リタイヤしてから始めたいくつかのボランティアの仕事もこの新型コロナ禍のため休止を余儀なくされています。こういう時は勉強してきた歴史の知識が生きてくるから不思議なものです。これまで戦争を知らない子供たちの世代は恵まれた時を過ごしてきたわけで、過去にはもっと悲惨な出来事があり、それを乗り越えて今があることを忘れてしまっているのではないでしょうか?最も身近な大惨事は2011年3月11日の東日本大震災。この時は数万人の市民が亡くなっています。その大惨事を乗り越えてきた今、新型コロナ対策に立ち向かい、必死に戦っている国や自治体の首長の方、病院関係者の方などに感謝こそすれ、ああだこうだと批判の言葉を投げかけるのはいかがなものかと、最近反省するようになりました。経験のないことに試行錯誤をして最善を尽くそうするのは当然のことであり、専門家でもなく知識も十分でない人がコメントしている姿をみていると、ちょっと心配になります。
何もできない身としては、できるだけ周りにる働いている人に迷惑をかけないように過ごすだけ。それには言われている三密(密閉空間、密集場所、密接場面)を避けるために、自宅で過ごすようにしています。ただそれだとお医者さんから高血糖・高血圧の予防にと薦められている運動ができませんので、適度に散歩はしています。あとは普段できないこと、昔やりたかったけど出来なかったことを思い出してはやるようにしています。
その一つは、まったく読む気がしなかった分厚い本の精読、宗教や思想史では、『華厳の思想』『タオ自然学』『インド思想史』『ブッダ伝』など、鎌倉ゆかりの文学では、『三四郎』『それから』『門』の漱石三部作や『鶴は病みき』や泉鏡花の小説などです。そしてこれは全くの思いつきでしたが、倉庫に捨て置いたレコードとプレーヤーの再利用です。当然ながらお金はかけられませんので、2007年に買ったBOSEのウエーブミュージックシステムをアンプ・スピーカー代わりとし、アイワのプレーヤーとの接続に必要なジャックは購入しました。レコードは高校生と大学生そして社会人となり家庭を持つまでに買い求め、大事に取って置いたもの。40~50年位前のレコードです。針を置いて音が出た瞬間、心は過去にタイムスリップしていました。やはりアナログの世界はいいものです。音源としてのレコードの価値を改めて再認識しました。これはお薦めですね。