食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

戦国時代と中国四大料理の始まり-古代中国(3)

2020-08-03 21:46:53 | 第二章 古代文明の食の革命
戦国時代と中国四大料理の始まり-古代中国(3)


日本で四大中国料理と言うと、北京料理・四川料理・広東料理・上海料理である。しかし、これは日本の分け方で、中国では山東(さんとん)・江蘇(こうそ)・四川(しせん)・広東(かんとん)が四大菜系となる(中国では料理のことを「菜」と言う)。

戦国時代(紀元前403~前221年)に、戦争によって様々な民族の移動とともに食文化や調理法の移動と融合が起こり、さらに秦王朝(紀元前221~前206年)による中国全土の統一によって人々がそれぞれの地域に定着し、その後地域の特徴を生かした料理が発達して行く。これが四大菜の基礎となった。さらに、それぞれの地域の気候や地理、食材、食習慣や歴史の違いによって、長い時間をかけて独自の進化を遂げたのが現在の四大菜だ。



以下にそれぞれの料理について見て行こう。

・山東料理
山東は黄河の下流に位置し、穏やかな気候が特徴だ。ここは周王朝の初代皇帝の弟である周公旦が治めた「魯(ろ)」(紀元前1055~前249年)があったところで、周王朝の建国当時より栄えていた。このため、山東料理は早くから発展し、中国で最も古い郷土料理と言われている。

山東には大きな川、湖、丘、平野、海などがあり地形が多様なため、果物や野菜、鶏肉、魚介類などのバラエティーに富んだ食材を手に入れることができる。これらの食材を使った山東料理は、味が濃く、塩辛い料理が多いのが特徴だ。また、繊細な香りやいろどり、そして柔らかな歯ごたえもこの料理の特徴である。

山東料理は後に、明王朝(1368〜1644年)から清王朝(1644〜1912年)時代にかけて発達した宮廷料理の元になった。そして、この宮廷料理が「北京料理」の原型になって行く。

現代の代表的な山東料理としては、黄河鯉の甘酢風味、かに味噌入りフカヒレや豚と鶏のホルモン揚げがある。

・江蘇料理
長江の流域である江南地方で発達したのが江蘇料理である。春秋戦国時代の江南地域には「楚(そ)」があり、「項羽と劉邦」の項羽は楚で生まれた。また、三国志時代には孫権の「呉」が建国された地でもある。

長江流域には肥沃な平原が広がり、古くから稲作などの農耕が盛んだった。また、長江にはたくさんの淡水魚が住んでいたし、海からもたくさんの魚介類が手に入った。また、アヒルやガチョウなどの水鳥も食材となった。このため、江蘇料理の食材の多くが米や魚介類や水鳥である。江蘇料理の味付けの特徴は、豊かな風味があるあっさりとしたものだ。

現代の代表的な江蘇料理としては、エビ入りチャーハン、おこげのエビあんかけ、ゆでたアヒルの塩漬け、コイのつみれスープなどがある。

・四川料理
四川料理は、長江上流の現在の四川省を中心とする地域で発達した郷土料理だ。その原型は、戦国時代にこの地域にあった巴国と蜀国を秦が征服した結果、三つの食文化が融合することで生まれたと考えられている。

この地域は盆地の気候で夏は湿度や温度が高かったことから、花椒(山椒の仲間)やコショウなどの多種類のスパイスをきかすことで腐りにくくした料理が発達した。なお、現在ではトウガラシを使うのも四川料理の特徴の一つになっているが、トウガラシはアメリカ新大陸が原産のため、中国に伝来するのは明王朝(1368~1644年)末期の17世紀以降のことである。

長江流域は肥沃なため、コメやマメ、野菜などが良く育つため好んで食べる。また、川魚や豚肉、牛肉、鶏肉などもよく使う食材だ。現代の代表的な四川料理は、麻婆豆腐、バンバンジー、回鍋肉(ホイコーロー)、チンジャオロースなどがある。

・広東料理
秦は紀元前221年に中国統一を果たしたのちに、異民族の百越が活動していた中国南部の嶺南地域にも進出し、紀元前214年にこの地を平定した。ところが、紀元前206年に秦が滅亡すると、この地を治めていた趙佗(ちょうだ)が独立を宣言し南越国を樹立した。国王は料理が好きで、積極的に山東料理の調理技術や調理器具を導入した。その結果、この地域の豊富な食物資源と組み合わされて生み出されたのが広東料理である。中国王朝の中心地である中原(黄河中下流域の平原)との間には険しい山々がそびえており人々の行き来が難しかったことから、広東料理は独自の道を歩んで行った。

嶺南の人々はチャレンジ精神が豊富で、食べられるものなら何でも料理に取り入れて行った。例えば、広東料理にはたくさんのヘビや昆虫の料理が存在している。このため広東人は「四つ足のものは机と椅子以外、二つ足のものは人以外何でも食べる」と言われる。日本ではこの広東人がいつの間にか中国人に置き換えられてしまっているので、多くの中国人は迷惑しているのかもしれない。

ところで、中国人以外は広東料理が中国料理の代表だと思っている。これは、日本を含めて世界中の中華料理店の多くが広東料理を作っているからである(横浜の中華街の半数以上が広東料理の店と言われる)。広東人は商人としても有名で、広東には良い港があったことから世界各地に出かけていた。そして方々で広東料理の店を出したのだ。この結果、世界中で広東料理の店が増えた。しかし「食は広州に在り(食在広州)」と言われるように中国人も認める美味しい広東料理なので、中国料理の代表と言っても間違いはないと思う。

現代の代表的な広東料理と言えば、まず「飲茶(やむちゃ)」があげられる。お茶を飲みながら点心を食べる習慣は嶺南地域で始まった。それ以外には、フカヒレの姿煮やツバメの巣のスープ、酢豚やシュウマイなど、日本人におなじみのものがたくさんある。


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