感謝祭のはじまりの物語-独立前後の北米の食の革命(1)
アメリカでもっとも大切な祝日の一つに、11月の第4木曜日の「感謝祭(Thanksgiving Day)」があります。感謝祭の翌日は「ブラックフライデー」と呼ばれ、ニュースでよく話題になるように、売れ残りの感謝祭のプレゼントが激安で売られる日になっていて、大勢の人がお目当ての品物を求めて殺到します。
感謝祭では「シチメンチョウ(七面鳥)」の丸焼きを食べるのが慣習になっています。また、丸焼きになるはずだったシチメンチョウにアメリカ大統領が恩赦を与えるセレモニーがホワイトハウスで開かれたりします。
感謝祭の起源は、1620年にメイフラワー号でイギリスから北米に渡ったピューリタン(清教徒)が1621年に開催した収穫祭だと言われています。
今回から、独立前後の北米の食のシリーズが始まりますが、初回は移住した清教徒たちの食生活について見て行こうと思います。
シチメンチョウ(ElstefによるPixabayからの画像)
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イギリス最初の永続的な植民地となったのは大西洋岸の南部バージニア州のジェームズタウンであり、1607年に105名の植民団によって設立された。
1620年にメイフラワー号でイギリスを脱出したピューリタン(清教徒)102名も当初はジェームズタウンを目指したのだが、船に積んでいた飲料水代わりのビール(エール)が尽きたため、現在のボストンにほど近いプリマスに上陸したと言われている。ニューイングランドの植民地の始まりである。
ピューリタンの移住者はいわゆる中産階級の人々で、農業や漁業、狩猟の経験が無かった。また、食べ物に対する融通性に乏しく、食べたことが無い食べ物を口にすることに抵抗があった。つまり、船で運んできた食料以外に食べられるものは少なく、やがて飢えに苦しむようになったのだ。
そうして12月に上陸した102名のうち約半数は春を迎えるまでに亡くなってしまった。特に女性はイギリスの食に対するこだわりが強かったため、29名のうち4人しか生き残らなかったと言われている。
それでも約半数が生存できたのはアメリカ原住民のおかげと言われている。彼らは移住者たちに食べ物を分けてくれたし、食べられる食材も教えてくれたのだ。アメリカは豊かな土地であり、森には食料となる動物や野鳥がたくさんいるし、ナッツやベリーなどの木の実も豊富だ。また、海岸に出ればクラムやムール貝がゴロゴロ転がっていた。
2021年の春になると、アメリカ原住民はトウモロコシの育て方を教えてくれた。トウモロコシは単位面積当たりの収穫量がコムギの約3倍になるほどの優秀な穀物だ。また、アメリカ原住民は1年に3回の収穫ができる栽培法を確立していたため、移住者の食糧事情は一挙に好転した。
移住者たちは11月になるとお世話になったアメリカ原住民を招いて収穫祭を開いた。これがアメリカの感謝祭の始まりだ。宴にはシチメンチョウなどの野鳥やシカ、ハマグリの料理や、トウモロコシの粉で作ったコーンブレッドなどが並んだと言われている。
さて、感謝祭のメインディッシュであるシチメンチョウであるが、英語では「Turkey(ターキー)」言い「トルコ」という意味になる。その当時のヨーロッパでは、オスマン帝国から伝わったものにTurkeyの名を付けることが多かった。オスマン帝国からはアフリカ原産のホロホロチョウがヨーロッパに持ちこまれ、これをTurkeyと呼んでいたのだが、シチメンチョウとホロホロチョウの見た目が似ていたため、両者を混同してシチメンチョウもTurkeyと呼ぶようになったのである。
感謝祭でシチメンチョウを食べる習慣はその後イギリスに持ちこまれたが、イギリスではクリスマスにシチメンチョウの丸焼きを食べるようになった。これが日本にも伝わったが、日本ではシチメンチョウが出に入らなかったため、代わりにチキンの丸焼きを食べるようになったのである。
さて、生き残ったニューイングランドへの移住者たちは、イギリスから運んできたムギ類やキャベツ、リンゴなどをアメリカの大地に植えて行った。また、アメリカ大陸にはいなかったミツバチを持ちこんで蜂蜜づくりを始めた。
さらに、移住者たちは海に出て漁業を始めたが、近くにタラの良い漁場があったため、干鱈が有力な輸出品になって行った。
一方、森には以前にスペイン人が持ち込んだブタがいたが、1624年になるとイギリスから乳牛が届き、ミルクと乳製品を口にできるようになった。このミルクがアメリカの海岸に生息する二枚貝のクラムと出会って誕生したのが「クラムチャウダー」だ。このクラムチャウダーはニューイングランド・クラムチャウダーとも呼ばれている。
その作り方は簡単で、肉厚のクラムをゆでてから刻み、それをたっぷりのミルクを加えたゆで汁に戻して、さいの目に切ったジャガイモとタマネギ加えて煮込むだけだ。
とても簡単な料理なので、日々の労働に追われていた家庭でも手軽に作ることができた。
もう一品だけミルクとアメリカの出会いで生まれた料理を紹介しよう。「コーンプディング」という料理だ。
これは、そぎ落としたトウモロコシの実をクリームの入ったミルクに投入し、溶き卵を加えて、固まるまで遠火でじっくりと焼き上げた料理だ。これも簡単な料理で、手間暇をかけることができなかった当時の状況が思い浮かぶ。
こうして、1620年にピューリタンが上陸して始まったニューイングランドの植民地は、大成功をおさめるようになったのである。