いま人気の中世史書『承久の乱』(坂井孝一著 中公新書)を読んでみました。承久三年(1221)に起きた承久の乱といえば、北条政子が源頼朝以来の恩顧を訓辞し、御家人の結束を固めて勝利し、後鳥羽上皇を隠岐に配流したことぐらいしか記憶にありませんが、この本を読むと後の歴史が大きく変わった大事件だったことがよく判りました。
主たる歴史上の人物は源実朝、後鳥羽上皇、北条義時の三人。そのほかに多くの登場人物が脇を固めています。源実朝については、陳和卿に唆されて宋に渡る船を建造したものの進水できず失敗したとか、二日酔いの薬を栄西にもらったとか、どちらかというと余りいい話は伝わってきません。後鳥羽上皇にしても、文武両道に優れ、『新古今和歌集』は上皇自ら勅撰したものとは知りませんでした。源実朝暗殺の黒幕も、北条義時だとか三浦義村の名前があがり、多くの作家が題材にしていますが、実は公暁の単独犯ではないかとか・・・。
どちらかというと鎌倉の歴史は『吾妻鏡』に書かれている出来事がベースですが、この本の著者は慈円の『愚管抄』など、京都の宮廷人の日記を多く引用して事実関係を検証しています。そのほうが権力者に対する利害が少ない分、事実に近いと思われます。もし源実朝が公暁に暗殺されずに生きていれば承久の乱も起こらず、歴史が変わっていたかもしれません。この実朝という人物おもしろいですね。もう少し調べてみたくなりました。
写真は、鶴岡八幡宮の新宮(今宮)です。本宮の北西の山麓に宝治元年(1247)に後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇の御霊を慰めるために祀られました。
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