「前頭葉バカ社会」和田秀樹著、自分がバカだと気づかない人たち、を読んだ。
最後の方のページには、精神科医・和田秀樹先生と、作家の橘玲(たちばなあきら)氏の対談が載せられている。
そこでは、最終的には、高齢者が今後のAIの最も大恩恵を受ける立場であり、それは、認知症の方、等々、問わないそうだ。
わがままな人の方が、AIの恩恵を受ける。そして、この国の少子化を改めようと、国は躍起となっているが、逆に子供が増えたとして、その頃の未来の日本には仕事がない、という現実も踏まえねばなるまい、と力説する。
そして、高齢者から自動車免許をはく奪している現状だが、AIによる、自動車自動運転が開発・実用化されれば、その奪われた高齢者達の免許証はどうやって取り戻すのか。認知症の有無に関わらず。そもそも、この国に、免許制度自体が要らなくなるのでは、との和田氏のぶっ飛び発言も飛び出す。
とにかく、全般のこの本では、日本人の9割は前頭葉バカ、として、知らない事より考えない事がコワい。前頭葉を使わないと脳と体は老化する。
前例重視、行きつけの店しか行かない、大体筋のわかる同じ著者の本ばかり読む、やる前から答えは決まっていると諦める、正義か悪か、敵か味方かの、二元論に陥りやすい人…。
これらは、この本の表紙に書かれている要旨だが、そのまま、本書の内容とも合致する。
養老孟司推薦とは書いていて、本当に少し、和田先生は養老先生を尊敬する立場から賞賛するが、出て来るのはほんの少しである。
とにかく、この本を、私は、今年の春、否、冬であろうか、だいぶ長く寝かせていて、今日の今、読み終わった。読後感は、良好である。
しかし、これは、この先生の本、たしか、五十代に向けて書かれた本でもその感想、私は書いた記憶があるが、この先生の説だと、今も言ったように、同じ傾向の本を書いている同じ著者の著作を読まない方が良い。それは「前頭葉バカ」を育てる。的に書いてあったので、しかし、私にとっては、和田先生の本は、非常に読みやすいのだ。語り口としても。
だから私は、性懲りもなく、又もや、和田秀樹著「本当の人生、人生後半は思い通りに生きる」を電子書籍で買い求めた。私もだいぶ「前頭葉バカ」なのかも知れないが。
それと「長生きはメンタルが9割」という電子書籍も購入。私は和田ファンだ、こうなれば。
けれども、私は、今現代的には、紙の本は、場所も取るし、重いし、売れば二束三文で、それに比べて、電子書籍は、場所が要らない、その場で早く買った時点で読める。ダウンロードの便利さ。これらを挙げれば、電子書籍の方が、今の世の中、軍配が上がる。
しかし、その、紙の本の、重厚感、仕上がり感、手に持った時の所有感。等々、私はまだまだ、紙の本の方が、存在価値はあるのだと思う。
それにしても、電子書籍は、紙の本よりかは、平均して、数百円は安い。しかし、心を込めて製本された本、書籍の形としての重厚感には、これは叶わない。もっと、電子書籍は安くてもいい筈だし、紙の書籍は、高いのは困るが、需要が増して欲しいとも思う。
電子書籍は、今言われる、目には余り良くはない。ブルーライト等で…。
しかし、昨今の、書店、本屋さんの閉店ラッシュには困ったとも思っている。私の現在住む郡山市西部には、幸い、大型書店が、大駐車場とともに残ってあるが、これが我が街の地区では、郡山市全体では書店が何ヵ所かまだあるが、最後の本屋、書店の牙城だ。これをなんとしても死守せねばなるまい。
ともかく、私は、本・書籍を愛する者である。そして、紙の本の重たく、読んだ後の邪魔な感じも分かるが、愛着感も増すのである。それが紙の本の良さだ。
いろいろ話してきたが、私の書籍を愛する気持ちは、電子書籍だろうと、紙の本だろうと、変わらない。ただ、地域、地方都市に住む者にとっては、書店、本屋さんは、街にとっては死活問題なので、出来るだけ残って欲しい。
その為にも、現代風のアマゾン一社偏重でなく、地元の、私の郡山で言えば、ツタヤみどり書房桑野店、この一店を守り切る、そんな気持ち、気概が、我々市民にも必要だ。
これは、郡山市唯一のデパート百貨店の、うすい百貨店にも、当然敷衍(ふえん)して、言える事なのである。
話が脱線しそうなので、今日はこの辺で終わりにしたい。
以上。よしなに。wainai