Bee Drive のボーカル・マツの日記。

マツとかめ吉~Butterfly Effectから改めました。

昨日は、ジョンの32回目の命日でした!

2012年12月09日 11時11分11秒 | バタフライエフェクト

ジョンがこの世から居なくなってからもう32年が経ちます。
ジョンが行ってきた活動の成果は何処に行ってしまったんやろ~ (今でも戦争は無くなりません)
俺は引き継ぎますよ。(勝手にやけど・・)
「世界中を平和」になんて壮大な事が出来るかどうかは分からんけど、せめて日本だけでも変えて行きたい。
もはやこんな世の中、変わらなければ話にならん。
日本が平和な国になって、平和がどれだけ良い事かを世界中に見せたい思いです。
ファンキー末吉さんがブログで語ってました。
「ワシらはファッションと騒音だけを受け継いで、偉大なる先人たちの教えを何も受け継いでいないのではないのか?!」
その通りです。日本のロッカー達よ、一緒に立ち上がりませんか?
その行動によって、誰かが責任を持って命を落とさなアカンねんやったら、それが無駄死にでは無かったら、
俺が責任を持って殺されるよ。
そんな事を感じながら昨日一日を過ごしました。

明日の生放送でもこのような事を語ります。興味のある人は見て下さい。

この先は、ファンキーさんのブログから引用させてもらった話と、ジョンレノンの思いが語られてるインタビューを載せてます。
長いから興味のある方だけ読んで下さい。

↓「ファンキーさんのブログより」

偉大なるロックの先人たちは、
「ロックで世界が平和になる」と信じていた。

ワシらはその先人たちの精神を受け継いで、
今なお「ロック」というものを追求しているのではないのか。

それが「国境問題」など下らないことで一喜一憂しているワシらは一体何なのか?!!

ワシらはファッションと騒音だけを受け継いで、
偉大なる先人たちの教えを何も受け継いでいないのではないのか?!

ロックに国境などないのだ!!

これは別に张帆(Zhang Fan)の言葉の受け売りでも何でもない。
偉大なる先人たちの教えなのである。

偉大なる先人たち達は、
国境などなくなって、ロックを愛する者たちが平和に手をつないで暮らせる世の中を夢見た。

そしてその夢は今だに叶えられていない。

だからワシら「ロックを愛する者」がそれを成し遂げなければならない。
もしワシらの世代で成し遂げられないなら、
ワシらはそれをワシらの「ロック」と共に後世に伝えてゆかねばならない。

↓「以下は、ある雑誌でのジョンレノンのインタビューが載ってたから、掲載します。」

私はずうっと政治に心をひきつけられてきました。私のようにあなたも成長してきたのなら、警察を大敵のように憎み、恐れ、誰でもどこかに連れ去り、どこかに死体で放り出す軍隊というものを軽蔑するというのは、最も根本にあることでしょう。

私は、それは労働者階級の基本にあるものだと言いたいのです。たとえ、彼らが年をとり、家族をもち、体制のなかに呑み込まれて疲れ果ててしまったとしても。

私の場合、たとえ不愉快なときに、政治への関心を宗教がおおいかくそうとした時代があっても-それは65年から66年にかけての頃です-政治的でなかったということはありませんでした。
宗教は、まったくスーパースターの虚飾がもたらしたものでした-宗教は私の抑圧感の一つのハケ口でした。

私は考えました。「さて、人生には他の何ものかがないのだろうか。こいつは確かに本物じゃないぞ」と。しかし、御存知のように私は常にある意味で政治的でした。
二つの本の中で、私は書きました-それは、ジェームス・ジョイス風のまわりくどい表現で書かれていますが。そこには、宗教に一撃を加えるなかみがたくさん入っており、労働者と資本家の役割についても述べています。

 台 風

私は、子供のときから体制に対して嘲笑的な態度をとってきました。
私はいつも学校で、手づくりの雑誌を書き、それを回覧させていました。
私は、はっきりとした階級的意識をもっていましたし、それは私の肩に刻みこまれていました。
なぜなら、私は、自分の身に起こったことを知っていました。われわれにふりかかった階級的抑圧を知っていましたから。
-それは、まったく明らかな事実でした。しかしビートルズ台風の時代に、世界はその問題を置き去りにしてきました
-私は、しばらくの間、真実から遠ざかった所に来てしまいました。

われわれは、アメリカに何回か行きましたが、そのときエプスタイン(ブライアン・エプスタイン-当時のビートルズのマネージャー)はいつもわれわれに、ベトナムについては何も言わないよううるさくたわごとを述べたてようとしました。
そして、ジョージ(ジョージ・ハリスン)と私が“さあ、今度やつらが質問してきたとき、われわれはあの戦争が嫌いだし、やつらは今すぐ出ていくべきだと思うと言おうじゃないか”という時が来ました。

そして私たちは、そのようにやりました。その当時、とりわけ「四人の人気者」にとって、これはいささかラディカルな行為でした。
これは私が個人的にちょっぴり旗をなびかせた最初の機会でした。

しかし、あなたは私がいつも抑圧感をいだいてきたことを覚えておいででしょう。
われわれはみな余りに押しつぶされてきたので、ほとんどわれわれ自身を表現する機会がありませんでした。とりわけあれだけの仕事をし、旅をつづけ、いつも神話と夢のなかに閉ざされつづけている状況では。

あなたが皇帝になり、人が皆、あなたをすばらしいと誉めそやし、うまい食物や女の子たちがいくらでもやってくるようなときは、「いや、私は王様にはなりたくない、私は本当の姿に戻りたい」と言いだすことは、かなりむずかしいものです。

そんなわけで、私が二度目にした政治的行為は「ビートルズはイエス・キリストより偉大である」と言ったことです。
これは情景を一変させました。アメリカで、私はそのためにほとんど銃で撃たれそうになりました。これはわれわれについてきた多くの若者にとっては大きな衝撃でした。

その時まで、私はいつも新聞で政治問題を読んではいましたがデリケートな質問には答えないという沈黙の態度をとっていたのです。

いま何が世の中で起こっているかについてずっと気づいていた私は、何事もしゃべらないでいることに恥ずかしくなりました。
私は突然沈黙を破りました。私はこれ以上ゲームをつづけることができなくなったからです。それは私にとって余りに重いことでした。

もちろんアメリカに行くことは私の名声を増大させました。とりわけ、そこでは戦争がつづいていたのです。
こうして私はトロイの馬になることになりました。

四人の人気者は、頂上にのぼりつめ、ドラッグやセックスについて歌い、そして私はどんどん大変なしろものの中に入り込んでゆきました。そのとき、私たちは落ち込みはじめたのです。
それはとても悲惨な出来事でした。つまり、最初の意気揚々とした感情のほとばしり-初めてレコードが第一位になったとき、最初のアメリカ旅行のスリルといった体験から、かけ離れたところにきてしまった、ということです。

はじめのうち、われわれはエルビス(プレスリー)のように偉大になろうといったたぐいの目的を抱いていました。-前進することは大きなことでした。しかし、実際に達成したものは、大きな失望でした。私は自分が子供のときからいつも憎んできたような人々をよろこばせつづけてきたことに気づきました。

これは、私を真実に立ち返らせました。私は、われわれが、抑圧されていることを悟りました。
これが、私自身の置かれている立場がどこにあるのかについて充分な確信を持ちえないながらも、この問題について何かをやりたいと思った理由です。

私が出発したとき、ロックンロールはそれ自身、私の時代と情況のなかにいる人々にとって根本的な革命でした。
われわれ若者たちにふりかかるすべての冷酷さと抑圧を打ち破るために、ひびきわたる音響と鮮明さを、われわれは必要としていました。

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