京の一枚

京都 紅葉100シリーズ 迷いの窓 悟りの窓の源光庵 NO.33


源光庵は、貞和2(1346)年に徹翁(てっとう)国師が開山した寺院で、もともとは臨済宗大徳寺派の寺院として創建されました。


元禄7(1694)年に加賀・大乗寺の27代目卍山道白(かいざんどうはく)禅師がここの住職を務めたことから曹洞宗の寺院に改められ、現存する本堂も建立されました。


本堂にはご本尊の釈迦牟尼佛、両脇に阿難(あなん)尊者、迦葉(かしょう)尊者がおまつりされています。


本堂横には、卍山禅師が享保4(1719)年に建立された開山堂があります。


卍山禅師は、宗祖道元禅師の教えが当時の乱れた宗門を復古した功績から、「中興の祖」として讃えられています。


山門には、「復古禅林」の額が掛けられています。







卍山禅師は、天和元(1681)年に京都洛南宇治田原の山中で、霊芝というきのこからできた霊芝観世音を感得しました。


すると、当時の後西天皇は自然のものでできたこの観音像をおまつりしたいとのことから、宮中で供養しました。


その後、観音像は源光庵に戻り、秘仏としておまつりされるようになりました。








「迷いの窓」


迷いの窓の四角い形は、人間が誕生し、一生を終えるまで逃れることのできない過程、つまり「人間の生涯」を4つの角で象徴しています。


この「迷い」とは「釈迦の四苦」のことで、この窓が生老病死の四苦八苦を表しているといわれています。








「悟りの窓」


悟りの窓の丸い形は、「禅と円通」の心が表されています。


ありのままの自然の姿、清らか、偏見のない姿、つまり悟りの境地を開くことができ、丸い形(円)は大宇宙を表現しています。










血天井


源光庵の天井をよく見てみると、血痕が付いていることがわかります。


この天井は、血天井と呼ばれています。


昔、ここで多くの人が斬殺され、凄まじい勢いで天井に血が飛び散ったかと思われるかもしれません。


実は、京都・伏見桃山城の遺構。慶長5(1600)年、徳川家康の忠臣であった鳥居彦右衛門元忠の一党の約1800人が、石田三成の軍勢と交戦し、多くの武将が討死しました。


生き残ったおよそ380人全員も自刃し、流れた血痕が床に残されました。


亡くなった一党の魂を冥福しようと、血痕の残された床板は5つの寺院にわけられ、一部が源光庵にも奉納されました。


そして床板を天井にあげ、一党の魂の供養が行われました。


ところどころに血で染まった足跡がありますが、それはここ源光庵にしか残されていないのだとか。








源光庵は紅葉の時季ともなると、たくさんの参拝客で賑わいます。


「迷いの窓」と「悟りの窓」からの風景が特におすすめです。


門前から境内まで広がる美しい紅葉を楽しみつつ、自分自身を見つめなおしてみてはいかがでしょうか。









■交通案内


市バス 鷹峰源光庵前下車徒歩約1分


■駐車場情報


自家用車20台分 無料


車椅子による見学 不可


■拝観・開館時間 9:00~17:00


■見学所要時間 約20分


■休日・休館 法要行事のあるときは拝観中止の時間あり。

■料金


大人  400円 

大学生 400円
 
高校生 400円 

中学生 400円
 
小人  200円











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