↓日刊スポーツさんから引用↓
広島で通算213勝を挙げ、球団初の名球会投手となった北別府学(きたべっぷ・まなぶ)さんが16日午後0時33分、広島市内の病院で亡くなった。65歳だった。
↑引用ここまで↑
マツダで交流戦西武戦やってる選手の肩に喪章ついてるからなにがあったのかとおもえば。
OB戦に出なかったからお体相当悪いのかなぁとかおもっていたら。
まさか死ぬほど悪いとは思っていませんでした。
今でこそ優勝決定試合の最後は何点差あってもそのチームのその年のストッパーが務めるのが普通になってきましたが、元祖は北別府さんです。
5点差の9回、あと1イニング抑えれば優勝の場面。
先発して8回を投げ終わり、胴上げ投手になるはずが、自ら時の監督、阿南準郎に申し出た。
「この優勝はツネ(津田)がいたから。最後はツネに投げさせてください」。
ファンは当然、エース北別府さんの完投勝利を信じて疑わなかった場面。
マウンドに上がったのは抑えの切り札津田恒美さんでした。
胴上げ投手になりたくないはずないでしょうに。下手すりゃそんな機会二度とないかもしれないのに。
強かった広島カープの大エース様。背番号20の雄姿は絶対忘れません。
安らかにお休みください。
後輩たちの戦いを上から津田さんたちと眺めていてください。