10年前のあの日、私は仙台市内の会社にいた、退職を月末に控え
ビルのなかで残務整理をしていた時、今まで感じたことのない大き
な揺れ、長く感じた揺れ、その時同じ県内の沿岸部に津波が押し寄
せ、よもや未曾有の大惨事になろうとは予想もしなかった。
死への恐怖を感じ、声を出す時間もなく波にのみこまれた人々、死
はだれにも平等にやってくる、しかし十分生きたと満足して旅立っ
た人はいなかったはず、本人も残された人も無念だったろう。
そして原発事故、今日の生活が明日も続き、今日も生きて明日も生
きていて当然のことだった、そして人は多くのものを失い生き残っ
たものは立ち尽くすしかなかった。
ふるさとをあきらめる苦渋の決断、見知らぬ土地での暮らし、仮住
まいの避難生活、自宅の再建に賠償は不十分、震災から10年経っ
たけれど真の復興を目指して今も、もがき続ける人の姿を私たちは
忘れてはならない。