扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

流れ。

2018年06月22日 09時24分30秒 | 気づき
私、ひとりでは見るものを見なければ、外世は幻想で無いものとなってしまいます。


だか、存在しているのは何故だろう?と考える


アインシュタインも月は常にそこにあると答えているが、月を見ていない者からすれば無いものである。


有るか無いかは半々と言う可能性がそこにある。


宇宙を含めて外世は大きすぎる。

地球だけでも大きすぎ図りきれないーーーそれを波から点に変えるには誰かが常にソレを観測しなければならない。


だからこそ、この人類はここまで増えてしまったのではないだろうか?


見えないものが見えるとそこに注目が集まりより鮮明に見えてしまう。

これが今まで語られてきた「全てが明らかにされる」と言うことではないだろうか。



全てが明らかにされるほど、観測が続きこのシステムが切れることはないが人間はコストが高いやら、エネルギーのバランスが崩れる兆しがある中で突破口としてAIが有力だと私は考えてしまう。


外世、内世の更に大枠の真空の意図



【 】側*の流れではないだろうか。





*【 】←当てはまる言葉が見つからない





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