昨日は終日車を運転していたせいか一晩中腰の痛みが引かずよく眠れなかった。その身体に鞭打つように妻と歩きに出た。じっとしているより歩いていたほうが腰も楽なのである。二十一世紀の森と広場を目指した。以前も歩いたことがあるが、今日は時間がなかったので松戸新田を経由する最短経路を選んだ。
最短経路は徒歩の場合いろいろと問題がある。例えば松戸新田駅前の踏切など、歩行者、自転車、自動二輪、自動車が同時に渡ろうとすると幅員が足りず、そのしわ寄せは端っこにいる歩行者にくる。つまり線路敷に落っこちそうになる。センターラインのない道路に入ると状況はさらに悪化する。しかし、このような力関係が逆転する道路がある。軽車道とよばれる道路幅1.5メートル以上3メートル未満の道路で、国土地理院の地形図で黒色の実線で示されている。
ここまで幅員が狭くなると自動車の通行が不可能なものが多く、可能な場合でも通行を控えるドライバーが多い。というか自動車乗りには道路として殆ど認識されていないというのが実情であろう。だから、通過交通は皆無と言ってよく、せいぜい居住者が軽トラックを転がす程度である(しかも徐行を強いられる)。このため、軽車道は歩行者が堂々と歩いていられる貴重な道である。ただし歩こうとするならばだが。。。この軽車道、残念なことに市街地では殆ど残されていない。郊外の市街化調整区域などで比較的よく温存されていて、遠回りを厭わず、軽車道を歩き繋いでいくと、その田園的な景観とも相まって長閑な散歩を愉しむことができる。いわば日本版パブリックフットパスである。
修論発表会、卒論発表会が終わり一息入れるも仕事は果てしない。もう少し仕事を続けていたい気持ちもないではないが、惰性に任せていると延々と続けてしまうので、強制終了させて帰宅する。机上の書類を整理して、自宅に持ち帰るものとそうでないものを振り分ける。明日からの三連休は漸く原稿に集中できそうだ。
家族で二泊三日(2022年8月15日〜8月17日)のキャンプ。大洗キャンプ場にて。
STAEDTLER Pigment Liner 0.8mm on Daiso Sketch Book (B6 Size)
2022年6月15日、千葉大学博士研究員のMariia Ermilova-Teradaさんを講師にお呼びして、「しぜんかんさつスケッチ大会」を開催。主催は雨庭組(千葉大学大学院園芸学研究院木下剛研究室内)。キャンパスで植物を採集、千葉大学附属図書館松戸分館アカデミック・リンク松戸2階の学習室にてスケッチ&意見交換。
STAEDTLER pigment liner 0.8mm and colored pencil on sketch book (A4 size)
2021年11月21日(日)に千年村疾走調査で訪れた霞ヶ浦や北浦周辺の鄙びた田園風景がなんとも素晴らしく、記憶に留めるべく作図。ただし掲載の陰影段彩図はブログ容量の関係で解像度を落としています。
それにしても、見事に自然堤防に乗り、時代が下ってもそこから一歩も降りようとしない完全な集落です。図1は図2を拡大したものですが、図2のような大縮尺の場合、段彩の分類はそれほど細かくする必要はありませんが、拡大して見ることも想定される場合は細かく設定しておかないと(拡大した時に)微地形が表現されません。図2は最大高低差約50メートルの地形を50段階に分類し彩色しています。このくらい細かく設定しておけば、図1のように拡大しても自然堤防や浜堤のような微高地もくっきりと浮かび上がります。
図1 旧行方郡逢鹿郷比定地周辺の陰影段彩図(赤色線は町字界、青色線は行動軌跡)
図2 北浦周辺の陰影段彩図(赤色線は町字界、青色線は行動軌跡)
描画メモ:QGIS(Mac)での描画にあたり、道路・建築物・水域・各種境界線などの基本項目および数値標高モデル(DEM5)の.shpへの変換はPC上で基盤地図ビューア(国土地理院)を用いて行い、QGISに読み込みました。ところが、基本項目は問題なく表示できたのに、DEM5の描画がうまくいきません。DEM5は.shpに変換済みとはいえポイントデータなのでQGIS上でさらにGeoTiff(.tif)に変換(ベクタをラスタ化)しないと地形が表現されません。QGIS上で.tifに変換できてはいるのですが標高値が0になってしまったりで起伏が全く表現されません。変換の際のパラメータ等の入力に問題があるのか何なのか、私の知識ではよくわかりません。そこでやむを得ずPCに戻り、今回もエコリスさんの「基盤地図情報標高DEM変換ツール」のお世話になることに。。エコリスさんのDEM変換ツールは.tif形式の陰影起伏図も同時につくってくれるのでとても便利です。無事QGISで描画することができました。それが下の図です。もう一つの課題としては、2つの二次メッシュの結合がうまくいっていないことです。QGIS上でラスタデータの結合(gdal_merge)を行っていますが、継ぎ目がキタナイです。2つのメッシュを構成するすべてのDEM5.xmlファイルを一つのフォルダにまとめてからGeoTiffに変換したほうが良いのかもしれません。
なお、DEM5.xmlの.shpへの変換はMacでもできないことはないようで、ネット上でもその方法が紹介されていますが、それを読んでも実行できる知識が私にはありません。また、意地でもMacにこだわるなら、品川地蔵さんが提供するツール「基盤地図標高変換(DemConv)」を使うと、DEM5.xmlをGeoTiff(.tif)に変換できるのでQGISで読めます。品川地蔵さんの他のツールを使うと陰影段彩図の描画もできますが、それを.tif形式で保存できる機能は、調べた限り、ないようです。
ビーチに降りていく階段が好きである。先日も、稲毛海浜公園検見川浜の階段状テラスがいいなぁと思ってスケッチしたところ。そうこうしているうちに、映画「ビッグ・ウェンズデイ」を思い出してググってこれもスケッチ。
待ちに待った大波に乗るべく、主人公のマットが廃墟も同然の階段をビーチに降りていくと、、、そこに懐かしい友ジャックとリロイが待っているという感動のシーン。(T_T)
スケッチは下手。しかもハンサムボーイたちの顔が台無しだ。修行が足りぬ。
Drawn by uni 0.7mm BLUE and RED Nano Dia Color on Daiso Sketch Book H(No.1) and proccessed with the "Vivid Filter" of Apple's Photo App..
ギシギシ(羊蹄,Rumex japonicus)
Prussian blue pencil and other colored pencils on memo pad.
稲毛海浜公園に遊ぶ。ビーチを見下ろす階段状のテラス。午後の海風が立ち始め、一斉にウィンドサーファー達が水面に駆け出す。
0.5mm fiber tip pen and colored pencil on Daiso's Drawing Book (B6)
御成道(おなりみち)は松戸有数の古道なのですが、忘れ去られています。銚子から鮮魚を運んだ鮮魚(なま)街道という名もあります。御成道の名は、徳川将軍が金ヶ作に鹿狩りに通ったことに由来します。古地図を見ると、野馬土手らしきものや並木なども確認できますが、いまは全く残っていません。歴史ある道だということを示す案内板くらいはいつか立てたいものです。この坂道は庚申塔前から吉兵衛屋敷、下水("げす"と読みます)などの小字を経て、いまは暗渠化されている国分川支流の谷に下りるのですが、下水という名は、この沢の存在、すなわち台地を下ると水が流れている、という地勢に因むのではないかと思われます。
0.5mm Fiber tip pen and coloured pencil on Daiso's drawing book.
農家の方が植えたのでしょう。野良に咲く花縮砂或いは肉色縮砂を見るのが私は好きです。この花を見ると、遠い熱帯アジアの湿地を想わずにいられません。日本への渡来は江戸末期です。熱帯原産の、どちらかと言えば大味なこの常緑多年草はしかし、南安房の温暖な農村地帯では全く違和感がありません。南房総市丸本郷にて。
This is an old settlement with a long history of over 1000 years. Prussian blue colour pencil on my university's memo pad.
恩師の田畑先生が今から半世紀近く前に提起した「保全の系」の概念。河川や用水、地形の大きな変曲点(崖線)などに沿って設定される仮想のLineで、自然環境の保全、自然的環境の整備、土地の再自然化などのPotentialが非常に高い地点の軌跡として理解される。保全の系の上や近くで行われる開発、土地利用においては、保全の系とどう向き合うかが常に問われるべきである。保全の系のPotentialを活かすかどうか、活かせるかどうかは開発の仕方、土地の利用の仕方しだいである。一方、保全の系に乗らない場所での開発や土地利用においては、それを通じて新たな保全の系を創り出すことが期待される。例えば、玉川上水とその分水網、その他の用水は人工物ではあるが、造成後の時間の経過や人々との関わりを通じて、そこに保全の系を設定できるような状態になっている。つまり、自然環境だけでなく人文環境に対しても保全の系は設定しうる。また保全の系は、暗渠(下水道)化された河川や用水、地形改変された崖線などに対しても設定されている。これは、今後の開発や土地利用を通じて、もしかしたら土地の再自然化を行えるかもしれない!というPotentialに期待しているからである。