先日、横浜本牧にある三溪園に行ってきました。20年以上神奈川県に住んでいますが、行くのは初めてです。どうせ金持ちの道楽で造った庭だろうと勝手に思い込んでいたようです。何故行く気になったかと言いますと、鎌倉の東慶寺にあった仏殿が大事に保存されているらしく、一度は見ておきたいと思ったからです。
この三溪園を造ったのは原三溪(本名 富太郎)。明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした人物。庭園の広さは175千㎡(53千坪)で明治の初めに土地を購入し明治35年頃から造園に着手、明治39年には一部を無料で一般公開したとあります。京都や鎌倉から壊されそうになった建物を移築、今では17棟の歴史的建造物が大切に保存されています。広い園内は周りを山で囲まれていますので、本牧や根岸の工場群とは無縁の別世界を形成しています。ただ一カ所、工場の煙突が邪魔をしているのが気になりますが、正直、よくぞこれだけのものを残したと原三溪に拍手。実に素晴らしい。
戦前の資産家は半端なく金持ちで、芸術・芸能や建造物などを後世に遺しています。いわゆるパトロン、タニマチと言われる人たちです。戦後は平等主義のお陰でこういう人たちは少なくなりました。戦後の日本社会は社会主義的資本主義社会。民主主義と言っても政治に無関心な衆愚化した社会。目立てば叩かれる社会のため、資産家個人が後世に名を残そうと思ったり、人のために何かをしようとは思わなくなりつつあります。国や地方自治体が行う公共投資は平均的で面白味に欠けます。それはそれで必要なのですが、個人の趣味や個性がキラリと光る原三溪がなしたような事業も大切なような気がしてきました。
三溪園は交通が少し不便なため入園する人は鎌倉の寺社ほど多くなく、静かにゆったりと日本文化に浸ることができます。是非一度訪れ、原三溪の偉業にふれてみてはいかがでしょう。