鎌倉文学館を訪ねる機会があり、玄関までの通路にある鎌倉ゆかりの人物の歌碑を見ていたら、次の正岡子規の短歌がありました。
* 人丸の後の歌よみは誰かあらん征夷大将軍みなもとの実朝
この短歌は、明治32年に詠まれた正岡子規の「金槐和歌集を読む」5首のなかの一つです。加えそのほかの二首を紹介します。
* 鎌倉のいくさの君も惜しけれど金槐集の歌の主あはれ
* 路に泣くみなし子を見て君は詠めり親もなき子の母を尋ぬると
一方鎌倉文学館にある源実朝の歌は次の一首です。
* 大海の磯もとどろによする波わけてくだけてさけて散るかも
子規の歌になった実朝の歌は次の一首。
* いとほしや見るに涙もとどまらず親のなき子の母を尋ぬる
ご存じのように源実朝は1219年に甥の公暁によって殺害された三代将軍。『吾妻鏡』によれば彼の政治的手腕は評価されませんでしたが、歌の才能は高く、後鳥羽上皇は実朝暗殺の知らせを聞き、その才能を惜しんだと言われています。源実朝の手腕について、その評価は分かれるところですが、私は個人的には歌の才能ばかりでなく、政治的手腕も十分にあった将軍でなかったかと考えています。感性豊かな正岡子規の実朝を詠んだ歌をみて 「我が意を得たり」と秘かに喜んでいます。
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