Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

馬場駅前のムトウ楽器店

2008-04-17 | Media
早稲田の授業は18時から19時30分まで。授業が終わるとちょうど腹がへる時間帯だ。いつもは空腹をおして帰宅するのだが、この日は我慢できず、高田馬場の駅前で夕食をとった。食後、何気なく目に止まった看板を見て愕然とした。「2F ジャズ・クラシック専門」とあるではないか。店名は Muto(なんと Since 1924)。いやぁこれは不覚だった。早稲田に通い始めてはや5年、全く気づかなかった。駅の真ん前だというのに。

Made in Japan の定価販売が中心のようだが、品揃えはそれなりに充実していてこだわりが感じられる。もちろん品数的には HMV やタワレコ等の大手外資系とは比ぶべくもないが、何より好感が持てるのは日本の古き良きレコードショップの面影を今に伝えている点だ。インテリアも明らかにおこちゃま向けではない。まあ、ジャズ・クラシックとくりゃ当然であるが。HMV のイギリス的雰囲気、Tower のアメリカ的チープなインテリアとぜひ比べられたい。これぞジャパニーズ、ブラヴォ!

ボクは、馬場といえば中古レコードの「タイム」等が有名で、セコハンショップばかりだと思っていたし、そのうえ、もう中古レコード店をハシゴしてシコシコと探すバイタリティも余裕もない。といってぜんぶネットで買っちゃうというのもどうもしっくりこない。そういうジェネレーションなのである。そこで、何かのついでに立ち寄れる駅前レコードショップ(とブックショップ)の存在はじつにありがたい。これでまた馬場に来る楽しみが増えたぞ。余談だが、渋谷の某学術団体に「ウキウキと」足を運べるのも、じつは HMV と Tower の存在が大きい(←オフレコ)。

CD 備忘

2008-04-04 | Media
なかなかまとまったレビューができないので、忘れないうちにタイトルだけでも。好きとか嫌いとか、イイとか悪いといった類の言説は個人的、主観的な評価であって、明らかに批評とは言えないが、世に音楽批評と称して出回っている言説の多くが、この手の「感想」の域を出るものではないと個人的には思う。そういう意味では、批評ではないけれども、クラシック音楽を時の社会・政治状況と関連づけてみせてくれた、西原稔『クラシックでわかる世界史』アルテス・パブリッシング,2007 のような試みは新鮮だった。さて、そう言いつつ、自分のことは棚に上げて(というか音楽批評なんて僕にはもちろん書けないので)、最近の超個人的リコメンドCDを以下にあげます。

イヴ・ティボーテとデュトワのフレンチコンビによるサン=サーンスはすばらしかったですね(特にピアノコンチェルト2番)。アンゲリッシュ&ヤルヴィによる軽やかなブラームスも捨てがたい。ヒラリー・ハーンの新譜(シェーンベルク&シベリウス)は極渋(若いのに・・・)。しかし、なんと言っても最近のマイ・ベストは、シャイー&ゲヴァントハウス管によるメンデルスゾーンだ。「真夏の夜の夢」序曲と交響曲第2番《讃歌》のカップリングで、個人的には名高いクレンペラー盤より好き。「真夏~」はこのコンビでぜひ劇音楽全曲版(組曲じゃなくて)を出してほしいと思う。「讃歌」も音楽の楽しさに満ちあふれている。シンフォニーからカンタータに移行するあたり、もうゾクゾクします。たまりません。声楽では、スミ・ジョーのバロック・ジャーニーがよかったなぁ。このひとのコロラトゥーラはなんというか官能的で、もうどうにかなりそうです。。。

さて、そろそろモーツァルトの季節だなぁ。

 

 


パブリック・ドメインとしての環境情報その2/臭いものに蓋をする発想

2008-03-08 | Media
米ランドスケープ・アーキテクチュア誌の近刊をぱらぱらと捲っていて目に留まった記事。一つは1月号の「テクノロジー」紹介の項。アーバン・フォレストの評価とその計画技術に関する記事で、サンフランシスコの「アーバンフォレスト・マッピング・プロジェクト」や、USGS が提供する「ナショナルマップ」、シカゴの「グリーン・インフラストラクチュア・マッピング・プログラム」、その他、GIS/GPSを用いた樹木管理のためのアプリケーション・ソフト等が紹介されている。米国では、いわゆる緑被図に類する地理情報はすでにナショナルスケールで完全にパブリック・ドメインとなっている。サンフランシスコの樹木マップは樹一本一本がピンポイントでマッピングされている(追加も可能)驚くべき地図。

いまひとつは、2月号の「都市公園」の項。高速道路上の人工地盤公園について論じたもの。まだよく読んでいないので論評は控えたいが、個人的にはどうも高速道路に蓋掛けしてそのうえを公園にする(道路と公園の分離、あるいは交通とレクリエーションの分離)というのは、そのことによって得られる数多の恩恵を何ら否定するものではないが、「臭いものには蓋をしろ」的な発想というか、20世紀的な手法という感じは正直なところする。その点、むしろ古典的なパークウェイの(道路と公園をレイヤリングしてしまった)コンセプトのほうが断然冴えているではないか。

ボストンの「ビッグ・ディグ」も素晴らしいプロジェクトだとは思うが、これも臭いものには蓋をしろ型の典型例。ただ、この事例は、臭いものに蓋をしたのではなく、埋めて(地下化して)しまったところがすごいのだが。ひるがえって、本邦日本橋のケースはどうだろう。運河の上に高速道路が建設されたのは、建設用地の確保上の理由のみならず、臭いもの(当時の日本橋川)には蓋(首都高)をしてもかまわない、という心理が無意識に働いていたのではあるまいか。その「蓋」を取っ払って当初の風景を取り戻そうというのがこの構想の趣旨である。ここで、「臭いもの」とはいまや首都高になり代わっている。時代の流れの中で「臭いもの」が完全に逆転してしまったのだ。しかし、臭いものは除去されるべし、というコンセプトは貫徹される。

ソウルの清渓川(チョンゲチョン)も日本橋と同様の経緯をもつ。臭い清渓川にかけられた蓋(高速道路)を除去して、臭くない清渓川が再生されたのである。ただし、清渓川の場合は、たんに蓋(高速道路)を取っ払った(移設した)のではなく、捨てて(廃道にして)しまった点が非常にユニークである。なんとも韓国らしい潔さである。清渓川プロジェクトのすごさは、河川再生にではなく「道路の廃止」という点に認められるべきだろう。とはいえ、やはり「臭いもの」と「それにする蓋」という二分法を前提としている点はその他のプロジェクトと同様である。この二分法を乗り越える手法が欲しいところだ。

ラシアンズ

2008-03-05 | Media


ミハエル・プレトニョフのベートーヴェン・ピアノ協奏曲2&4番(DG,2006)を買ってみた。「ドイツ音楽はドイツ系の演奏家によるべき」という尤もらしい発言をよく耳(目)にするが、ー好き嫌いの問題はさておきーそういった聴き方はクラシック音楽の楽しみを大いに減じている(と思う)。僕は、ドイツ音楽であれば、それが非ドイツ系の演奏家によってどのように奏でられるか、非ドイツ圏でどのように演奏されるか、またそのように演奏されるバックグラウンドとはいかなるものか、ということにも大いに興味が湧く。さて、プレトニョフによる第4協奏曲は、決してロマンティックな演奏ではない。緩急の自在さ、そして、カデンツァが見事だと思った。



一方、ヴァレリー・ゲルギエフ(指揮)によるラフ2(フィリップス,1993)は、本家本元、ロシア人指揮者とロシアの楽団によるロシア音楽の演奏である。だけれども、その演奏はどこかあっさりしており、ロシア的な濃厚さは感じられない。むろんゲルギエフの個性、芸術性に拠るところが大きいわけだが、じゃあなぜロシア人であるゲルギエフがそのような個性を持ち得たのか、などと考えはじめるともう愉しくてたまらない。また、20世紀も初頭になってラフマニノフという人は何故にこんなロマンティックな曲を書き続けたのか、という疑問もじつに知的好奇心をそそる。アヴァンギャルドな音楽をかく才能がなかったから、ではあるまい。

「AXIS」vol.132の土木特集

2008-03-02 | Media
知人の御代田氏からのメイルを転載します。
興味のある方はぜひ。

---------以下、御代田氏のメイル

大変ご無沙汰しております。
御代田です。

掲題のとおり、本日(3/1)発売のデザイン誌「AXIS」vol.132で土木特集が組まれています。
http://www.axisinc.co.jp/publishing/magazine/vol/132.html

この特集につきまして、企画・編集・執筆の協力をさせて頂きました。
今回は土木業界以外の方々を意識した構成としているため、
少々概念的な記述も多いかと思いますが、
ぜひ皆様にご一読頂き、ご感想等頂けたら幸いに存じます。

今後も様々な活動を予定しておりますので、またご連絡させて頂きます。
なお、よろしければこちらもご覧ください。
http://www.tokyodoboku.jp
http://www.laud.jp

イタリアン

2008-02-10 | Media

レスピーギ「ローマ三部作」:アントニオ・パッパーノ&ローマ・サンタチェチーリア国立アカデミー管弦楽団(EMI輸入盤,2007)


シューマン交響曲全集(マーラー版):リッカルド・シャイー&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(デッカ輸入盤,2007)

レスピーギ/ローマ三部作は思い出深い音楽だ。初めて耳にしたのは20うん年前。例によってNHK-FMかなんかのエアチェック。誰の演奏かは忘れた。やたら芝居がかった派手な音楽だと思ったけれど、妙に気に入ってそれこそテープが伸びるまで聴き倒した覚えがある。その20年後、ローマに滞在する機会に恵まれて、実際にローマの松と泉を見た(あいにく祭には巡り会えなかった)。その時、ようやくこの曲の「空気」が読めたような気がした。「ローマの松」はやはりローマの松以外の何物でもなかった。一方、シャイーはマイベストコンダクターの1人。マーラー編曲版ってのはマーラー的じゃないところがマル(←いやマーラー好きだけどね)。老舗ゲヴァントハウス管とデッカによる渋~い美音!が聴きもの。

レコード備忘(昨年の暮れ以降)

2008-01-25 | Media
この時期ははどうしても声楽が多くなる。室内楽も最近のマイブームだったりする。
・モツレク:シントウ+バルツァ+クレン+ヴァン・ダム+ウィーン学友協会合唱団+ショルツ+カラヤン+ベルリンフィル(DG, 1975)
・フォーレ/レクイエム:ディースカウ+アンヘレス+エリザベート・ブラッスール合唱団+ピュイ=ロジェ+クリュイタンス+パリ音楽院管(EMI, 1962)
・チャイコフスキー/交響曲4番,イタリア奇想曲:カラヤン+ベルリンフィル(DG, 1976, 66)
・ブラームス/ドイツ・レクイエム:ディースカウ+シュワルツコップ+フィルハーモニア合唱団+ダウンズ+クレンペラー+フィルハーモニア管(EMI, 1961)
・ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲7番,チェロ・ソナタ3番:ケンプ+シェリング+フルニエ(DG, 1970, 65)
・ヴェルディ/レクイエム:ゲオルギュー+バルチェッローナ+アラーニャ+コンスタンティノフ/アバド+ベルリンフィル+スウェーデン放送合唱団+エリック・エリクソン室内合唱団+オルフェオン・ドノスティアーラ合唱団(EMI, 2001)
・モーツァルト/弦楽四重奏17番,19番:メロス弦楽四重奏団(DG, 1976,77)
・モーツァルト/ヴァイオリン・ソナタ34番,28番,32番,25番:ハスキル+グリュミオー(PHILIPS, 1958)
・ドボルザーク/ピアノとヴァイオリンのための作品全集:スーク+ホレチェク(SUPRAPHON, 1972)
・プロコ1番・3番、バルトーク3番の各ピアノコンチェルト:デュトワの元妻+アルゲリッチの元旦那+モントリオール響(EMI, 1997)

・カラヤン70年代のベートーヴェン交響曲、普門館ライブなど(20数年前、ダメだと思ったカラヤンのベートーヴェンになぜか今惹かれる。なぜだ? 逆にあの頃すごくイイと思っていたフルベンを最近は全く聴かなくなった。当時と現在の違い、それは古楽器演奏の台頭だ。カラヤンの、あの大編成のベルリンフィルと、最近の、古楽器による小編成オケのベートーヴェンは、どこか通ずるものがある。もちろン、似てない部分のほうが多いのはわかっている。だけどどこかスゴ~く大事なところで通底しているものがあるような気がするの)

一昨日、何気なくTVをつけたら「のだめカンタービレ」というヤツをやっていた。はじめてみた(汗)。噂は聞いていたけれど、うん、面白いじゃないか。今度からみよ~っと。

録画のための覚え書き

2008-01-09 | Media
しかし、録画するのはいいけれど観ている時間がないぞ。

1月12日(土)
20:00~21:30、TOKYO-MX、生誕100年記念 カラヤン・コンサート集 1983、リヒャルト・シュトラウス「アルプス交響曲」op.64、指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン、管弦楽:ベルリン・フィル
21:00~翌00:46、NHK BS hi、ウィークエンドシアター、ドレスデン国立歌劇場・日本公演 2007、リヒャルト・シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」 、指揮:ファビオ・ルイージ(ゾフィー役で森麻季さん出演)。カラヤンと30分だぶるから、裏録だな。

1月13日(日)
09:00~10:31、NHK BS hi、クラシック館、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団創立450周年記念コンサート 1998、管弦楽:ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、指揮:ジュゼッペ・シノポリ
1.協奏曲 ト短調「ドレスデン合奏団のために」(ヴィヴァルディ)
2.歓呼序曲(ウェーバー)
3.歌劇「リエンチ」 序曲(ワーグナー)
4.アルプス交響曲(R.シュトラウス)

1月14日(月)
00:55~03:00、NHK BS 2、クラシックロイヤルシート、フィルハーモニア管弦楽団 演奏会 2007、管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団、指揮:エリアフ・インバル
1.交響曲 第10番 から「アダージョ」(マーラー)
2.交響曲 第1番 ニ長調「巨人」(マーラー)

その他、N響演奏会

オーストリア放送協会のカラヤン第9(補足修正)

2008-01-04 | Media
録画しておいたカラヤン特集をオーディオを通して観る。いやはやものすごい高音質。ベルリンフィルとの「第9」もすばらしいが、ウィーンフィルとの「ニュー・イヤーズ・コンサート1987」はもうなんというか美音の極み。地上デジタルがここまでスゴイとは思わなかった。ただし、地デジの高音質をフルに再現するには、テレビジョン内蔵のスピーカでは全く不十分。やはり専用のオーディオシステム(もしくはホームシアターなど)を通して聴くべきで、音像のクリアさ、立体感、臨場感、どれをとっても雲泥の差である。

それはそうとこのプログラム「ヘルベルト・フォン・カラヤン生誕100周年ニューイヤーコンサート集」は貴重である。放送局の TOKYO-MX が、オーストリア放送協会(ORF)との提携を記念して、ORFのアーカイヴに眠る80年代のカラヤンの演奏を放映するものだ。80年代カラヤンの第9といえば、DG盤をすぐに思い浮かべるが、その音源と今回放送のものは異なる。海外盤も含めてCD/DVDともおそらく未発売の演奏ではないかと思う。映像と音源を握るORFはニューイヤーズコンサートのCD/DVDは発売しているようだけれど、第9はまだのよう。

大晦日にはNHKからも地デジで第9(リットン指揮のN響)が放映されていて、これも録画したのだけれど、20年前のカラヤン/ベルリンフィルの演奏には到底及ばない(笑)。前半の第9に続いて放映された、後編の「ニューイヤーズコンサート」(ウィーンフィル)は、音質もさることながら見せ場も満載。フィナーレのラデッキー・マーチでカラヤンが聴衆の手拍子を指揮する微笑ましいシーンや、皇帝円舞曲に合わせた古典舞踊の再現など、カラヤンらしい演出が随所に収録されていて、ファンには嬉しい映像であろう。

補足修正:ニューイヤーズコンサート1987は SONY からも出ていました。それから、1986年の第9も SONY から出ているんですね。同じくテレモンディアル原盤のベートーヴェン・シリーズの 9 DVD-BOX もやはり SONY から3月発売の予定。なお、1986年の第9はカラヤン最後の合唱。ただし、音と映像は別録り(第9に限ったことではないが)。

Re-reading "Zwischenstadt"

2007-12-28 | Media
『都市田園計画の展望:「間にある都市」の思想』 再読
(トマス・ジーハーツ=著,蓑原敬=監訳,学芸出版社,2006)

第4章 デザインの焦点となる「間にある都市」 リーディングノート

パラ美学
・美学によって定義される領域の中には止まり得ない美学。美学の境界や限界を着実に押し広げてゆくことに役立つ美学。
・美しいものの反対、美的ではないもの、を認識する美学。
・美の伝統主義者によっては決して理解できないことの理解。
・直接体験による知覚の限界に注意を集め、それを超えること。

「間にある都市」の把握
・「形」の世界を通じた知覚ではなく、「生活」の痕跡を知覚し、解釈することで、外部から持ち込まれた独断的な美の基準を相対化できる。
・小さいスケールの中で成立している生活の痕跡に敏感に反応することで、「間にある都市」のイメージが豊かな雰囲気で満たされる。
・「古典的な」秩序や親近感が持てる「調和」と、無秩序の美学との間の不安定なバランスをどう保つかが問われている。
・美的なものを非美的なものに「譲り渡して」しまうことは、当節流行の無政府的な無秩序の礼賛と同様に、細心の注意を要する問題である。これはデザイナーやプランナーが取り組むべき課題である。

イメージによって達成できること
・不可視の諸要素へのアクセス、体験。
・「文化的な読み込み」を通じた非美的要素から美的要素への転換。
・肯定的な出来事とのリンクによる否定的要素の新しい解釈。
・諸要素の結合による展望と経験の連鎖→広域圏スーパー記号への転化。
・情報キャンペーンによる広域圏の発見。

意味の欠落した土地の「再コード化」
・エコロジーを指向するオープンスペースの計画と、社会性を指向する、文化・スポーツをともなった都市開発の統合。
・廃墟や破壊されてしまっている風景の再解釈。
・(自然と文化の重要な中間段階としての)休閑地の、エコロジー的行為、芸術的行為の占領。
・従来の規範に照らして非美的なるものの「文化的占拠」による美的なるものへの転換。

Karajan forever

2007-12-19 | Media
来年2008年はカラヤン生誕100周年にあたるそうで、大手レーベルでは記念商品の販売企画が目白押しである。極めつけはこれ→「カラヤン/DGコンプリートレコーディング」。CD240枚セット(300,000円)とのことで、気が遠くなるが、日本独自企画なのが笑える。CD1枚あたり1,250円という計算になるから、まあお買い得ではあるがもうちょっと安くしてもいいんじゃないか。EMIでもこんな企画がある→「カラヤン/コンプリートEMIレコーディングス第1集」、「同第2集」。前者は87CDsで30,020円。後者は71CDsで25,820円。両方で158CDsで55.840円(1CDあたり353円)。こちらは輸入盤で、日本独自企画のDG盤と比べればずいぶんと割安である。まあ内容や録音時期が異なるけれど。。。いずれにしてもこの人は死してなお「破格」である。破格といえば、こんなのもある→1962年ベルリンのイエス・キリスト教会にてDGに吹き込まれたベートーベン第九のガラスCD化。200,000円なり。

ユニバーサルミュージック・カラヤン情報
HMV・カラヤン情報
Deutsche Grammophon Karajan 2008 Site

カラヤン批判の構図

2007-12-05 | Media
例えば、カラヤンの第9は高校生の時にデジタル録音(カラヤン最晩年の80年代録音)のLPを買って、その時はぜんぜんダメだと思った記憶がある。当時、バンスタ/ニューヨークフィルとフルヴェンのバイロイト盤を既に聴いていたはずだが、大方の評判よろしく、フルヴェンがやはりいいいなと思っていたような。。。以降、大学時代を通じてクラシックからは遠ざかっていたわけだけれど、最近、ホントにごく最近のことだが、フルヴェンが妙に重苦しく感じられてきた。決定的だったのは、パーヴォ・ヤルヴィ/カンマーフィルのベト3・ベト4を聴いてから。それでも第9についてはいまでもバンスタ/ウィーンフィルがベストだと思っているけれど、問題はカラヤンである。

なぜか最近妙にカラヤンのベートーヴェンに惹かれる。昔はぜんぜんだったのに。なぜなんだろうか。カラヤンの演奏についてはかねてより評価が分かれていることは知っていたけれど、最近思うのは、カラヤン批判の構図というのはいってみれば「モダニズム批判」そのものものなんじゃないかと。それもメチャメチャ紋切り型の。やれ精神性に欠ける、人工的、機能的に過ぎる云々(←精神性って何だ?)。でもカラヤンは意図的にそういう演奏をしたわけでしょ。確信犯。それが彼の芸術なんだ。機能的にバラバラに解体したあと、自由な解釈でまとめあげる(表現する)。それでいて見せ(聴かせ)どころはちゃんと心得ている。ローカリティよりもユニバーサリティ。まさにモダニスト。

で、僕の中では、今をときめくヤルヴィのベートーヴェンとカラヤンのそれはものすごくシンクロしているの。音色や演奏スタイルは全く違うけれど、やりたかったことは結局同じなんじゃないかと。機能的、即物的な演奏の中に個性が光る解釈の斬新さといいましょうか。。。ただ、ヤルヴィも一部採用しているピリオド・アプローチについては個人的には好きになれないなぁ。あれって、「方法」であって「解釈」ではないでしょ。だから、同時代性が感じられないし、つまりはあれだけでは芸術にはなりえないんじゃないかと。ピリオド・アプローチを標榜する連中って、なんかエコロジストと重なってくるんだよなぁ。それもけっこうディープな方々。

英雄と皇帝

2007-11-16 | Media
P.ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィル・ブレーメンによるエロイカと第8交響曲(RCA, 2006)。小編成のピリオドアプローチということで、一聴した印象はなんかスカスカ。とくにエロイカ冒頭の全奏2連発は快速な演奏と相まって、全く迫力に欠けるのだが、繰り返し聴くうちにどんどん味わいと深みが出てくるのはなぜなんだだろうか。こういう演奏が出てきているのに、いまだにフルヴェンのエロイカが最高!とか豪語する連中の気が知れない。思うに、フルヴェンの地位が揺るがないのは、リアルタイムで、あるいは若かりし時分にフルヴェンに心酔したロートルの方々が音楽ジャーナリズムの世界ではまだまだ「ご活躍中」だからじゃなかろうか。ベートーヴェンの音楽はそれ自体が「重く強い」ので、演奏は軽やかに(でも軽すぎるのはダメよ、ベームみたいに)、しかし響きは厚く、というスタイルが個人的には好きである。フルヴェンは、重たい音楽をじつに重たげに演奏してる。まあそれが彼の芸術なんだろうけれど。。。それはそうと、このCDにかんしていえば、僕はエロイカよりも第8番がイイと思う。ヤルヴィというのは、ベートーヴェンの偶数番シンフォニーをじつに魅力的に鳴らせる指揮者である。4番も良かったし。ただ、ヤルヴィ盤については「録音の勝利」という気がしないでもないが。。。

ところで、最近、ルービンシュタイン/バレンボイム/ロンドンフィル、'75年録音の「皇帝」の廉価版(BMG)が出たので買ってみた。オリジナルはピアノソナタとのカップリングだったと思うが、今回は「ピアノコンチェルト4番」との組み合わせ。評価の高い皇帝よりも僕は第4協奏曲がすばらしいと思った。ここでの皇帝の演奏はちょっとノロいので個人的には???。ベートーヴェンのピアノコンチェルトは1番と4番がとくに好きである。1番は、ナガ~い管弦楽の後に颯爽と始まるピアノと、古典的な形式の中にどうしようもなく滲み出してきてしまうベートーヴェンらしさがたまらなくイイ。第4番は第1楽章のピアノの導入と終楽章ロンドの軽やかさにこれまたベートーヴェンの魅力が横溢しているような気がして、ただただ聴き入るばかりである。これがルービンシュタイン85歳の演奏だとは全くをもって信じがたい。お盛んである。

交響曲三昧

2007-11-08 | Media
最近、交響曲じゃないと感じなくなってきた。少なくとも、協奏曲。それもヴァイオリンとかじゃダメで、ピアノ。こまったなぁ、時間がかかるんだよ、交響曲は。

ということで、まずはカラヤン/BPO、76年録音(DG)の「エロイカ」。高速豪華な英雄であるが、言われるほどに悪くはないと思う。というより、個人的には好きな演奏である(昨今のピリオド演奏よりはよほど肌に合う)。この演奏に慣れてしまうと、名盤の誉れ高いフルヴェン52年(EMI)のエロイカが鈍重に聞こえてくる。

お次は、バーンスタイン/VPO、84年録音(DG)のシューマン交響曲第1番《春》、同第3番《ライン》。シューマンのシンフォニーはなかなかよいということに最近気づいた。熱いシューマンである。いいんだけど、ちょっと汗かき過ぎだな。こういう「熱さ」よりは、薄っぺらいとか表面的であるとか、なんと言われようが、僕はカラヤン的洗練を好む。

最後は、ブーレーズ/VPO、05年録音(DG)のマラ2《復活》。これはいい。とくに第4楽章「原光」がすばらしく、これだけでもこのレコードは買う価値がある。一部ファンの間では、楽譜に忠実なだけのマーラーらしさに欠ける演奏と云われているけれど、そもそも演奏芸術における○○○らしさって何だ! そんなの、演奏家次第、聴き手次第だ。。。今年のクリスマスはこのマラ2で決まりである。

秋の音楽

2007-10-19 | Media
カルロス・クライバー(指揮)+ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブラームス「交響曲 第4番 ホ短調 作品98」
(DG,1980,ウィーン)
いい。秋だね。

マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)+リッカルド・シャイー(指揮)+ベルリン放送交響楽団/キリル・コンドラシン(指揮)+バイエルン放送交響楽団
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30」,チャイコフスキー「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23」
(PHILIPS, 1982@ベルリン,1980@ミュンヘン)
ラフマニノフがよい。チャイコンはスピーカで聴くといいんだけど、ヘッドフォンだとなんかスカスカだなぁ。いや、リヒテル/カラヤン盤のゴージャスな音に慣れちゃってるから、そう聞こえるんだろうな。

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)+スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ベートーヴェン「チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 作品69」「チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 作品102の1」「チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 作品102の2」
(PHILIPS, 1961@ロンドン,1963, 1962@オーストリア)
じつに男臭い。たしかにイイんだけど、ちょっと引いちゃうな、僕は。

シャルル・ミュンシュ(指揮)+パリ管弦楽団
ブラームス「交響曲 第1番 ハ短調 作品68」
(EMI,1968@パリ)
熱い。でもドイツ人の熱さとはまたちょっと違う。