横浜市栄区に光明寺という浄土真宗のお寺があります。浄土真宗のお寺は鎌倉近辺では珍しく、鎌倉市内でも成福寺一ヶ寺しかありません。そこで少し調べてみようと資料をみますと、浄土真宗のお寺には聖徳太子像があることに気付きました。奈良の法隆寺、大阪の四天王寺、京都の六角堂などが知られていますが、なぜ浄土真宗のお寺に聖徳太子像があるのか・・・?
光明寺の聖徳太子像は光明寺にゆかりのある北条時頼の母松下禅尼が聖徳太子を崇敬していたからだとか。鎌倉の成福寺は開山成仏(北条泰時の二男、泰次といわれている)が親鸞かいただいたものと伝わっています。
梅原猛の『仏教の思想 下』をめくると、親鸞と聖徳太子の関連をしめす箇所がありました。抜き書きしてみましょう。
--今私が語ろうとする親鸞は、日本仏教の多くの開祖の中で、もっとも太子と縁がふかいのである。彼は、太子のお告げによって、法然の門に入り、そして再び太子のお告げにより、肉食妻帯にふみきった。それゆえ、彼は、師法然とともに、太子を終生の師としたのである。直接の師、法然とともに、聖徳太子が親鸞をみちびいたのである。
この聖徳太子という人物は十七条憲法の制定や日本仏教の租といわれています。梅原猛にいわせると親鸞は、「日本の多くの文学者や多くの思想家がさまざまな思想遍歴ののちに、そこへと帰ってゆき、さまざまな仕方で親鸞への帰郷をうたった」とあります。その親鸞が師とする聖徳太子について、私自身ほとんど知らないことばかりです。これは、ボーとしていてはいられません。
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