▼戦後もうすぐ70年にもなりますが、「領土は主権の問題だから一切譲れない」として4島返還にこだわって来た結果、全く返還されず、2島さえ取り戻せませんでした。
今後も4島全部を得ようとすれば1島も得られないでしょう。
●北方領土交渉は柔軟に考え、チャンスを掴んで進展させる方が国益になるのです。
色丹・歯舞は小さな島でも・・・周辺海域の水産資源の価値が高いことを重視すべきです。
日本は面積等分方式を受け入れる用意があるとのサインを送り、領土交渉を進展させる方がよいでしょう。
面積2等分なら、日本は色丹・歯舞・国後島の3島+択捉島の1/4を得られるのです。
もし仮にロシアが択捉島の分割をどうしても嫌だとして交渉が進まないなら、3島だけでもよしとすべきでしょう。
3島なら陸地面積では半分にかなり不足ですが、その周辺海域がロシアの領海や経済海域ではなくなり、日本のものになることまで加えると非常に大きい価値があり、大きな成果と言えます。
またその上で平和条約を結び、天然ガスなどの資源開発や輸入を含む経済交流を拡大することも国益になります。
4島絶対論者たちは、「領土は主権の問題だから一切譲れない」といいます。
しかし、サンフランシスコ平和条約が1952年4月28日に発効したことをもって自民党が「主権回復の日」と記念式典までして祝いましたが、この条約には「日本が千島列島を放棄する」という内容も含まれていました。
これはヤルタ会談で米国が米兵の犠牲を減らすためにとソ連に持ちかけた「ソ連が対日参戦してくれれば、千島全島をソ連に渡す」という密約を反映したものでしょう。
当時日本は択捉、国後の2島を「南千島」とも呼んでいたのですから、千島の一部と考えていたわけでしょうが、その後この呼び方を止め、択捉、国後の2島は千島では無いことにしてソ連に領土要求することに変更しました。
実のところは米国に「放棄しろ」と言われれば放棄し、「冷戦になったからソ連に領土要求せよ。 一切譲歩するな!」と言われれば「4島一括返還」に固執する領土要求をするようになったのです。
そのため、交渉で良いチャンスがあった時も逃して今日に至ったのです。