オールドタウンとニュータウンを分かつ谷間につくられた公園。この谷間、もとはエディンバラ城の濠でノース・ロッホ(North Loch、いわば北湖)と呼ばれていたところ。現在は平和的な風景をもつこの公園も、中世のいわゆる「魔女狩り」の時代には、多くの女性がこの湖に沈められ、「浮かんできたら魔女」として処刑された。運良く浮かんでこなかった場合でも、溺れていずれにせよ水死することが多かったという、暗い過去をもつ。ニュータウンの建設(1766~)と共に干拓、土地が取得(民有地化)され、1816年以降、プリンスィズ・ストリート沿道住民のためのプライベート・ガーデンとして整備された。その後、住民の反対運動にも拘わらず、1844年から1846年にかけて北英国鉄道(North British Railway)が建設される(写真右手、植栽の後ろが鉄道用地。植栽によって巧く遮蔽されている)に及んで庭園は分断される。1876年、鉄道用地以外の部分がエディンバラ市の手に渡り、ロバート・モーハム(Robert Morham)のデザインによって公共庭園(Municipal garden)に生まれ変わる。大規模なボーダー花壇を含む後期ビクトリア時代のあらゆる特徴を兼ね備えた公共庭園。英国で最も古い花時計(Floral clock)があることでも有名。また、英国最古の公園(public park)のひとつという記録もある。
Princes Street Gardens, Edinburgh, Scotland, UK
References:
・Ian Nimmo『Edinburgh's Green Heritage』The City of Edinburgh Council, 1996
・Christopher Taylor『Parks and Gardens of Britain』Edinburgh University Press, 1998
なるほどそうでしたか。
ついつい水辺の面影を感じてしまってました。