これは多くの予備校や塾、そして私の社長も頻繁に口にしていることだが
まず第一にくるものは「授業力」「講師力」である。
ではこの2つを誇示するうえで大事なこととは
・授業に集中させる
・成績を上げる
・授業中無駄話をさせない
・宿題をしっかり出す。
・わかりやすい授業をする
など挙げられる。
そして社長はそれに付け加える形で
「授業中私語があるようではダメだ」とか
「しっかり宿題や課題をマネージメントして本物」
「熱意は伝わるからしっかり準備する」
とかありきたりのことを言い出す。
ここまでは全面的に同意であり、何の異論もない。
しかしながら、時折職員間で出てくる「不良生徒」に対する
話し合いや対策。
この話し合い自体殆ど無意味で馬鹿らしいと私は考える。
そもそも不良生徒とはどういうものかというと
・授業に集中しない
・無駄話をする
・宿題をやらない
・授業(周りの)邪魔をする
などが挙げられる。だいたい問題の生徒が話題に上がる時は
最低限この4つのどれかが1つ以上該当するわけだが、
私はこの時いつも思うことは
「その子に対する結論は見えているのではないの?」
「そういう問題が上がる時点で自分をなんで悔いないの?」
ということだ。
冒頭で述べた通り、「講師力」「授業力」って
そういう子の性格を是正するのではなく(そんなの無理でしょ)
授業の邪魔をする余地を与えず、授業に集中させ宿題をしっかりやらせることでしょ。
だから結論がいつも見えていてくだらなく思える。
「そういう子を生み出してしまう講師に問題があるんだから、しっかり自覚して
授業力高めていくものではないの?」
としか私は言い様がない。
もちろん結論が見えているとはいっても、職員間で意見を統一化させる面を考えれば
そういう問題を提起すること自体悪くないのだが、
時折その生徒自身の性格の問題や友達関係のせいにするから始末におけない。
それを社長がたまに言い出すのは良くないことだと思う。
あたかも「自分が教えている時に問題が発生するのは、(俺は完璧な授業をやっているから)
生徒自身が悪い」といっているように聞こえる。
かといってほかの職員が同じ状況になったら随分叱責するわけだが・・・。
講師力や授業力の理念を高々と掲げている以上、こういう二重基準や
論理破綻を起こすような言い回しをするのは首を傾げざるを得ない。
ちなみに自慢というわけではないが、私自身の授業はいかなる生徒も授業に集中し
問題発言や行動を起こす子は皆無に等しい。1年間全何百時間の授業のうち4・5回ほど
居眠りや怠惰で注意することはあるが、その子が同じ過ちを繰り返すことはない。
宿題はほぼ全員やってくるしやってこない子は素直に謝りにもくる。
忘れ物もちゃんと言いに来る。授業がわかりやすいと生徒に直接褒められることも多い。
親からも感謝させるのも1番私が多いというか、私だけかもしれない。
決して厳しく締め上げている訳でもない。暴言も一切吐かない。
一見淡々とやっているように見えるが(見えるらしいが)
これにはここに書ききれないほどの多くの論理を積み上げているからである。
・どのようにして喋らせないか
・どのようにして宿題をやらせるか
・どのようにしてクレームを未然に防ぐか
・どのようにして生徒に授業に集中させるか。
・どのようにして生徒に多くの課題を自力で解消させるか
・どのようにして生徒に自宅学習に向かわせるか
元をただせば、この道を志して最初の3・4年は大変な苦労を周りにかけたし
多くの失敗をした。だからこそクレームを受ける先生はチャンスと思って
深く考えて欲しい。誰にでもいい授業はできると思う。
それを深く考えられない人間はこの業界から必要とされいないし
黙って去っていくだけである。
もちろんこれはこれで冷静でいい選択と思うから私は賛辞を送る。
まず第一にくるものは「授業力」「講師力」である。
ではこの2つを誇示するうえで大事なこととは
・授業に集中させる
・成績を上げる
・授業中無駄話をさせない
・宿題をしっかり出す。
・わかりやすい授業をする
など挙げられる。
そして社長はそれに付け加える形で
「授業中私語があるようではダメだ」とか
「しっかり宿題や課題をマネージメントして本物」
「熱意は伝わるからしっかり準備する」
とかありきたりのことを言い出す。
ここまでは全面的に同意であり、何の異論もない。
しかしながら、時折職員間で出てくる「不良生徒」に対する
話し合いや対策。
この話し合い自体殆ど無意味で馬鹿らしいと私は考える。
そもそも不良生徒とはどういうものかというと
・授業に集中しない
・無駄話をする
・宿題をやらない
・授業(周りの)邪魔をする
などが挙げられる。だいたい問題の生徒が話題に上がる時は
最低限この4つのどれかが1つ以上該当するわけだが、
私はこの時いつも思うことは
「その子に対する結論は見えているのではないの?」
「そういう問題が上がる時点で自分をなんで悔いないの?」
ということだ。
冒頭で述べた通り、「講師力」「授業力」って
そういう子の性格を是正するのではなく(そんなの無理でしょ)
授業の邪魔をする余地を与えず、授業に集中させ宿題をしっかりやらせることでしょ。
だから結論がいつも見えていてくだらなく思える。
「そういう子を生み出してしまう講師に問題があるんだから、しっかり自覚して
授業力高めていくものではないの?」
としか私は言い様がない。
もちろん結論が見えているとはいっても、職員間で意見を統一化させる面を考えれば
そういう問題を提起すること自体悪くないのだが、
時折その生徒自身の性格の問題や友達関係のせいにするから始末におけない。
それを社長がたまに言い出すのは良くないことだと思う。
あたかも「自分が教えている時に問題が発生するのは、(俺は完璧な授業をやっているから)
生徒自身が悪い」といっているように聞こえる。
かといってほかの職員が同じ状況になったら随分叱責するわけだが・・・。
講師力や授業力の理念を高々と掲げている以上、こういう二重基準や
論理破綻を起こすような言い回しをするのは首を傾げざるを得ない。
ちなみに自慢というわけではないが、私自身の授業はいかなる生徒も授業に集中し
問題発言や行動を起こす子は皆無に等しい。1年間全何百時間の授業のうち4・5回ほど
居眠りや怠惰で注意することはあるが、その子が同じ過ちを繰り返すことはない。
宿題はほぼ全員やってくるしやってこない子は素直に謝りにもくる。
忘れ物もちゃんと言いに来る。授業がわかりやすいと生徒に直接褒められることも多い。
親からも感謝させるのも1番私が多いというか、私だけかもしれない。
決して厳しく締め上げている訳でもない。暴言も一切吐かない。
一見淡々とやっているように見えるが(見えるらしいが)
これにはここに書ききれないほどの多くの論理を積み上げているからである。
・どのようにして喋らせないか
・どのようにして宿題をやらせるか
・どのようにしてクレームを未然に防ぐか
・どのようにして生徒に授業に集中させるか。
・どのようにして生徒に多くの課題を自力で解消させるか
・どのようにして生徒に自宅学習に向かわせるか
元をただせば、この道を志して最初の3・4年は大変な苦労を周りにかけたし
多くの失敗をした。だからこそクレームを受ける先生はチャンスと思って
深く考えて欲しい。誰にでもいい授業はできると思う。
それを深く考えられない人間はこの業界から必要とされいないし
黙って去っていくだけである。
もちろんこれはこれで冷静でいい選択と思うから私は賛辞を送る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます