ミャンマー総選挙でアウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝した報道に触れて、毎日新聞アジア総局長兼ヤンゴン支局長の春日孝之氏が、「民主義のレッスン」という評論を書いている。(本日付同紙3面)
同氏は、「アウンサンスーチー氏の演説を聞きながら、政治家というより教育者のようだと感じた」として、スーチー氏の次の言葉を掲げている。
『前の人たち、座ってください。後ろの人のことを考えて。これも民主主義のレッスンです。この国の問題の多くは、他人に譲ろうとする気持ちに欠けているところにあります』
そして、「メディアにも、記者会見で同じ文言の談義を繰り返す」と続けている。
ミャンマーは今、壮大な夜明けを迎えようとしているが、まず始めなければならないのは民主主義のレッスンなのだ。そのためには、そのレッスンを指導する偉大な教育者を必要としているのであろう。
私は、それぞれの国の発展度合いは、その国が体現する「民主主義の深度」によると思っている。日本は、15年戦争から第二次大戦の敗北という多大な犠牲を払って民主主義を手に入れた。日本人は、この民主主義を瞳のように大事に育てながら、一生懸命働いて高度成長を遂げてきた。現在の日本は、この戦後民主主義と高度成長が作り上げたものだと思っている。
ところが1980年代以降、国民が必死で働いて得た豊かな生活、つまり分厚い中間層は、新自由主義の名のもとに破壊され、多くの中間層は貧構層へと落されてきた。日本は格差と貧困問題に曝されている。同時に、その基礎ともいえる民主主義も破壊されようとしている。安倍政権の進める戦争法案が、民主主義、立憲主義を根底から覆すものだとして、多くの国民がその廃案のために立ち上がっているのがその現れだろう。
戦後70年をかけて育て上げた民主主義は盤石のものだと思っていたが、そうとも言えないのだ。一瞬でも手を緩めれば失ってしまうのだ。民主主義を維持するためには、絶えずレッスンが必要なのだ。ミャンマーだけではなく日本も、偉大な民主主義の教育者を必要としているのではないか。
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