ヴィオレッタとアルフレードの愛…、この愛は、一体なんであったのか?
演出者大澤氏は、それを解く鍵は、二人が交わす歌の中にあると言う(氏のFacebookなど)。ヴィオレッタの「いつから私を好きだったの?」という問いかけに、アルフレードは「一年前から好きだった」と答える。この言葉は決定的であったが、しかし、その一言でヴィオレッタは彼を愛した訳ではない。
夜ごと取り交わす瞬時にして無機質な愛が充満している社交界、「愛は簡単に変わるものだから楽しむべし」と歌う社交界にあって、「一年」は永遠を意味しただろう。永遠の愛…、そのような愛をヴィオレッタは全く知らなかった。それを事も無げに伝えるアルレードとはどんな男か? その彼の内実、生きざま、人生観にヴィオレッタは惹きつけられていく。そしてそれは、死ぬまで続く、正に永遠の愛として結実するのである。
アルフレードという男は、貴族の中では稀有の存在であったろう。そしてその彼の中に、永遠の愛を見出すような女は、これまた娼婦の世界にあっては稀有の存在であった。
私は『椿姫』を何度か見てきたが、一娼婦と、頼りない一貴族の息子との悲恋物語と思ってきた。ところがこの物語は、悲恋物語どころか、むしろアルフレードが主導する気高い愛が実を結ぶ「究極のハッピーエンド」(大澤)であったのである。
この観点を貫き通したことによって、ミャゴラトーリ『椿姫』は新たな感動を生み出したのであろう。
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