A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

(31)モネのジュベルニー

2012年07月11日 11時19分37秒 | パリのアパルトマン
6月7日(木)


モネの日本庭園の見学を終え
隣のフランス庭園に移動してきた。
ここも花盛り、毎日モネはこれらの景色を見ていたのだろう。























数限りなく咲く花々の美しい事。
一年中この様な美しさを見せてくれているそうだ。



日本庭園・フランス庭園は素晴らしいが今までに南フランスで
ルノアールやセザンヌのアトリエや住まいを見ているので
モネの住まいとアトリエを見ても特別の感想は無い。
当時の成功した画家の平均的なものであろう。

モネはジャポニズムに心酔していたという事で、
住まいの至るところ数多くの浮世絵が飾られていた。
オリジナルであろうが大分色褪せておりとても残念。
貴重な浮世絵コレクションなのだから、
展示にも日本人の知恵を借りるなどして
細心の注意を払って欲しいものだ。






オランジェリーの8枚の睡蓮を描いた大きなアトリエが
今は売店になっていて当時のよすがを偲ぶすべも無いのは残念。
屋根の上の明かりとりだけが当時を語っている。





又雨が降ってきた。
隣接のカフェで一休み、ビールが美味い。




パリへの帰りセーヌ川沿い観光バスは遡って行く。







この辺りはモネが良く写生に来たアルジェントゥールだろうか


帰りにピラミッド地区の近く 和食のレストランやラーメン屋・居酒屋
・日本食スーパー・コンビニが並ぶ辺りをぶらつく。
パリの日本食とは?とそれも知りたくて歩いてみた次第だ。

この界隈 日本人が持つ繊細さが無くてとても
雑多な感じなのは残念である。
まだ7時と時間が早いからだろう、人影はまばら。
スーパーは和食の食材や中華・韓国の食材が
ゴチャゴチャと交じって売られている。
ニューヨークでは和・中・韓・とそれぞれ独立していたけれども・・・。
食事に少し変化をつけたいからと、ミセスは、
それでもかなり大きなスーパーで御握りを2個ゲット、
今夜の夕食のテーブルにのるのだろう。
パリに来て二週間、初めての和食? というかお米。









(32)ブラッスリー クー・ポール

2012年07月10日 08時34分24秒 | パリのアパルトマン
6月8日(金)


今日も地下鉄でお出かけである。
地下鉄の地下コンコースで楽士の集団が
ロシヤ民謡のような曲を演奏している。
音が良く響くし我々エトランゼには嬉しいが
土地のパリっ子にはうるさいだけなのかも知れない。



地下鉄車内に乗り込んできてアコーデオン演奏など
少ししつこい事もある。



今日のランチは昔行ったことがあるモンパルナスの
ラ・クーポールと言うブラッスリー。
この辺りにかたまって4軒ぐらい良いブラッスリーがある。

「ル・ドーム」 ここは魚介料理が得意。
「ラ・ロトンド」 この建物の上階でボーヴォワールが生まれた。
「ル・セレクト」 ヘミングウェイやアーサー・ミラーが常連客だった。













お昼すこし早かったので予約なしでも窓際の良い席が取れた。




時間がたつにつれ満席になっていったので我々はラッキーだった。
例の海のフルーツ、牡蠣・蛤・海老の盛り合わせと
ここの名物料理羊肉のカレー煮(カレーライスの様な物)。





 


デザートは久しぶりに見つけた「フローティング・アイランド」
これをミセスマスダとシェアー。
卵白を泡立てて軽く焼いたものを島にみたてて
カスタードソースの海に浮かべる。
この写真が半分なのだからその大きさたるや??
御想像あれ!




店の内部を見回すとリフォームされている。
もっとも以前来た時から三十年近く経っているのだから
当たり前かもしれないが、残すべきもの、
佇まいやサーヴィスは全く変わっていない。









天井の天蓋画が楽しい。





昔このブラッスリーに通った著名人の写真が整然と張り出されている。
ミセスマスダとあの写真は若き日のサルトルだボーヴォワールだ
ピカソだマチスだエッディト・ピアフだと話していると
客が会話に加わりシャガールだジャコメティだと、
そこにギャルソンも加わって
アンドレ・マルロ^-だとかジャン・コクトーだとかジャン・マレーだとか
ひとしきり会話が弾み楽しいひと時であった。










今日はこれからモンパルナスの方へ散歩に行くことになっている。






(33)サクレクール寺院界隈

2012年07月09日 08時30分02秒 | パリのアパルトマン
6月8日(金)

今日の散歩はモンマルトル。

サクレクール寺院へ登るケーブルカーの乗り場が判らず
歩いて登ってしまった。  









サクレクール寺院の前では中国からの新婚さんが
専属カメラマン帯同で大変凝った「記念写真を撮っていた。
多分中国の大金持ちだろう。





先ずサクレクール寺院金曜日の午後のミサの最中であった。
パイプオルガンの伴奏つきミサは寺院内の荘厳な飾りつけ、
正面上部には巨大なキリストの画、側面はステンドグラスなどで
雰囲気を盛り上げ異教徒さえも厳粛な気持ちにさせる。







寺院の裏手に回るのが観光のお決まりコース。
そこの広場ではレストランや土産物屋のほか
今も画家が絵を売っている。












昔ここで記念に油絵を買い今でも部屋に飾っている。
あの頃から「ポートレイト」と画家は言っていたが
似顔絵屋が沢山たむろしている。
なるべく似顔絵屋でないポートレート肖像に近い画風の
絵描きを探してみた。
パステル画の絵描きさんに頼むことにした。
 
モデルになる事30分通り行く人が描いている絵とモデルの
ミスターマスダの顔を見比べてゆく。
照れくさい。













あまり似ていないなあ











描き上がった画を容れる紙筒を売る人





はい描き上がりました。
絵の出来は60点。






ここではダリ美術館に行く予定だったが
外観がみすぼらしく気が変わって中止。

この季節パリの天気は変わりやすい。
雨が降ったり青空が出たり。
また雨が降ってきた。

ポートレイトの為め30分ほど緊張した時間をすごしたので、
雨宿りも兼ねて暫し、お茶の時間とする。
ぼんやりと、行き交う人を眺めているのも楽しいものだ。

サクレクールは標高130メートル これをケーブルカーで下りて
モンマルトルの繁華街ピガールへ。



少しぶらぶらして「ムーランルージュ」の前で記念撮影で
本日のお散歩は終わり。









(34)クリニャンクール

2012年07月08日 17時04分27秒 | パリのアパルトマン
6月9日(土)




クリニャンクール・パリの蚤の市 
いつか行ってみたいと思っていた。
骨董市のようなものと勝手に想像していたが見事予想は外れた。
昔は知らず今は衣類雑貨の青空市であった。
偽ブランドも横行しておりあまり品の良いマルシェとはいえない。

今回パリに来ておもな交通機関は
メトロポリタン メトロ 地下鉄である。

我がアパルトマンの最寄り駅はバスティユ駅の隣のブリゲ・サバン駅。

ここにもメトロのミュージシャンがいる

地下鉄を乗り継いでクリニャンクール駅へ。
パリの地下鉄は何度乗り換えてもどこまで行っても
均一料金の1.25ユーロ。
乗りなれれば便利だし経済的 
大型荷物でもない限りタクシーに乗ることはない。

クリニャンクール駅から地上に出てきて蚤の市の方向はどちらかな?

メトロの駅から徒歩5分クリニャンクールの蚤の市はすぐ見つかった。
ミスターマスダの考えていた蚤の市と少し違うようだ。









何やらコピー商品偽ブランドを
こそこそ売っている人達

若き日に暫らくパリに滞在した高峰秀子の随筆にあるような、
時計や銀器、人形等々の面白いものに出あえれば
と期待して行ったのだが、見事、外れた。

早々に切り上げマルモッタン美術館に向かった。







(35)マルモッタン美術館

2012年07月07日 07時59分24秒 | パリのアパルトマン
6月9日(土)



蚤の市を早々に切り上げマルモッタン美術館に向かった。
世界最大のモネ・コレクションを所蔵するマルモッタン美術館。











モネの「印象・日の出」をまじかに見て感激。



勿論睡蓮も良かった。





ルーアンの教会も見ごたえがあった。。



モリゾの特別展も行われていた。
マルモッタン美術館の周りは緑が豊富。

隣接する大きな公園と並木道が印象的であった。



地下鉄でバスティーユに向かう。
地下鉄のミュージシャンがホルンを奏でてくれる。



何であろう、バスティーユ広場では赤い服を着たデモ隊が大騒ぎしている。
オランド新大統領に対する抗議であろうか。
この間もデモ隊に出くわした。







ボファンジェと言うブラスリーがバステーユにある。
ラ・クポールと同程度の高級ブラスリーだ。
今日の遅いランチはここに決まった。



ステンドグラスの丸屋根が美しい。





オニオングラタンとシャトブリアンのステーキ物凄く美味しい。
シャトブリアンとソースが絶妙でNYのクリスセラー並みの美味しさである。



ちょっと汚れっぽいオニオングラタン





バーの前でスナップ写真をとカメラを向けていると、
シェフが「ちょっと待て、待て」という、それでこんな写真が撮れた。
最近のフランス人はとてもフレンドリーだ。
夕食は軽く済ますことになるだろう。

土曜日のバスティーユ・マルシェはアーティスト
一人、一人が、絵画・彫刻・陶芸などを出展している。
人出は余り多くなかったが面白い絵もあった。
76歳の日本人婦人が出店しておりミセスマスダは
じっくりお話をさせてもらっていた。









帰りは例によってスーパーに立ち寄り食料の買出し。

家に帰り何となくテレビを観る。
ギリシャに続きスペインの金融危機と並んで
シャラポアがフレンチオープンで優勝したとテレビが大騒ぎしている。




(36)オペラ セビリアの理髪師

2012年07月06日 17時31分05秒 | パリのアパルトマン
6月10日(日)



家から徒歩5分のマルシェ 毎木・日曜日に開いているが
日曜日の方が出店者が多彩である。





我々のパリ滞在予定からして今日がマルシェ買出し最後の日となる。
なじみのミュージシャンも来ている。

友達への土産に24ヶ月物のミモレットの塊を購入。
1キロは24・75ユーロという表示。
大玉の半分、1.375キロを34・31ユーロで求める。
ミスター・マスダの手ではとても切れそうもないので
それをまた半分、都合四分の一ずつに店の人に切って貰う。
友達に一つ、自家用に一つという事。






友達に贈るミモレット 、約700グラム 日本円にすると1700円ほど。
因みに日本での同質のミモレットはい1キロ15000円から18000円という事を
帰国してから知る。

足の先に鈴をつけシャンシャンとリズムをとっている


今日買った食材の中で「ラングスティーン」に期待している。
形の変わったトマトの方が日本のトマトの味がする。
牡蠣やキロ40ユーロの牛肉もあったが買わなかった。
たぶん美味しいはずだ。
家から5分のところでマルシェは開かれているので
我が家では大変便利な存在である。







パンについて。
いわゆるフランス・パン、バゲットといおうか、パリ到着以来色々試しているがミスターマスダと好みと一致しない。
パンの肌理が細かく上等なのだろうが日本のポンパドールのバタールのような
「周りが硬く焼け内部は気泡が大きくしっとり」という訳には行かぬ。
しいて言えばスーパーのパンが一番近い。
この間ピラミッドのカフェで出たパンはポンパドールのそれに近かった。
多分安いパンが口に合うのだろう。
なお列車で朝飯代わりに食べるために買った「ポール」の菓子パン
パン・オー・レザンは美味かった。
ポールは日本の店ほど高級感は無く屋台売りもやっている。

マルシェで仕入れたローストチキンでランチの後
バスチーユの新オペラ座のマチネーに向かう。







開演は午後2時30分少し早めに出掛けて劇場の内部を観察。


















新オペラ座はガルニエ・オペラと比べ機能性を重視したコンテンポラリー。
年代が経ってガルニエのように評価されるか?
今日の出し物は「ロッシーニのセビリアの理髪師」
観客は殆どフランス人でスーパーもフランス語のみ。

ストーリーには付いて行けなかったが
出演者の芸術性の高さは理解できた気がする。
古典であるが最近の歌舞伎のようにお遊びに
現代を取り入れている。
サッカーボールが投げ込まれたり
10番のユニフォームが出てきたり
サッカー好きのフランスである。















5時30分ごろ終演。家まで徒歩10分で帰宅。

家での夕食は朝マルシェで購入したラングスティーン手長海老のボイルド
簡単にマヨネーズで頂く。






(37)ナンシー

2012年07月05日 20時05分32秒 | パリのアパルトマン
6月11日(月)


ナンシーは肌寒く小雨が降っていた。
朝8時TVGで1時間半の行程だった。
アールヌーボーの故郷ナンシー
漸く訪ねる事が出来た。
今回のフランス滞在の目玉の一つである。



ナンシー駅

駅前広場

ナンシー駅前で寒そうなミスターマスダ



スタニラフ門をくぐり世界遺産のスタニラフ広場へ向かう

スタニラフ門をくぐって10分ほど歩くと
世界遺産のスタニラフ広場
そこの観光案内所でナンシーの歩き方の説明を受ける。

その頃には雨は上がったが寒い、マフラーを巻いて凌ぐ。
我々の興味はアールヌーボー当時のもので現存する建物などを
出来るだけ見てみたいということ。
先ず時代は大分古くなるがノートルダム寺院の見学、
派手さは無いが立派なパイプオルガンに感心。









近くには日本食の店があるのに親しみを感じた。


また街角には名前はわからないが白い花が美しく
心和み寒さを忘れた。



その前を近代的な路面電車が走る。
歴史に生きる街ではなく活きている街だと感じた。






街の中心にもアールヌーボーの館が残っている。



































ナンシーは「マカロン発祥の地」と土地の人は主張している

午後からは郊外にあるアールヌーボーの館おもに住宅を見学することにした。




(38)郊外のアールヌーボー

2012年07月04日 18時26分13秒 | パリのアパルトマン
6月11日(月)



パリよりTGVで1時間半アールヌーボー発祥の地ナンシー
に到着し午前中は市内見学。
午後からは郊外にあるアールヌーボーの館
個人住宅からアパルトマンまでを見学。

まずナンシー駅からタクシーで近くの
ナンシー派美術館へ。
何としたことか今日は休館日。 残念至極。
ミセスマスダは東京でこの美術館の展覧会を
観ているので悠然としている。
ここの庭が良いらしい。








先ずは腹ごしらえ。近くのカフェで何とステーキとラズベリータルト。




ランチが終わり愈々この界隈を探索だ。
フェリックス・フォール通り
ここからブラブラ駅まで歩いて行く間に
アールヌーボーの影響を受けた建物が数多があるそうだ。
外観は往時のまま現在も住民が住んでおり
現在もそこに庶民の生活がある。









































個人住宅と小さな庭が立ち並ぶ通りは、自然が街に溶け込んでいて、
建物の大小を問わず、その色調や花の装飾には
類い稀なセンスの良さが感じられる。




この家はこのあたりで有名な
アールヌーボ^-の館・マジョレル邸。
ここは博物館になっていて内部の見学もできる。

































このあたりの中心になる教会。



だいぶ暖かくってきた。
更に見学を続け再び街に戻ってくる。
ぶらぶら見学しながら また街の中心地
世界遺産のスタニラフ広場まで戻ってきた。





(39)スタニスラス広場

2012年07月04日 08時45分42秒 | パリのアパルトマン
6月11日(月)


ナンシーの街のアールヌーボーに影響を受けた
建築物の見学に堪能して再び街の中心地
ナンシー駅から徒歩10分
世界遺産のスタニスラス広場まで戻ってきた。





どこもかしこも金ピカなのにビックリ



スタニスラスの銅像の前で



凱旋門もあるがそのいわれれは不詳






駅前のエクスシオール・ホテルでミセスマスダは三色アイスクリーム、
ミスターマスダはカールスバーグで一休み。
アールヌーボー全盛期を偲ばせる内装・佇まいである。












商店街ではドームのガラス製品の新作の店とか
骨董店ではビスクドールやガレの値段を聞いて楽しむ。

午後5時過ぎのTVGでパリ東駅に向かう。
左右の車窓の景色が地平線まで見える「地球は丸い」と実感できる」
この様な景色は日本の新幹線では味わえない。

この間サンマローに行った時もそうだったが
TGV沿線に沿って運河が流れている。
運河交通が今でも盛んなのだと感じた。
又今日も車窓より沢山の風力発電の風車を見ることが出来た。
原発の国なのに・・・。








メトロ東駅に戻ってきた



メトロの中のエリザベス女王の写真が写っているこの広告は何の広告だろう?
日本ではこんな形で天皇の写真は使えないよね

今日は疲れた。
旅の峠も過ぎたのでアパルトマンにてシャンパンで一杯。

早寝。




(40)リヨン駅

2012年07月03日 09時25分15秒 | パリのアパルトマン
6月12日(火)


今朝も曇り空 
5月25日にパリに着いてからの一週間ピーカンの晴れで
ポロシャツ、暑いくらいであったが
それから天気が崩れ15度前後、毎日傘を持ち歩く陽気である。
パリジャンも天候不順といっている。
窓からの景色もどんよりしている。




そんな中ミセスマスダは活動的だ。
朝からスーパー二軒を回ってきている。
夕食にと日曜日にマルシェで入手したアーテチョークを茹でている。

マルシェのアーティチョーク

茹で上がりのアーティチョーク


ミスターマスダは自律神経失調症なので午前中は休養。
12時前ランチのために国鉄リヨン駅のレストランに向かう。
リヨン駅の建物は古い。





構内も何十年前と同じ景色である。













駅の構内のレストランだが名前は
トラン・ブルー」ブルートレイン。
ベルサイユ宮殿のような
豪華な天井の上級の雰囲気を持つレストランで評判だ。













アスパラのスープと野菜サラダ それに子羊のローストを二人でシェア。















ワインは赤のシャンベルタン。

一流レストランの味と値段であった。

これからミセスマスダの執念でエディット・ピアフ記念館を訪ねる。






(41)エデット・ピアフ記念館

2012年07月02日 08時36分46秒 | パリのアパルトマン
6月12日(火)


リヨン駅での豪華なランチの後
ミセスマスダの執念でエディット・ピアフ記念館を訪ねた。
何度もメトロを乗り換えて2号線Menilimontantで下車、
Crespin du Gast通りにある住まいを探す。

エッディト・ピアフ  CDジャケットより



もう過去の人、近所に住む人も知らない。
住所は判っているのだが中々見当たらない。
最初に尋ねた道行く若い女性はスマホでチェックしてくれたが
なかなか出てこない。
ラッキーにも通りがかった黒人の女性がピアフの事に詳しくて
色々教えてくれ,漸くピアフ記念館を探し当てた。









彼女が誕生した住まいが記念館として公開されている。

住まいの外観は「中の下」と言うところか
まあまあのアパルトマンで、ドラマチック性は感じられない。





開館日と時間は厳密に決まっているようなので、
それに合わせて来たのだが、ベルを押しても開く気配はない。
するとこのアパルトマンから出て来た若い女性が親切に、
また中へ戻りピアフの部屋に直接コンタクトしてくれたが
どうも留守のようで応答がない。
訊ねてくる人も少ないので、予約制になっているのだろう。
パリ滞在の日にちも少なくなって来たので、
開館されている日時に合わせて再訪する時間はない。
ここまで来てその雰囲気を味わえただけで良かったと思う。
ミセス・マスダは先ほどからピアフの歌を口ずさんでいる。

ピアフの話を少しばかり。
生前親交のあった詩人・ジャン・コクトーはその死を聞いて
「とんでもないことだ」と云いながら寝室に。 
翌朝、コクトーは心臓発作により死亡したと。
ピアフの葬儀の折は、その死を悼んでパリ中の商店は休業、
40000人のファンが葬儀に参列したという。


その後買い物かたがたオペラ、ラファイエット百貨店、
JCBで日経を読ませてもらいピラミッドからルーブルあたりを散策。
昔泊まった「ホテル・ノルマンディ」も懐かしく、写真をパチリ。



チュユルリーから地下鉄①で帰宅。




(42)ブイヤベース

2012年07月01日 09時42分03秒 | パリのアパルトマン
6月13日(水)


地下鉄一号線のバスティーユ駅は運河の上にある。
ここで乗り換えてコンコルド駅に向かう。







今日は先日訪ねたジベルニーの日本庭園で見た睡蓮の印象を
確かめるべく、もう一度オランジェリーへ。

天井よりの自然光が晴れているときは
心なしか絵が立体的に見える。モネも計算済みか。

過去3,40年の間に何度オランジェリーにモネを観に来たことか・・・・。
だが、もうここを再び訪れる事は無いだろう、
時間をかけてじっくり鑑賞。


見なれた景色だがコンコルド広場とチュイルリー公園の辺りを
見納めに時間を掛けて散策。

コンコルド広場のオベリスク  エッフェル塔が遠望される



チュイルリー公園の池の前で寛ぐミスターマスダ






オランジェリー美術館の前のミスターマスダ












ランチはモンパルナスの「ル・ドーム」でブイヤベース 
この店の名物料理である。

メトロ・モンパルナス駅の一つ先のババン駅で下車



マルセーユで食べた漁師料理のブイヤベースと異なり
上品なブイヤベースであった。
映画俳優・永遠の美男子・バレンティノやシャガール 、
ダリ、藤田もこの店の常連だったらしい。

フランスのワインはリーズナブルで美味しい 今日はブルゴーニュー産だ

ジャン・コクトーが見える

バレンティノかな

ジャン・ギャバンだ

店内は大変シックなインテリヤ

ブイヤベースを待っているミスターマスダ

大変上品なブイヤベースでスープと具が別々に出てくる



ブイヤベースの出来上がり 
残念なことに伊勢海老はビスクのなっておりその触感を楽しめなかった



サルバトル・ダリ

レオナール・フジタ

ジェラル・フィリップ

バレンティノ

最後のデザートは大きさに驚かされて名前を聞き忘れた
「お菓子の好きなパリ娘」と云う歌がある通りパリのお菓子は美味い


「ラ・クーポール」といいこの「ル・ドーム」といいモンパルナス地区には良いブラスリーが多い。

午後からはギメ美術館





(43)ギメ美術館

2012年06月30日 10時02分25秒 | パリのアパルトマン
6月13日(水)


モンパルナスでランチの後
東洋美術のギメ美術館にやってきた。
実業家ギメがアジア各地を訪れ自らが収集した遺物や美術品を展示、
アジア以外では最大のアジア美術のコレクションである。






ガンダーラ・アフガン・シルクロード
インド・カンボジア
中国・朝鮮・日本まで膨大なコレクション。

日本の物では尾形光琳・乾山の陶器や光悦の書の他
屏風から仏像まで色々な展示があった。

ミセスマスダは写真を撮りまくっていた。
特に唐代の俑には以前から関心を持っているので、
これほどの数が揃っているのにはと興奮している。
アジア各地の漆器、陶磁器・織物・絵画・舞踏面等々、
興味深い物が多すぎて一日では見切れないと云っている。



























































































尾形光琳・乾山の陶器





熱心な勉強会も催されている







本阿弥光悦の書



カンボジア・アンコールワットを建造した王・ジャヤヴァルマン7世。


ギメ美術館の見学は終わったが
まだ帰宅するには早いのでセーヌの川岸の方へ散歩にでも行く事にした。





(44)ノートルダム寺院

2012年06月29日 13時00分29秒 | パリのアパルトマン
6月13日(水)


ギメ美術館の東洋美術の鑑賞の余韻を感じながら
セーヌの川岸まで出てきた。
川岸に座り、なんとなくエッフェル塔を眺めたり
セーヌを行く観光船バトームシューに手を振ったり
コーラを飲んだり優雅な時間を過ごせた。











パリに長期滞在しているので時間に追われず気に入った場所で心ゆくまで時間を過ごせた。


エッフェル塔下よりダブルデッカー2階建てバスで
ロダン美術館・ナポレオンのアンバリッド・アレキサンドル三世橋・
コンコルド・ポンヌフ経由ノートルダム寺院まで。



アレキサンドル3世橋とエッフェル塔


夕方だったのでノートルダム寺院の参詣者は少し少なく
前回と違い簡単に内部の拝観が出来た。

6時のミサの最中で荘厳な雰囲気であった。

ノートルダム寺院を出ると夕立と言うか雨に降られたが
傘を携帯していたので事なきを得た。
最近のパリは天候不順なので傘を持って外出している。




(45)バルビゾン村のミレー

2012年06月28日 13時27分05秒 | パリのアパルトマン
6月14日(木)



今日は木曜日 もうマルシェは店を開き始めている。
朝7時半マルシェを通り過ぎ地下鉄に乗る。

ピラミッドから出る「バルビゾンとフォンテンブロー城」への半日バスツアーに参加。
バルビゾン村ではミレーのアトリエ兼住宅を見学。

麦畑の中をバスで走ること40分 バルビゾン村にやってきた。
ミレー、テオドル・ルソーなど「バルビゾン派」の画家達が住んだ村として有名だ。
ミレーはここで「晩鐘」、「落ち穂拾い」、「種を蒔く人」など代表的な作品を生んだ。







近くにはフランスで2番目に古い郵便局があったが
建物は建てなおされている。
然しうまく周りの景色と調和している。




バルビゾン村は今では四つ星ホテルが集まるリゾート地でもある。
高級ホテル「オテルリー・デュ・バ・ブレオ」は
各国の元首や著名人が宿泊することで知られている。

先般 天皇が訪仏のお折、バルビゾンを見学された時立ち寄ったそうだ。



ミレーの住居兼アトリエは複製画で飾られ
当時の雰囲気を演出していた。

訪れる人は余りないようで館主は近くに住む小学生の男の子に
勉強を教えていたが、我々二人の為にドアを開け案内してくれた。

我々が観ている間も勉強は休むこともなく、また入館料は”思し召し”
ということなのだろう。
机の隅にある空き缶に、おもいおもいが入れてくるというような有り様で、
心に残るひとときであった。













我々のバスツアーはこれからナポレオンはじめ歴代の為政者が
700年に亘り住居としたフォンテンブロー城へ向かう。