杵築と日出は別府湾の北側に面する城下町で、特に杵築はその風情を多く残した町である。町のメインストリートの両側が小高い丘になっており、幾筋もの階段が設けられている。それを上ると昔の大名屋敷街で、白壁に囲まれた大屋敷が並んでいる。
私たちは時間の制約もあって、もっとも有名な「酢屋の坂」を下り、反対側の「勘定場の坂」を上り、屋敷の一角にある展望台から杵築城を遠望した。このコースは10年前に妻と歩いたが、この大好きな風情にほとんど変わりはなかった。当時の写真も掲げておく。
勘定場の坂(?)… 浩子さん撮影
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酢屋野坂(?)…浩子さん提供
以下2枚は10年前訪問時の写真
酢屋の坂。後ろ姿は妻照子(2010年4月和弘撮影)
勘定場の坂(2010年4月和弘撮影)
日出は杵築に比べて開発が進み、城下町の面影は少ないが、しかし、滝廉太郎を生み、名物「城下かれい」を産し、近くは第二次世界大戦の「人間魚雷(回天)の訓練基地」の跡などを残す。
滝廉太郎については、その生誕の地を竹田市と日出市で競い合っている。竹田は、その小学校に在籍の跡を残し、何と言っても「荒城の月」の舞台とされる岡城を有す。確かに岡城に登ると「これぞ荒城の月の舞台!」と思わせる景観があるが、反面、作詞した土井晩翠がその題材を仙台の青葉城に採ったことは確かであり、廉太郎が岡城だけをイメージして曲想を練ったかは疑いを残す。
我々は、暘谷城の堀端に建つ廉太郎の銅像(郷里出身の朝倉文夫の名品)の前で写真に納まり、龍泉寺の滝一族の墓を拝し、「廉太郎の生地は日出に違いない」と単純な結論を下したのであったが…。
滝廉太郎の銅像(浩子さん提供)
あの城下町の風情ある佇まい、坂道などを思い出します。
そして「シロシタカレー」を、白舌のカレー🍛かと、思い込んでいたのも、お笑いでしたね。
城下かれぃが名物とは、なぁ~んも知らない私でした。オハズカシイです(笑)
大分のフグ、カレィ、サバに鯵、堪能させてもらった旅でもありました。感謝いっぱいです。