以前からちょろちょろとネタにしている様に
私は鉄道ヲタ、鉄道にロマンを描いていた幼稚園児、小学生でした。
阪急電車になりたい子供。
将来の夢は長距離列車の運転手。
まあ、四年生の頃、求めるロマンはプロレスとボクシングへ行きましたが‥。
鉄道の本や時刻表を買うのは小学生のお小遣いでは高くて。
阪急の「特急」とかプレートを自転車に貼り、ライトを付けて
エンジン音を真似たり、家でカキ氷機を持ち出し運転手ごっこ。
阪急電車から国鉄へ夢が変わったのは
帰省の為、このディーゼル特急の汽車に乗ったから。
小学三年生が大阪駅から兵庫の但馬迄、約3時間以上かけて向かう大冒険。
当時は神戸の三宮で姫路から播但線、そして山陰本線へ向かう方法、
または宝塚から福知山線(電化されていない)で福知山から山陰本線に乗り入れる
この二パターンでした。車で帰る機会が増えましたが
汽車で帰る時は嬉しくて。特に急行では無く特急の場合は
超豪華列車に乗る気持ちでした。
当時はエル特急等、振り子式特急電車が最新の特急で
東北方面のブルートレインにも採用されてましたが
私はいなたい、電化されていない区間を走るディーゼル汽車に
愛着を持ちまして。こういう時から自分の懐古趣味の性格が出ているのかな?
大阪駅迄、阪急電車で母親が送ってくれ駅弁を持たせ
1人で汽車に乗り込むも席が分からない。母がココでしょ?というゼスチャー。
そこには赤い模様が入っているキハ181の眩しい汽車が。
カッコいい!
汽車が動き出すと三宮迄ノンストップ、ディーゼルの音を立て
爆走する。コレがカッコ良くて。
次の停車駅、明石を過ぎ、新幹線とクロスする
西明石や次の停車駅の姫路迄、高架線を走る新幹線のまばゆい勇姿を見ても
「181系のはまかぜは負けてないぞ!」という気持ちで誇らしい。
福知山線の特急まつかぜ、京都からの
日本一、平均スピードが遅いと言われた特急あさしおとは
カッコよさが違い、山陽本線を爆走するはまかぜはカッコいい。
姫路から播但線終点の和田山迄入るのに
汽車は進行方向をバックに変えるので
椅子もひっくり返すのですが、只でさえ華奢で童顔だった私は
やり方も力も無い。正直、怖くなり不安を感じ始める。
そこで子供を連れた若いお母さんが手伝ってくれ
「へぇ、三年生で一人で汽車で行くの?」と褒められると
勇気が出て、コレからの鉄道の旅と不安ながらの汽車の旅を
乗り越える勇気が。
播但線はこう配区分も有り、スローに動く区間も有りつつ
これまでケチられ?急行列車で「うんうん」唸り
坂をスローに昇るのでは無く181系はカッコよく昇る。
この区間は一時間程かかりましたが
赤い特急は勇敢に走る、そう感じておりました。
三年生ですからねぇ。
二重箱の駅弁を食べ、その若いお母さんがしっかり紐を結んでくれ。
外の景色見つつ特急はまかぜを満喫する。
同じ進行方向から山陰本線に入る和田山を超え
今度は山陰本線のガタンゴトンという音を聴きながらスピードアップ。
急行列車よりはディーゼルの音、ブレーキの音が若干小さく感じました。
コレが雨の日も雪の日も耐え忍び走り続けているのか、と。
山陰、但馬は雪が降りますからね。
目的の駅が近づくと、早々と席を立ち
若いお母さんにお別れを言いデッキに向かいました。
それがクールだと思っておりまして。
しかし、次の目的駅まで20分以上もかかるとは思わず
若いお母さんが車掌さんに言ってくれたのであろう、
車掌さんが声をかけてくれました。三年生の男の子が1人で乗っていると。
「坊や、後20分チョイだからね」と。「失敗した!」と思うも
車両と車両が連結しガチャンゴチャンいうデッキ部のドア前に立つのも
コレはクールだ!と。(アホか)
目的地の本家が有る駅に着くと普段厳しい祖母がタクシーで迎えに来てくれ
カッコいい、クリーム色に焼けた赤い模様が入っている
キハ181系ディーゼル特急、はまかぜを見送り完徹した気分と
祖母に会えた安堵感‥。
私、二年生の時に一度宝塚から急行列車に乗り帰省する目的を
宝塚駅に着いた時点でビビってしまい諦め、そのまま
母の運転する車で帰省した悔しく情けない思いを持ち続けておりました。
電車で特急乗り、三ノ宮や大阪梅田、または舞子海岸まで国鉄で行く事は
何とも無かったのですが長距離となるとやはり大冒険でビビる。
ただ成し得えた自信でチト強くなったのでした。
私の冒険記になってしまいましたが
当時、電化されていない山陰本線は大体キハ82系や181系の特急が走っておりました。
私が乗る汽車の区間は大阪〜鳥取の間で、その区間区間に
両親の実家(田舎、本家)や親戚の居る鳥取駅迄でした。
そこは特急が停車しました。(本家はまつかぜとブルートレインに通過されましたが)
そのはまかぜ、いや‥キハ181系が役目を終え
新型の特急が走っていたなんて知りませんでした。
今では列車がスピードアップしたり新しい区間に線路を変えたのか?
乗車時間は縮まりました。
少し鉄道のロマンが無くなって来ましたな。
かく言う私も東京から如何に早く到着するか?を優先しているので
今は京都から、以前エル特急に使われていた電車で帰省しています。
(田舎は車が無いと生活出来ないので車での帰省が主となりましたが
もう父の病気で体が持たないだろうと。安全運転ですし、休憩しないと私も持たない)
このキハ181系は鈍行と呼んだ各駅停車に利用され
非常に寂しい思いをしています。
そして、いつから‥こんなセンスの無いドブネズミ色に
車体を塗り替えられたのだろう‥冴えません。
惜別 キハ181系 特急はまかぜ 永遠の鉄路
私は赤い模様のキハ181系に萌えました。
汚れが目立ちにくい等を狙ったのかも知れませんが
コレでは華やかさが無く萌えません。
そして、現在の宇宙船の様な派手なフォルムの新型列車にも。
やはり懐古主義なのかな?
そして小学三年生の大冒険の想い出が詰まっているからか?
コロナ禍で都会から来た人間は田舎では
毛嫌いされる傾向があります。閉鎖的ですからね。
隣街では感染した人が村八分に合い夜逃げしたケースや
隣村ではオミクロンに感染した人が完治しても
バイ菌扱いされているなんて話が耳に入ります。
中々無人の本家に帰省出来ず三年が経ち、祖母の納骨も出来ずでして。
正直、今でも新幹線を乗り換えた京都駅から山陰本線を走る
汽車(電車)に乗ると気持ちが落ち着きます。
家の横の大きな橋を渡ると山陰本線の単線の上を
汽車、電車が走っております。
それを堤防から眺めます。
いつまで但馬の江戸時代からの家を持ち続ける事が出来るか?という現実と
問題が有りますが(本籍は兵庫の但馬になってます)
私の本家の田舎では、未だに「電車に乗る」では無く
「汽車に乗る」と言いいます。
私の友人達にそういうと笑われますが。
しかし、電化されずディーゼル車が走っている区間は
やはり「汽車」なのです。
結構、キハ181系の話では無く
ホント、私の冒険記になりましたな。
汽車の細かいスペック等を知る程マニアでは無いので。
今の子達は簡単に長距離新幹線に乗ったり、飛行機に乗り易い時代になったと思います。
私の頃では大冒険。
そして、その旅に深く刻まれたキハ181系特急。
今でも拘り有ります。
私が超広い家に住んでお金持ちならレコーディングスタジオと
Nゲージを走らすジオラマを造りたい位です。
その際のNゲージはブルートレインかDD51ディーゼル機関車、
そしてキハ181系です。
私は鉄道ヲタ、鉄道にロマンを描いていた幼稚園児、小学生でした。
阪急電車になりたい子供。
将来の夢は長距離列車の運転手。
まあ、四年生の頃、求めるロマンはプロレスとボクシングへ行きましたが‥。
鉄道の本や時刻表を買うのは小学生のお小遣いでは高くて。
阪急の「特急」とかプレートを自転車に貼り、ライトを付けて
エンジン音を真似たり、家でカキ氷機を持ち出し運転手ごっこ。
阪急電車から国鉄へ夢が変わったのは
帰省の為、このディーゼル特急の汽車に乗ったから。
小学三年生が大阪駅から兵庫の但馬迄、約3時間以上かけて向かう大冒険。
当時は神戸の三宮で姫路から播但線、そして山陰本線へ向かう方法、
または宝塚から福知山線(電化されていない)で福知山から山陰本線に乗り入れる
この二パターンでした。車で帰る機会が増えましたが
汽車で帰る時は嬉しくて。特に急行では無く特急の場合は
超豪華列車に乗る気持ちでした。
当時はエル特急等、振り子式特急電車が最新の特急で
東北方面のブルートレインにも採用されてましたが
私はいなたい、電化されていない区間を走るディーゼル汽車に
愛着を持ちまして。こういう時から自分の懐古趣味の性格が出ているのかな?
大阪駅迄、阪急電車で母親が送ってくれ駅弁を持たせ
1人で汽車に乗り込むも席が分からない。母がココでしょ?というゼスチャー。
そこには赤い模様が入っているキハ181の眩しい汽車が。
カッコいい!
汽車が動き出すと三宮迄ノンストップ、ディーゼルの音を立て
爆走する。コレがカッコ良くて。
次の停車駅、明石を過ぎ、新幹線とクロスする
西明石や次の停車駅の姫路迄、高架線を走る新幹線のまばゆい勇姿を見ても
「181系のはまかぜは負けてないぞ!」という気持ちで誇らしい。
福知山線の特急まつかぜ、京都からの
日本一、平均スピードが遅いと言われた特急あさしおとは
カッコよさが違い、山陽本線を爆走するはまかぜはカッコいい。
姫路から播但線終点の和田山迄入るのに
汽車は進行方向をバックに変えるので
椅子もひっくり返すのですが、只でさえ華奢で童顔だった私は
やり方も力も無い。正直、怖くなり不安を感じ始める。
そこで子供を連れた若いお母さんが手伝ってくれ
「へぇ、三年生で一人で汽車で行くの?」と褒められると
勇気が出て、コレからの鉄道の旅と不安ながらの汽車の旅を
乗り越える勇気が。
播但線はこう配区分も有り、スローに動く区間も有りつつ
これまでケチられ?急行列車で「うんうん」唸り
坂をスローに昇るのでは無く181系はカッコよく昇る。
この区間は一時間程かかりましたが
赤い特急は勇敢に走る、そう感じておりました。
三年生ですからねぇ。
二重箱の駅弁を食べ、その若いお母さんがしっかり紐を結んでくれ。
外の景色見つつ特急はまかぜを満喫する。
同じ進行方向から山陰本線に入る和田山を超え
今度は山陰本線のガタンゴトンという音を聴きながらスピードアップ。
急行列車よりはディーゼルの音、ブレーキの音が若干小さく感じました。
コレが雨の日も雪の日も耐え忍び走り続けているのか、と。
山陰、但馬は雪が降りますからね。
目的の駅が近づくと、早々と席を立ち
若いお母さんにお別れを言いデッキに向かいました。
それがクールだと思っておりまして。
しかし、次の目的駅まで20分以上もかかるとは思わず
若いお母さんが車掌さんに言ってくれたのであろう、
車掌さんが声をかけてくれました。三年生の男の子が1人で乗っていると。
「坊や、後20分チョイだからね」と。「失敗した!」と思うも
車両と車両が連結しガチャンゴチャンいうデッキ部のドア前に立つのも
コレはクールだ!と。(アホか)
目的地の本家が有る駅に着くと普段厳しい祖母がタクシーで迎えに来てくれ
カッコいい、クリーム色に焼けた赤い模様が入っている
キハ181系ディーゼル特急、はまかぜを見送り完徹した気分と
祖母に会えた安堵感‥。
私、二年生の時に一度宝塚から急行列車に乗り帰省する目的を
宝塚駅に着いた時点でビビってしまい諦め、そのまま
母の運転する車で帰省した悔しく情けない思いを持ち続けておりました。
電車で特急乗り、三ノ宮や大阪梅田、または舞子海岸まで国鉄で行く事は
何とも無かったのですが長距離となるとやはり大冒険でビビる。
ただ成し得えた自信でチト強くなったのでした。
私の冒険記になってしまいましたが
当時、電化されていない山陰本線は大体キハ82系や181系の特急が走っておりました。
私が乗る汽車の区間は大阪〜鳥取の間で、その区間区間に
両親の実家(田舎、本家)や親戚の居る鳥取駅迄でした。
そこは特急が停車しました。(本家はまつかぜとブルートレインに通過されましたが)
そのはまかぜ、いや‥キハ181系が役目を終え
新型の特急が走っていたなんて知りませんでした。
今では列車がスピードアップしたり新しい区間に線路を変えたのか?
乗車時間は縮まりました。
少し鉄道のロマンが無くなって来ましたな。
かく言う私も東京から如何に早く到着するか?を優先しているので
今は京都から、以前エル特急に使われていた電車で帰省しています。
(田舎は車が無いと生活出来ないので車での帰省が主となりましたが
もう父の病気で体が持たないだろうと。安全運転ですし、休憩しないと私も持たない)
このキハ181系は鈍行と呼んだ各駅停車に利用され
非常に寂しい思いをしています。
そして、いつから‥こんなセンスの無いドブネズミ色に
車体を塗り替えられたのだろう‥冴えません。
惜別 キハ181系 特急はまかぜ 永遠の鉄路
私は赤い模様のキハ181系に萌えました。
汚れが目立ちにくい等を狙ったのかも知れませんが
コレでは華やかさが無く萌えません。
そして、現在の宇宙船の様な派手なフォルムの新型列車にも。
やはり懐古主義なのかな?
そして小学三年生の大冒険の想い出が詰まっているからか?
コロナ禍で都会から来た人間は田舎では
毛嫌いされる傾向があります。閉鎖的ですからね。
隣街では感染した人が村八分に合い夜逃げしたケースや
隣村ではオミクロンに感染した人が完治しても
バイ菌扱いされているなんて話が耳に入ります。
中々無人の本家に帰省出来ず三年が経ち、祖母の納骨も出来ずでして。
正直、今でも新幹線を乗り換えた京都駅から山陰本線を走る
汽車(電車)に乗ると気持ちが落ち着きます。
家の横の大きな橋を渡ると山陰本線の単線の上を
汽車、電車が走っております。
それを堤防から眺めます。
いつまで但馬の江戸時代からの家を持ち続ける事が出来るか?という現実と
問題が有りますが(本籍は兵庫の但馬になってます)
私の本家の田舎では、未だに「電車に乗る」では無く
「汽車に乗る」と言いいます。
私の友人達にそういうと笑われますが。
しかし、電化されずディーゼル車が走っている区間は
やはり「汽車」なのです。
結構、キハ181系の話では無く
ホント、私の冒険記になりましたな。
汽車の細かいスペック等を知る程マニアでは無いので。
今の子達は簡単に長距離新幹線に乗ったり、飛行機に乗り易い時代になったと思います。
私の頃では大冒険。
そして、その旅に深く刻まれたキハ181系特急。
今でも拘り有ります。
私が超広い家に住んでお金持ちならレコーディングスタジオと
Nゲージを走らすジオラマを造りたい位です。
その際のNゲージはブルートレインかDD51ディーゼル機関車、
そしてキハ181系です。
Homeさんは乗り鉄になるのかな?ローカル線の旅も楽しいですよね。
此方でも昔の鉄道で乗り鉄する人結構居まして。
六角さん、鉄道番組をやっているのですか。コレはチェックしないと。
島根〜鳥取は見事に単線ですよね。そして日本海沿いに走る区間が多いので
荒波の風で揺れますよね。
今はどうか分かりませんが此方では上野駅でこれから北へ向かう夜汽車に乗る
出稼ぎの人達用に感じる古い飲み屋や駅売店が有りました。
売られているビールやワンカップが情緒的でして。
今は道路、高速が大分進んだのでモータリゼーションで出張する事も増えましたが
以前は鉄道優先ですよね。鉄道方が早く着く場合も有りますし。
ギター弾きはトラベルギター必要ですよね。以前はZO-3がマストアイテムでしたが
テレキャスをデッキで弾くとは!中々渋い事をされていたのですね。
何だかストラトでは無く「テレキャス」というギターをデッキで弾くのがカッコ良いです。
私は鉄道ファンではないのですが、乗り物に乗るのは大好きで、「ローカル線乗り継ぎの旅」とか「六角精児の呑み鉄本線」といった番組は大好きです(*´ω`*)。
仕事で島根から鳥取に山陰本線で動いたとき、まっすぐな単線が続いていてびっくりしました。海風が強くてよく揺れて。
六角さんみたいに飲みっぱなしで電車(汽車)に揺られていたいなぁ。
そうそう、出張が多かった頃にただ新幹線乗ってる時間がもったいなくて、FJテレ担いでデッキで練習してた頃がありました。変な目では見られますが平気で。