ベルギーといえば美食の国として名高い。ローマに始まるカソリック料理文化が、上り詰めた北限の地、という印象さえある。またベルギー・ビールも多彩でおいしい。さぞかしおいしい料理を肴においしいビールを飲んでいることだろう、と思うのだが、弊著『旅のプラズマパートⅡ~世界の酒と日本酒の未来』に次のような記事を書いたことを思い出す。
「…しかし、ビールを飲みながら何を食べたかはあまり覚えていない。“ムール貝のワイン蒸し”も“牛肉のビール煮”も、それ自身を夢中になって食べたという記憶だ。ビールはビールで「何も食べないでひたすら飲んだ」という印象が強い。ブルージュの《ヘルベルグ・ブリッシング》でも、ランビックを飲みに行ったブリュッセルの《ア・ラ・ベガス》でも、料理はおろかつまみもとらなかった。そして両店で飲んでいたほとんどの人たちは、何も食べていなかった。
つまりベルギービールは、料理など無くとも、それ自身が十分に様々な味を持っているのだ。というより、ベルギー・ビールの“つまみ”は、料理より何か精神的なものではないのか? たとえば“語らい”とか“静寂な雰囲気”とか“音楽”とか“絵画”とか……、なにか文化的なものかもしれない。
中でも絵画……。」(同書24頁)
いま読み返してみて、もし「文化的なものをつまみにして飲んでいる」となれば、これは大変なことだと思った。しかもこの記述は、決して特殊な情景として描いた記憶はなく、ベルギーでいくつか入った《ビア・カフェ》の率直な印象をそのまま書いたものであった。
彼らは本当にあまり食べてはいなかった(食べるのはレストランなどで十分に食べるのだろうが)。静かに飲みながらひたすら語り合っていた。何組もの人たちがしきりに語り合っていたが、日本の居酒屋などのような喧噪さはなかった。むしろ静寂とさえ言える雰囲気の中で、しきりにしゃべり合いながら飲んでいた。
彼らは何を語っていたのであろうか? 私が、それを文化…中でも絵画と思ったのは、その旅で毎日、ベルギー、オランダの巨匠たちの絵を見てきたからであったろう。曰く、レンブラント、ゴッホ、ルーベンス、フェルメール、ブリューゲル、ファン・ダイク……。
もちろん、彼らがすべて絵画をつまみに飲んでいたなどとは思っていないが、日本で一般に抱く“酒のさかな”と、かなり違った雰囲気であったことは確かであった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます