熟年夫婦のケチケチ旅日記

後期高齢者の仲間入り。これからも日々何か楽しいことや、感動することを見つけて、前進していきたいです。

和倉温泉・青林寺

2005-06-14 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
布袋様は、福の神様です、青林寺の境内にお祭されています。

青林寺は長い階段を上がった所に有ります。境内にある御便殿は、大正天皇の皇太子時代、
和倉巡幸の時、ご休憩所として立てられたもが、青林寺に移されたものです。

和倉温泉・少比古那神社

2005-06-14 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
毘沙門天様は、悪魔払いの神様で、少比古那神社の境内にお祭りされています。

少比古那神社は、湯の谷に温泉が湧き出したのは、この神様のお恵みだとされています。
又能登12薬師の一つをお祭りする事から、薬師堂とも呼ばれています、
境内には大きなケヤキに寄り添って聳える杉の木があり、夫婦神木と呼ばれています。

和倉温泉一人旅

2005-06-14 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
6月12~13日
和倉温泉加賀屋にあるシアタークラブ花吹雪にショーを見に行って来ました。

和倉温泉には七福神がお祭りされていて、フロントで七福神福福めぐりマップを貰って、全部巡ると、加賀屋のフロントでお土産が頂けます。

恵比寿様は、商売繁盛の神様で、加賀屋の前にある湯元広場に祭られています。
湯元広場には、和倉温泉を見つけたと伝えられている鷺のブロンズ像が湯飲み場に設置されています。

大黒様は出世の神様で、加賀屋の横の道を折れ、渡月橋を渡ると、橋のふもとに祭られています。
能登島と中島町を繋ぐツインブリッジを望む事が出来ます。

都祁水分神社

2005-06-09 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
都祁にある、都祁水分神社に行って来ました。
大和の国水分四社(都祁・宇多・吉野・葛城)の一つ。
速秋津彦命・天之水分神・国之水分神が、お祭りされています。
大和川と木津川の分配を司る神様です。
手水社の水で鳥が水浴びをするので、網が張ってあるのには、驚きました。

吉野・都祁の二社にお参りしたので、宇多・葛城も行ってみようと思っています。

奈良市都祁交流センター

2005-06-09 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
都祁村が奈良市に合併になった記念に都祁交流センターで
写真美術館・杉岡華頓書道美術館広報展示が、6月9日から開催されたので、
見に行って来ました。
入江泰吉の写真と、杉岡華頓の書道作品の展示の他、
昔の凍り豆腐を作っている所の写真など、都祁村に関する昔の写真の展示もありました。
中で特に興味を引かれたのは、奈良安全索道に関する写真でした。

奈良安全索道とは、奈良の京終から都祁村の小倉までを結ぶ全長17キロのリフトの事。
大正8年(1919)~昭和27年(1952)
京終駅(奈良市)ー八反田駅ー天満駅ー山田駅ー針駅ー小倉駅(旧都祁村)
最初柱は、木で作られていたそうで、途中から鉄柱になったそうです。
使用目的は、物資を運ぶ為だったそうですが、時には人が乗ったり、急病人を運んだりしたとか、
人が乗っている写真が展示してあり、高い所を通って、危険が無かったのかと聞いてみると、
落下事故もあったと、聞きました。


吉野神宮

2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
後醍醐天皇が祭神です。吉野山の北麓にあり、元は、丈六山一之蔵王堂が、あったところです。
少し離れた所にあるので、参拝客も無く、ひっそりと厳かに佇んでいました。

駐車場の垣根に白い花が下を向いて咲いていました。
なんと言う花なのか、聞く人も無く帰途に着きました。

金峯山寺(蔵王堂)

2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
修験道の総本山です。本堂である蔵王堂は、高さ34メートルで役行者が開き、
蔵王堂権現をまつったのがはじまりです。木造建築では、奈良の東大寺に次ぐ大きさで、
とても立派な、建物でした。
山門も大きく立派で、遠くからも葉桜をバックに聳えて見えました。

今日は護摩供が行われ、山伏の姿をして、ほら貝を持った行者の方達が多く
行事に参列されていました。
偶然、珍しい行事を見ることが出来ました。

蔵王堂の奥には南朝妙法殿の多宝塔が美しく見えました。

ゆっくりゆっくり

2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
金峯山寺(蔵王堂)近くにある、ログハウスの喫茶店
なかなか感じに良いお店で、私達はテラスで新緑を眺めながらのティータイムを
楽しみました。

吉水神社

2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
役行者が、大峰山で修行した時に、庵室跡に建立されたと伝わる吉水院というお寺だったのが、
明治8年に神社に改まったものです。
今書院では、義経の甲冑と、静御前の衣装が、展示されていました。
静御前の衣装が、継ぎはぎの切れで作られているのを見て、なんだか切なくなりました。
庭には、義経と静御前の別れの舞台跡がありました。
庭からは蔵王堂の屋根が見渡せ、秀吉が、花見の宴を催したとも伝えられていて、
数々の宝物が、保存されていました。

竹林院

2005-06-07 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
大峯山護持院の一つで、大和三庭園の一の郡芳園があります。
池泉回遊式の庭園で、千利休が作庭し、細川幽斎が改修したものです。
竹林院の前庭も趣向が凝らされていました。

宿坊も完備されていて、立派な建物がたっていました。