世間を騒がす様々な事件の背景の一つとして、ケ-タイをはじめとしたネット環境の問題がある。特に中小学校生たちの不良化やいじめなどに、このネット環境が悪い役割を果たしているのであろう。
インターネット技術自体に何の罪も無いが、それを使う人間が、規範的にも道徳的にも追いついていないので、悪い面だけが浮き彫りになってくる。事実、先行きに大きな不安を抱かずにはいられない。
今朝もそのようなニュースを見ながら、ワイフに「貴方もブログに、家庭内のことなど変なこと書かないでよ。書き込みなどされて問題にならないように注意してね」と言われた。
全くそのとおりかもしれない。一瞬にして世界を飛び交う通信網に載るわけだから、何が起こるか全くわからない。
それを思うと、ブログなんて意味があるのかと思い始めた。私などは、全く一方的に発信しているだけであるので、それならば何も公開することは無いのかもしれない。「公開日記」の日記に重点を置くならば、なにも公開することはなかろう。対象を設けて論争でもしようというのなら、それは日記ではなく別の目的を持つことになる。
私のブログなんて、一日の訪問者は80前後で、コメントなど2~3の人がたまにくれる程度で、特に意見を交わしているわけでもない。どうも公開の意味はなさそうだ。
ここはじっくり、止めるかどうか考えて見よう。
私がこう書いていることもそうです。
自らの存在証明としてブログの公開を続けて下さい。
私のブログに「死にたい」と書いて来た人がいていまメールで話し合い中です。継続的に生活相談をしている人もいます。
それだけでもブログをやってきた意味があると思っています。
公開が問題であれば特定の人しか見れないmixyに移行することも選択肢でしょう。
いずれにせよ私の楽しみを継続させて下さい。
かしこ