長野県立科町芦田宿。中山道の旧跡を残している。
日本で唯一、スゲ傘を持った道祖神にようやく会うことができた。場所は長野県立科町。私の通い道からは真逆に場所にあるためなかなか行くことができなかった。真夜中下道を走り、群馬県の中之条町を抜け、軽井沢を通りようよう立科町についた。途中、寄り道をしたため午後も半ばを過ぎていた。資料では立科町上房という場所にあるということでその集落を訪ね3人の方に聞きただして、案内まで受けたが、傘持ち道祖神は見つからなかった。聞いた3人の中には地元の石仏を調査した方がいたが、そのかたも道祖神の存在を知ることはなかった。五十年前に調査したというから、今のように盗まれてなくなるということもなかったはずだから、資料間違いか、場所が違うと諦めて新潟に帰ったのだ。だが諦めきれずに、ネット検索をするとどうやら同じ地域ながら、私が行った場所近くにあることがわかり、5日後の栃木への復路、再び立科町を尋ねる。
芦田宿場外れ上房にあった道祖神二体。国道を挟んで上房という地域は広範囲だったらしい。往路での道祖神探しが浅かったということだろう。
付近の道祖神を訪ねてみる。石川の道祖神
長野県の天然記念物となっている松並木。ここを抜け笠取峠を超える。
長野県における若山牧水。至る所に足跡を残している。
松並木入り口に目的の傘持道祖神がありました。どうやらこの道祖神はオリジナルでなく、復刻らしいのだがオリジナルはどうなったのか、気になるところだが資料がないので不明なのである。また、道祖神に傘を持たせた由来が笠取峠という、ワードからのイメージではないかと想像できた。しかし150cm以上もある、こんな大きな道祖神でも道一つ隔てただけで、往路に尋ねた上房集落の方は認識していなかった、ということは、どうやら道祖神は、すっかり市民権をなくしてしまった愛の神様ということなのだろう。
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