一茶や芭蕉のような情緒は残念ながら味わえそうもない。
なにせ、仏語なもんで。指導する人がよほどフランス語に堪能かつ日本文化を熟知したひとでなければ
ならないことと、集まる人のレベルが相当なものでなければ・・・・まァ、望むほうがどうかしている。

いよいよ各自発表の段となり、一人3〜10句ぐらい読み始め、時折皆爆笑したりして。
ボクは仏語の意味がよくわからず笑えなかったが、どうもクリスマスを題に『川柳』的な可笑しみを
出していたらしい。なかには本当に5・7・5…というのを考えて詠んでいるのか疑問な長い句を
詠んでいたりと、俳句の妙味ははるか遠い・・・。

 
ボクもいろいろ考えるが、あらためて俳句の短さに、苦しむ。
最近ボクは短歌が好みであるが、俳句は短すぎ、しかも季語にこだわった場合
なかなか納得いく一句は生まれそうもないようだ。

  苦し紛れ、時間切れに一句   『 クリスマス 寄せあう肩に 雪の舞う 』 一撮
  そして短歌で一句      『 窓辺には 忍ぶサンタを 飾り付け 家族の笑顔 我は盗人 』 一撮


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