7月10日(木)午前
このところ体調がいい。
鶴見の藪のトランキライザーが効いているのかも知れぬ。
朝はちょっと頑張って卵とベーコンそしてビール
好調が続くと良いと思っている。
あさ一番でバーナードリーチの工房を訪ねる。
町はずれの丘を少し上ったところにリーチの工房はある。
ブッドレアは花盛り
セントアイビスに来た第一の目的が
バーナード・リーチのリーチ工房の見学だ。
玄関を入ると受付からリーチ・ギャラリーとミュージアムショップへと続く。
リーチ・ギャラリーのご婦人は気持ちのよい方だ。
ニューヨークでは出版社に勤めていたらしくミスターマスダと
講談社やアメリカの大手出版社タトル社やエーブラムス社で
知遇を得ていた共通の知人の話題に沸騰。
ミセスマスダもNY在住時代を通じて良く知っているカリスマ主婦のマーサ・スチュアート
とも近所付き合いしていたとは驚いた。
話は弾み延々2時間楽しい会話のひと時だた。
ミュージアムショップで見つけた器。
ミセスマスダは買いたいと言ったがミスターマスダが日本のマスダ窯で
造るからということで写真を撮らしてもらった。
後日談 日本に帰ってからデュセルドルフの次男のJクンを通じて
リーチ・ポッタリーと交渉 ミセスマスダの手に入った。
この器は近々レプリカをミスターマスダが作成することになる。
愈々リーチポッタリーの工房を見学させてもらう。
工房の入り口には足ふきマットが置かれているが
その前のコンクリートにリーチの造った陶板画が埋め込まれている。
各国から来ている作家の卵が思い思いの作品を作っているが
指導者は居ないようだ。
日本人女性もいたが今はロンドンで制作活動をしているそうだ。
テネシー、南アフリカ、ドイツ、コネチカット、等々から修行に来ている。。
戦前の日本、柳宗悦を中心とする民芸運動が興隆したが、
その重要なメンバーに濱田庄司とバーナード・リーチがあった。
昭和初期の数年間,濱田はリーチの故郷、セントアイビスに渡り、
リーチと共に作陶生活に入った。
その時築いた日本風の登り窯は、3室とも見事に原形を留めているが
今は使われてはいない。
当時の「蹴ロクロ」は今も使われている。
工房の屋根裏は濱田庄司の寝床だったが今は材料置き場となっていた。
ここは濱田庄司の居間だったそうだ。
リーチ工房と言うより濱田庄司の偉業を辿るという事だった。
窓もない居間と寝室は薄暗い屋根裏 修業時代の若き日の濱田の
暮らしぶりが分かり興味深っかった。だが,
後年日本を代表する陶芸作家の作業・生活環境ではないと思った。
隣接する新しく作られた作業場は明るく「電動ロクロ」他現代的。
このところ体調がいい。
鶴見の藪のトランキライザーが効いているのかも知れぬ。
朝はちょっと頑張って卵とベーコンそしてビール
好調が続くと良いと思っている。
あさ一番でバーナードリーチの工房を訪ねる。
町はずれの丘を少し上ったところにリーチの工房はある。
ブッドレアは花盛り
セントアイビスに来た第一の目的が
バーナード・リーチのリーチ工房の見学だ。
玄関を入ると受付からリーチ・ギャラリーとミュージアムショップへと続く。
リーチ・ギャラリーのご婦人は気持ちのよい方だ。
ニューヨークでは出版社に勤めていたらしくミスターマスダと
講談社やアメリカの大手出版社タトル社やエーブラムス社で
知遇を得ていた共通の知人の話題に沸騰。
ミセスマスダもNY在住時代を通じて良く知っているカリスマ主婦のマーサ・スチュアート
とも近所付き合いしていたとは驚いた。
話は弾み延々2時間楽しい会話のひと時だた。
ミュージアムショップで見つけた器。
ミセスマスダは買いたいと言ったがミスターマスダが日本のマスダ窯で
造るからということで写真を撮らしてもらった。
後日談 日本に帰ってからデュセルドルフの次男のJクンを通じて
リーチ・ポッタリーと交渉 ミセスマスダの手に入った。
この器は近々レプリカをミスターマスダが作成することになる。
愈々リーチポッタリーの工房を見学させてもらう。
工房の入り口には足ふきマットが置かれているが
その前のコンクリートにリーチの造った陶板画が埋め込まれている。
各国から来ている作家の卵が思い思いの作品を作っているが
指導者は居ないようだ。
日本人女性もいたが今はロンドンで制作活動をしているそうだ。
テネシー、南アフリカ、ドイツ、コネチカット、等々から修行に来ている。。
戦前の日本、柳宗悦を中心とする民芸運動が興隆したが、
その重要なメンバーに濱田庄司とバーナード・リーチがあった。
昭和初期の数年間,濱田はリーチの故郷、セントアイビスに渡り、
リーチと共に作陶生活に入った。
その時築いた日本風の登り窯は、3室とも見事に原形を留めているが
今は使われてはいない。
当時の「蹴ロクロ」は今も使われている。
工房の屋根裏は濱田庄司の寝床だったが今は材料置き場となっていた。
ここは濱田庄司の居間だったそうだ。
リーチ工房と言うより濱田庄司の偉業を辿るという事だった。
窓もない居間と寝室は薄暗い屋根裏 修業時代の若き日の濱田の
暮らしぶりが分かり興味深っかった。だが,
後年日本を代表する陶芸作家の作業・生活環境ではないと思った。
隣接する新しく作られた作業場は明るく「電動ロクロ」他現代的。
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