京の一枚

京都 安井金比羅宮 金毘羅秋期大祭 10月1日~


保元の乱で祟徳上皇を守った武者にちなんで、鎧兜に身を包み、りりしくもかわいいちびっこ武者が行列に出ます。


(※現在は都市化、少子化のため子供みこしと花車の渡御にかわりました)。


1日に境内三カ所の鳥居に斎竹を建て注連縄を張る神事を行い、11日には御本殿の御神霊を御鳳輦と子供みこしに遷すお祭り。


夕刻より氏子の奉仕でお餅つきがあります。


飾り付けされた御鳳輦や子供みこしや花車と共に獅子舞が氏子町を巡行して、ワッショイワッショイと威勢良く練り歩きます。



10日は例祭。


御本殿の扉を開き、多くのお供え物をして、宮司が祝詞を奏上。


雅楽の演奏の中で執り行われます。








縁切り縁結び碑




高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石で、中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。


「○○君と幸せに結婚できますように」という可愛いらしいお願い事から、「夫と浮気相手との縁を切って下さい」といった事まで、皆様の様々な願いが書かれた「形代(かたしろ)」(身代わりのおふだ)が貼られ、碑が見えないほどになっています。


御祈願の方法は、まずご本殿にご参拝下さい。次に「形代」に切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書き、「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐります。


これでまず悪縁を切り、次に裏から表へくぐって良縁を結びます。


そして最後に「形代」を碑に貼って下さい。








第38代天智天皇(てんちてんのう)の御代(668~671年)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。


第75代崇徳天皇(すとくてんのう) (在位1123~1141年)は特にこの藤を好まれ、久安2年(1146年)に堂塔を修造して、寵妃である阿波内侍(あわのないし)を住まわされました。


崇徳上皇が保元の乱(1156年)に敗れて讃岐(現、香川県)で崩御された時に、阿波内侍は上皇より賜った自筆の御尊影を寺中の観音堂にお祀りされました。


治承元年(1177年)、大円法師(だいえんほうし)が御堂にお籠りされた時に、崇徳上皇がお姿を現わされ往時の盛況をお示しになられました。


このことは直ちに後白河法皇(ごしらかわほうおう)に奏上され、法皇のご命令により建立された光明院観勝寺が当宮の起こりといわれています。


光明院観勝寺は応仁の乱(1467~1477年)の兵火により荒廃しましたが、元禄8年(1695年)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになりました。


明治維新の後、蓮華光院を廃して「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っています。







■場 所: 安井金比羅宮


■期 間: 10/1~体育の日(※毎年同じ日程です)


■時 間: 御斎竹神事:10/1 9時~


出御祭(体育の日の前々々日):8時半~


宵宮祭(体育の日の前々日):19時~


例祭(10/10):11時~


神幸祭((体育の日の前日):11時~


神幸渡御(体育の日の前日):14時半~


納輦祭(体育の日):9時~


■アクセス: 市バス206「東山安井」
       
      または京阪「祇園四条」駅・ 阪急「河原町」駅

■お問合せ: 075-561-5127


■公式ホームページ:http://www.yasui-konpiragu.or.jp/


※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。















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