Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

A Genealogy of Pastoralism

2005-04-13 | Great Britain
バーケンヘッドパーク Birkenhead Park(写真)はリバプール近郊の Metropolitan Borough of Wirral の住宅街の中に今もある。J.パクストン(Joseph Paxton)の設計により1847年に開園している(貴族庭園の開放ではなく行政によって整備された公園)。この公園が重要とされる理由には幾つかあるが、デザインという面からみると、イギリス風景式庭園を範とするピクチャレスクな空間様式を持っていること。何も知らない人がこの公園に放り出されて、ここは貴族のカントリーハウスですよと言われても、にわかには否定しがたい風貌をこの公園は備えている。

さらに重要な点は、かのフレデリック・L・オルムステッド(Frederic Law Olmsted)がニューヨークのセントラルパーク(1858)の設計に先立つ1850年にこの公園を訪れているということだ(http://www.wirral.gov.uk/er/birkpark.htm)。写真の風景が、セントラルパークのBethesda Fountainあたりの雰囲気と酷似しているように見えるのは僕だけであろうか。実際、セントラルパークの歩車分離された園路のサーキュレーション等は、この公園に倣ったものとも言われている。

17~18世紀にかけてイギリスの庭園で登場・発展した「風景式」は、その後18~19世紀にかけて欧米の公園に瞬く間に伝播し、大げさに言えば、やがては世界中の公園を席巻することになる。その影響力は20世紀を通して持続し、いまだに巨大な風景モデルであり続けている。

オルムステッドのバーケンヘッド訪問には後日談がある。オルムステッドはその後1898年にシカゴ郊外にリバーサイド(Riverside)という有名な郊外住宅地をつくる。そしてできたてホヤホヤのリバーサイドをなんとE.ハワード(Ebenezer Howard)が訪れていた可能性があるという(Jonathan Barnett, The Elusive City: Five Centuries of Design, Ambition and Miscalculation, 1987)。同年、ハワードは田園都市(Garden City)の構想をイギリスで発表している。これらの関連性を証明する確たる史料等が残されているわけではない。しかし、その後のパストラリズムの系譜を思い描くと両者の間に何らかの因果関係があったのではないかと想像したくなる。

つまり、オルムステッドはパストラリズムを都市~地域スケールにまで拡大してパークシステムを実現する。一方、ハワードの構想はやがてアンウィン(Raymond Unwin)に受け継がれ、レッチワース(Letchworth, 1903)やウェルウィン(Welwyne, 1919)等のガーデンシティとして実体化されていく。さらに言えば、パストラリズムの究極の展開が、ロンドンを田園でエンクローズしてしまった大ロンドン計画(Greater London Plan, Patrick Aberecrombie, 1944)のグリーンベルト(グリーンベルトも世界中に伝播している)であろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿