10/26(月) 午前中、学部の授業「公園デザイン学」の2回目。公園と緑地、両概念の出自と意味、都市公園法、都市計画法における公園の定義について。授業終了後、東金八鶴湖ランドスケープ再生プロジェクトの今後の進め方について、グローバルキャネット社との打合せ。午後、学会対応(造園学会一般研究論文の査読とりまとめ作業など)、JABEE実地審査後の諸対応等々。
10/27(火) 午前中、明日から開講するマスターコースの授業「広域緑地計画論」の準備。午後、卒論および修論ゼミ。学務対応(シラバス、履修案内におけるJABEE関連情報の更新)。先の造園学会関東支部大会にて行った研究発表の内容に誤りがあった旨のご連絡をいただいた。関係の方々には深くお詫び申し上げます。
10/28(水) 午前中、荻野さんの告別式。こんなにも悲痛な葬儀は経験したことがない。午後、マスターコースの授業「広域緑地計画論」開講。地域デザイン/地域再生ツールとしてのグリーンスペース計画の意義について概説。
10/29(木) 千葉大学園芸学部創立百周年記念式典及び祝賀会。
千葉大学園芸学部フランス式庭園(沈床庭園)
千葉大学園芸学部フランス式庭園のフラワーベース(大正天皇御大典)
10/30(金) 午前中、造園学会の研究発表論文の査読。午後、千葉大学園芸学部創立百周年記念国際シンポジウム「園芸学の国際的発展と大学間交流の意義ーこれからの100年を展望するー」。夕方、シンポジウムを中座して、板橋区西台公園改修計画ワークショップ(第4回)へ。
千葉大学園芸学部創立百周年記念国際シンポジウムの様子
主だったパネラーは本学部修了または勤務経験のある外国人(韓国、タイ、中国、インドネシア)。それが功を奏したのだろう、実に有意義なシンポジウムで、涙が出そうになった。国際交流、とりわけアジア諸国とのそれについては、日本では「お世話をする」「サーヴィスをする」という感覚が強い(于 貴瑞 氏,中国科学院地理科学・資源研究所)。私見では50代以上のジェネレーションにとりわけその傾向が強い。しかし、国際交流というのはそれではダメで、双方向かつ互いに恩恵を得るものでなければならない(全 昶厚 氏,ソウル国立大)、という指摘。激しく同意。
「お世話をする/される」「サーヴィスをする/される」という関係は常に優劣意識(例えば先進国と発展途上国という認識)を伴う。そういう、一方通行的な交流・サービスというのは長続きしない。サービスをしている(と思い込んでいる)ほうの側が疲れてしまうからだ(実は勝手に疲れているのだが)。なぜ自分も恩恵に与ろうとしないのか。その意味で、国際交流は目的でなく手段でなければならない(于 貴瑞 氏)。そしてその恩恵の最大の享受者は自分自身でなければならない(全 昶厚 氏)、と。
それにしてもなぜ日本人の学生が殆ど出席していなかったのか。また、日本からアジア諸国に留学しようとする学生がこれほどまでに少ないのか。残念だ。むろん我々教員の責任なのだが。。。あともう一つ、いま日本で働いている外国人が今回のシンポでは全く埒外に置かれていた(無視されていた)。有意義なシンポであっただけにこの点は頗る痛い。そのことを裏付けるかのように、ソウル大の全氏は、留学生に対する日本での(大学側の)就職支援が手ぬるいことを暗に示唆。
日本で学んだ留学生が日本で就職するということこそ、真の国際交流の果実といえるはずだが、日本の大学教員の多くは、留学生は卒業後、母国に帰って大活躍をするという進路イメージをアプリオリに前提としている。それも結構なことであるが、せっかく育てた優秀な外国人を日本のために日本で使う(働いていただく)。そのほうが得策であり国益に適う、という発想がなぜできないのか。このへんにも一方通行の国際交流という、この国の限界が見えかくれする。
10/27(火) 午前中、明日から開講するマスターコースの授業「広域緑地計画論」の準備。午後、卒論および修論ゼミ。学務対応(シラバス、履修案内におけるJABEE関連情報の更新)。先の造園学会関東支部大会にて行った研究発表の内容に誤りがあった旨のご連絡をいただいた。関係の方々には深くお詫び申し上げます。
10/28(水) 午前中、荻野さんの告別式。こんなにも悲痛な葬儀は経験したことがない。午後、マスターコースの授業「広域緑地計画論」開講。地域デザイン/地域再生ツールとしてのグリーンスペース計画の意義について概説。
10/29(木) 千葉大学園芸学部創立百周年記念式典及び祝賀会。
千葉大学園芸学部フランス式庭園(沈床庭園)
千葉大学園芸学部フランス式庭園のフラワーベース(大正天皇御大典)
10/30(金) 午前中、造園学会の研究発表論文の査読。午後、千葉大学園芸学部創立百周年記念国際シンポジウム「園芸学の国際的発展と大学間交流の意義ーこれからの100年を展望するー」。夕方、シンポジウムを中座して、板橋区西台公園改修計画ワークショップ(第4回)へ。
千葉大学園芸学部創立百周年記念国際シンポジウムの様子
主だったパネラーは本学部修了または勤務経験のある外国人(韓国、タイ、中国、インドネシア)。それが功を奏したのだろう、実に有意義なシンポジウムで、涙が出そうになった。国際交流、とりわけアジア諸国とのそれについては、日本では「お世話をする」「サーヴィスをする」という感覚が強い(于 貴瑞 氏,中国科学院地理科学・資源研究所)。私見では50代以上のジェネレーションにとりわけその傾向が強い。しかし、国際交流というのはそれではダメで、双方向かつ互いに恩恵を得るものでなければならない(全 昶厚 氏,ソウル国立大)、という指摘。激しく同意。
「お世話をする/される」「サーヴィスをする/される」という関係は常に優劣意識(例えば先進国と発展途上国という認識)を伴う。そういう、一方通行的な交流・サービスというのは長続きしない。サービスをしている(と思い込んでいる)ほうの側が疲れてしまうからだ(実は勝手に疲れているのだが)。なぜ自分も恩恵に与ろうとしないのか。その意味で、国際交流は目的でなく手段でなければならない(于 貴瑞 氏)。そしてその恩恵の最大の享受者は自分自身でなければならない(全 昶厚 氏)、と。
それにしてもなぜ日本人の学生が殆ど出席していなかったのか。また、日本からアジア諸国に留学しようとする学生がこれほどまでに少ないのか。残念だ。むろん我々教員の責任なのだが。。。あともう一つ、いま日本で働いている外国人が今回のシンポでは全く埒外に置かれていた(無視されていた)。有意義なシンポであっただけにこの点は頗る痛い。そのことを裏付けるかのように、ソウル大の全氏は、留学生に対する日本での(大学側の)就職支援が手ぬるいことを暗に示唆。
日本で学んだ留学生が日本で就職するということこそ、真の国際交流の果実といえるはずだが、日本の大学教員の多くは、留学生は卒業後、母国に帰って大活躍をするという進路イメージをアプリオリに前提としている。それも結構なことであるが、せっかく育てた優秀な外国人を日本のために日本で使う(働いていただく)。そのほうが得策であり国益に適う、という発想がなぜできないのか。このへんにも一方通行の国際交流という、この国の限界が見えかくれする。