人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る --原宿の松蔭寺ーー

2020-04-02 16:35:59 | 日記

駿河には、すぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠

旧東海道を歩き、沼津を過ぎ原宿に入ると臨済宗妙心寺派のお寺である松蔭寺があります。このお寺は何が有名かと言えば、白隠禅師(白隠慧鶴)の終焉の地であり、白隠禅師のお墓があります。鎌倉にいますと、臨済宗のお寺では建長寺、円覚寺が知られ、蘭渓道隆とか無学祖元や夢窓疎石の名前を聞いても、白隠禅師はあまり馴染みがありません。二年前に円覚寺などで白隠禅師二五〇年遠諱が盛大に行われましたので名前を記憶してる方はいるかもしれません。

白隠禅師(1685~1768)は「臨済宗中興の祖」と言われています。白隠はここ駿河国駿東郡原宿で生まれ、元禄十二年(1699)、15歳のとき、原の松蔭寺の単嶺和尚について得度(岩次郎改め慧鶴)しました。若い時は諸国行脚で修業し、信州飯山の正受老人のもとでの修業中に悟りを得たそうです。なんでも老婆に箒で撲られ、気を失って気づくと、不意に悟りが開けたと伝っています。松蔭寺の住職となったのは32歳のとき。その後、白隠教団をつくり、布教のため日本各地の巡錫と著述活動により、白隠の名声は天下に響きました。民衆に禅が広まったのは白隠の生涯84歳までの熱心な布教のおかげと言って過言ではないでしょう。

臨済宗では『臨済録』『碧巖録』『虚堂録』などを講じ、さらに参禅のときに公案を与え、あとはひたすら坐禅の修業で、悟りを得ることを促します。しかしこの修業は厳しく、公案なども難解で、民衆がこれを理解し、悟りを開くなど無理なことです。そこで白隠は『坐禅和讃』を作りました。この和讃は「衆生本来仏なり」ではじまり「此の身即ち仏なり」で終わりますが、我が身はもともと仏であり、その仏の心を坐禅三昧の修業によって得るというものです。分かりやすいい文章で、朗々と唱えるのですから、白隠ファンも増えるわけです。

私も京都妙心寺の「白隠禅師二五〇年遠諱」に参加したとき、般若心経とともにこの坐禅和讃を坐禅の都度、唱えました。

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