旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

人生の閉じ方

2011-01-29 14:06:19 | 時局雑感

 

 年末から正月にかけては様々な同窓会が相次ぐ。忘年会や新年会にかこつけて集まろうとするのだろう。高校や大学、職場の同窓会だ。職場の場合は「同じ職場にいた」ことによる集まりだから年齢にも幅があるが、学校の同窓会はまさに同級であるので齢は同じだ。
 昨夜は、郷里大分県臼杵高校を昭和29(1954)年に卒業した在京約20名が集まった。齢75歳、今年のうちには76歳になる後期高齢者だ。集まった連中は元気であるから集まったのであるが、それぞれ持病を持つ者も多く、なんたって周囲に次々と死んでいくものを見ているので、同窓の死のニュースに話が移る。
 そのような情報に長けた人間が必ず居り、友人たちの死と病気の報告が続く。これがイヤで同窓会への出席を躊躇することもあるのだが、事実はいかんともしがたく実態を受け入れるしかない。それによると、わが同期生は卒業時点で約240名、うち既に死亡した者30名(12.5%)ということだ。これが多いのかどうか分からない。76歳にもなろうとしているのだから、死亡率12.5%は低いような気もする。人生50年の昔ならとっくにみんな死んでいたのだから・・・。

 死亡の事実よりも、それにいたる苦しみとか、既に痴呆状態で周囲が苦労している話が出る度に、自分の人生をどう始末するのだろうかに悩む。俗に“ピンピンコロリ”と言う言葉があるが、そんなにうまく行くはずもないので、病気に苦しんだり、自分では気がつかないが痴呆になって周囲に迷惑をかけたりする自分を想像するとゾッとする。

 渡部昇一著『知的余生の方法』に、スイスの哲人カール・ヒルティの死に方について書かれた項がある。それによると、「76歳のヒルティはいつものように朝の著述をして、ジュネーヴ湖畔の小経を娘と散歩した。そしてホテルに帰ると疲れを感じたので、娘にミルクを持ってくるように頼んでソファに横になった。まもなく娘がミルクを持ってきた時、彼は苦しんだ様子もなく息を引き取っていた。」(「TOPPOINT」2011年1月号30頁)とある。
 どんな生き方をすれば、そのようなことが出来るのだろうか?


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2 コメント

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医者離れのすすめ (tabinoplasma)
2011-02-03 21:52:56
TNさん、いつもコメントありがとう。
医者は、それが仕事とは言え「何とか生かそう」ということばかり教え、「上手な死に方」を教えない。若者は元気に生きなければならないから大いに医者に行き、年寄は出来るだけ医者にいかない方がいいのではないか?(国の財政負担も助かる)
久坂部羊著『日本人の死に時』を読みましたか? 読んでなければ一読を薦めます。副題の「そんなに長生きしたいですか」というのと、帯の「あなたは、何歳まで生きるつもりですか?」というのがいい。
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人生の閉じ方 (TN)
2011-02-03 19:33:41
1月30日付日経新聞 文化 欄で嵐山光三郎氏(1942年生まれ)が「やたらと友が死ぬのは、じつは私が高齢になって、死ぬ順番が近づいたとい
うことだ。生きているあいだは逆境に立ち向かって、生を存分に謳歌したい。」と書いている。「上手な死に方」を教わるために大村英昭関西学院大学教授(浄土真宗の僧侶、『上手な逝き方『(集英社
新書あり)と長時間の対談をしたそう。そのうちに
その新書本を読んでみようと思っているところ。
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