東京都水道局和田堀給水所
京王線の代田橋~明大前間で南側の車窓を眺めていると、特徴的な古い建物があるのが目に入ってきます。まるで中世の要塞か古代ローマのコロシアムを思わせるような巨大な円筒形の建築物で、中心部には塔がそびている。これは、東京都水道局和田堀給水所(世田谷区大原)の1号配水池で、戦前から千代田区、渋谷区、世田谷区、港区、目黒区などへの配水をおこなってきた重要な施設で、現在、周辺では大規模な工事が進行中です。
和田堀給水所の歴史は計画段階を含めると、いまから100年以上前にさかのぼり、明治時代末期に急激に人口が増加した東京市西部では、水道水の供給が既存の施設だけでは賄いきれなくなる不安が生じていた。そのため、西郊の狭山丘陵に村山貯水池(通称・多摩湖。大和市多摩湖)を築造して、多摩川の羽村取水堰(せき)で取り入れた水を貯留し、現在の武蔵野市の境浄水場(同市関前)へ導水して浄水処理したあと、和田堀浄水池(和田堀給水所の旧称)を経て市内へ配水するという計画が立てられた。
京王線の代田橋~明大前間で南側の車窓を眺めていると、特徴的な古い建物があるのが目に入ってきます。まるで中世の要塞か古代ローマのコロシアムを思わせるような巨大な円筒形の建築物で、中心部には塔がそびている。これは、東京都水道局和田堀給水所(世田谷区大原)の1号配水池で、戦前から千代田区、渋谷区、世田谷区、港区、目黒区などへの配水をおこなってきた重要な施設で、現在、周辺では大規模な工事が進行中です。
和田堀給水所の歴史は計画段階を含めると、いまから100年以上前にさかのぼり、明治時代末期に急激に人口が増加した東京市西部では、水道水の供給が既存の施設だけでは賄いきれなくなる不安が生じていた。そのため、西郊の狭山丘陵に村山貯水池(通称・多摩湖。大和市多摩湖)を築造して、多摩川の羽村取水堰(せき)で取り入れた水を貯留し、現在の武蔵野市の境浄水場(同市関前)へ導水して浄水処理したあと、和田堀浄水池(和田堀給水所の旧称)を経て市内へ配水するという計画が立てられた。
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