まだまだ山里は冬。でも植物が繁茂していない今が石仏探査には最適なのだ
踊るようなカタクリの花。カタクリはまさに春の使者だ、と私は思う!
年を跨いで何度も足繁く通って、ようやく目的の道祖神を見つけた時の喜びは一塩であるが、
所在が分かり、その集落を尋ねてもその土地に住む人達にさえ認識されなくなった道祖神の
なんと、多いことか。地元の方でさえ場所の特定ができないとなると、その集落の付近を
熊さんのように、森や藪の中を彷徨することになる。大抵目の前、数メートルの場所に
あったにもかかわらず、見つからない場合が多い。
その場合は点ポイントの目標物が必要だ。例えば古木、大木、社、石仏だ。そのポイントから上下
あるいは方角と目安の距離であるが、見つからない時には最終的には郷土の詳細な資料や、
知識のある方に協力を仰ぐしかないのである。
新潟県柏崎市広田の道祖神。雪で倒れていた石仏を起こし、撮影した。
この竹藪の脇を何度通っていたのだろう。小道の土手脇3mほどの場所に道祖神とともに、庚申塔
青面金剛など、石の加工物が並んでいたのだが、大薮でわからなかった。この近所の方に聞いても
誰も認識している方はいなかった。そもそも道祖神は民間信仰が作り出した純粋な祈りのシンボルである。
現在の日本は、自然に対する畏怖と優しさ、そして信仰心を失ってしまったのだろうか。
日本という島国で育ってきた素晴らしい自然観は消えいくのだろうか。そうだとしたら誠に寂しい限りである。
こごみとツクシ、やがて藪の中に埋もれてしまう。
カタクリとモミジ の古木に囲まれた特等席に鎮座する、水野の双体道祖神。
4度目の正直。やっと会えた上越市水野の道祖神。目と鼻の先にあったのに辿り着けませんでした。
もちろん水野の集落のどなたも場所を特定できる方はおりませんでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます