正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

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御布施の渡し方

2014年12月23日 | 日記
大工の棟梁が嘆いていました。

昔の弟子は給金の支払いには必ず両手で給金袋を受け取って「ありがとうございます」と礼を言っていたそうです。
ところが、最近の弟子は給金袋を片手で受け取って「ありがとうございます」の言葉もない。
と・・・・・・。

働いた自分へのあたり前の対価が給金なのでこの若者のような受取方も間違っていない?
・・・でも・・・礼節がかけているような気がします。
「お蔭さま・おかげさま」の気持ちがかけているような・・・。

間もなく寺報62号が檀家さんのお手元に届きます。
その中の青壮年部部員が投稿している「おかげさま」の文章を是非お読み下さい。

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そこで、今日は御布施の渡し方に付いてお話を・・・・


結婚式の祝儀は、めったに使ったこともない袱紗から祝儀袋を取り出して
「おめでとうございます」と言いながら披露宴会場の受付に出します。

葬儀や法事の時は、お盆や袱紗から御布施を取り出して「ありがとうございました」と
礼を言いながら喪主や施主は当たり前のよう和尚さんにお渡しします。

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結婚式や御布施の水引は「私が出来る精一杯のお祝いです」あるいは「私が出来る精一杯の弔いです」の
意味合いの封筒袋です。

「どうか、恥ずかしい金額(少額)なのでこの場で確認をしないで下さい」と
わざわざガッチリとヒモ(水引)をかけているのです。

自分の志をへりくだっている袋が祝儀袋や香典袋なのです。

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以前は和尚さんの御布施を立ったまま、片手で配ったり郵便封筒に入れて差し出したりする人を
見かけていましたが、最近では葬儀の多くが葬祭場で行われるようになり、
以前のような不作法な方は少なくなりました。

これは、葬祭場のスタッフが御布施袋やお盆を準備して、
喪家に指導するお陰かも知れません。

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ではなぜ、片手で御布施を渡したり、立ったまま渡す無礼な人がいるのか・・なぜ?

ここからはこの問題を考えます。

これは佐伯地方の事情によるものがあります。

江戸時代中期から第二次世界大戦が終わった昭和20年代までは、
御布施をいただく回数は、住職よりも庵主という僧侶の方が多かったからです。

キリスト教と信者の弾圧と寺院保持のために「宗門檀那請合之掟」が各寺院に
書き写されて布教に使われました。
※今ではこの書物は「偽物の御条目」と言うのが定説です。

佐伯藩主の菩提寺である養賢寺で写された「東照神君重範捨五ケ條」が
正定寺に現存しています。

その中に「法事ハ庵主ガツトメ」と記されています。
庵主はその集落の檀家が異教徒になっていないかを調べて
報告していました。

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寺に住む住職や小僧・弟子は修行に励み、年忌仏事は全て庵主が行う。

檀家は年忌法要を檀那寺に申し出て、葬儀以外は庵主さんが行っていました。
※現在、佐伯市に庵主さんは一人もいません。

これで、御布施をいただく回数が住職よりも庵主さんが多かった事がおわかりと思います。

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ここで、「御布施を片手で渡したり、立ったまま渡す無礼な人がいるのか」の理由ですが。


身分制度が強く残った地方では、一般の農家専従者よりも庵主の身分が低く見られていた
事に原因があります。

庵主は小字に建立された小さな仏像を安置したイオリ(庵)に着の身着のままで
住み込み、庵に付随した山(薪用)や畑(食料)と小字集落の檀家からの喜捨で
自身と本尊を護持していました。
しかし、その生活は一般農家よりもはるかに困窮していました。

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又、庵主は寺の住職のように本山の承認がいらないので真宗僧侶・真言宗僧侶・他寺院の弟子
や世間を離れ出家した者までさまざまでした。




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庵主を社会的な力が下とする差別意識が集落に生まれ、法事や盆彼岸のお参りの御布施を
上から下すように差し出した悪しき風習が生まれました。

この習慣が「御布施を片手で渡したり、立ったまま渡す不作法な人」を生んだように
聞き及んでいます。

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庵主さんは、施主から差し出された御布施を、頭を下げて腰を引いて、
奉りながら頂きました。

その腰が引けた姿を「庵主腰(あんじゅごし)」と言うようになり、
物を運んだり、畑を耕す鍬取りが下手な人を腰が引けてる姿の庵主になぞらえて
「使い物にならない」イコール「庵主腰」と言っていました。

この言葉も差別意識によるもので、「坊主丸儲け」や「三日坊主」などと
同じものと考えています。

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話は外れ外れになりましたが、素手で立ったまま渡す習慣の起源はいかがでしたか。

これからもし、御布施を片手で渡すような時代錯誤の悪しき不作法を見かけたら
教えてあげて下さい。

水引の意味を・・・。


ちなみに封筒に水引ヒモを印刷しているものは「アウト」です。

又、香典袋の買いだめも「アウト」です。
近くの春子おばさんが「香典袋を買いだめすると不幸が続く」と私に教えてくれました。

日頃は、口数がとても少ないおばさんが言うのですから・・・・聞きましょう。

でも、100均でも3袋は入っている気がします。まあ3個ぐらいの買いだめは「セーフ」でしょう。



御布施は、喪主(施主)がお盆にのせて必ず水引袋(香典袋)に布施を用意して
座ってお礼を述べながら和尚さんに渡しましょう。





※ミニ情報  
黄白の水引は仏事用です。主に京都で使われています。
寺院も弔事は現在も黄白・黄帯を使うのが一般的です。

これは、京都(御所)の朝廷献上品に使われるお祝いの紅白水引が、
見た目に一般で使われる弔事用の黒白に見間違えるので、あえて京都では
弔事を黒白から黄白に変えて使ったのが全国に広がったと言われています。


お盆に御布施を乗せたまま渡せば、和尚さんがお盆ごといただき、御布施を賜り
お盆を戻してくれます。

素手で渡したり受け取ったりは、買い物のおつりだけです。




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