日本酒は美味しくなった、と多くの人が言う。確かに、純米酒を中心に多様な味が花開いてきた、という感がある。一方で日本酒の消費量はピーク時の3分の1に減ってきた。客がいなくなって美味しくなったとは悲劇だ、と書いた。
しかしこれは悲しむことではないかもしれない。減ったのはアル添三増酒などまがいものの美味しくない酒で、それを飲んでいた人が減っても悲しむことはない。反面純米酒を中心においしい酒が増えており、つまり本来の日本酒ファンは増えてきているのだ。
まがいもの酒、美味しくない酒はとことん淘汰され、そのどん底から真の日本酒文化が花咲こうとしているのだ。そして、その文化の華を大きくしていくためには、美味しくない酒を飲まされて日本酒離れをした人たちに、美味しい酒を飲んでもらわなければならない。
これが大変な仕事だ。一度離れた人に単純に「日本酒を飲みなさい」と言っても、簡単には飲んでくれないだろう。その人たちに何と呼びかけたらいいのだろうか? 日本酒は何を売ればいいのだろうか?
昨年開かれた山水舎の日本酒セミナー「これからの日本酒」で、明治大学専門職大学院教授上原征彦氏は、今後の方向として「…“モノ売り”から“コト売り”へ。酒を売るのではなく文化を売ること…」と提起した。ここに重要なヒントがありそうだ。
まぜもの酒の時代はどの蔵の酒も大差なかったので、一つ一つの酒に物語性はあまりなかった。しかし純米酒を中心に各蔵の個性が出てくると、それぞれの酒の裏に物語が付きまとう。独特の米や水、酵母のつかい方や製法、土地柄や蔵元の哲学など、それぞれ個性的な酒の裏には特有の物語がある。日本酒が文化と言われるゆえんだろう。
とすれば、その文化を売ることこそ需要な課題だろう。消費量が減ったとはいえ、日本酒の蔵は未だ1200も残っている。北から南へ1200の蔵が、その地域性を生かして酒を醸している。日本酒は単なるモノではなく、複雑な造りや背景を含むコトなのであろう。モノ売りからコト売りへ、酒売りから文化売りへ…。これまた大事業であるが、実に夢の多い事業ではある。